中禅寺湖

2009年08月23日 | 風の旅人日乗
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湖から農場までの急勾配の野原を、ロジャが右、左と大きくジグザグに横ぎりながら走ってきた。(略)
ロジャは、小道のきわの生け垣ぎりぎりまで走っていくと、むきを変えて、今度は反対側の生け垣ぎりぎりまで走る。そこでまたむきを変えて、もう一度野原を横ぎる。(略)
風は真むかいから吹いているので、ロジャは風上に間切りながら、農場にむかっているのだった。(略)
ロジャは、いま、帆船カティー・サーク号になっていたから、風に向かってまっすぐに進むわけにはいかなかった。けさ、にいさんのジョンが、蒸気船なんて、ブリキの箱にエンジンを入れたようなもんだと、言ったばかりだった。帆船でなくちゃだめなんだ。だから少し時間がかかったが、ロジャは大きく間切って野原をのぼっていった。
(アーサー・ランサム著「ツバメ号とアマゾン号」 岩田欣三/神宮輝夫訳)
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北九州の、玄海灘に面した漁村で育ち、荒海に出て海と命をやりとりする船乗りの生き様に憧れた。その漁村でアーサー・ランサムを読んで、セーリングに憧れた。

セーリングを知った今、その本を読み返すと、間切るという言葉の意味も、もどかしいようなロジャの気持ちも、実感として理解できるようになった。

農場の入口にはお母さんが待っている。その手には、遠くにいるお父さんからの電報が握られている。早く見たい、でも自分は帆船だから、向かい風の中を真っ直ぐ風に向かって走っていくわけにはいかないんだ。そんなことをしたら、帆船ではなくなってしまう…。
セーラーを夢見るロジャなりの美学だ。
子供の頃読んだ海や船の物語を時折読み返してみると、その頃の自分に再び会うことが出来る
―― 帆船でなくちゃだめなんだ。

何年も前、クルマの屋根にレーザー級の愛艇を積んで三浦半島から浜名湖に通うことを繰り返していた。
知人が借りていた湖畔の合宿所で寝起きしながら、早朝から湖面に出てセーリングの練習に精を出した。
週日はその練習で感覚を研ぎ、週末になると三浦半島に戻って外洋艇でレースに臨んだ。
その浜名湖行きは、なんというか、ぼくにとっては修行のようなもので、そのときの浜名湖は、ぼくにとっては道場のようでもあった。
夜は夜で、海とは違うリズムで岸に寄せる波の音を聞きながら、セーリングの本を読み漁った。

初夏。
ぽっかりと予定が空いた1日を利用して、どこか湖に出かけることにする。
今日は修行ではない。山の湖でセーリングし、湖面に浮かんで読書して、それに疲れたら昼寝も楽しんで、1日を過ごす。
子供の頃の自分へのタイムスリップだ。

クルマの屋根にディンギーを縛り付け、トートバッグにコーヒー・セットを入れて後部座席に放り込み、そして助手席に2冊の本を置く。今日のお供をさせる本はアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』と、ジュール・ベルヌの『二年間の休暇』。一般には『十五少年漂流記』という邦題で知られる子供向け海洋冒険小説だが、最近は朝倉剛氏翻訳の原題バージョンがお気に入りだ。

夜が明けたばかりの三浦半島を出発して東京都内を抜け、東北自動車道に入る。目指す湖は栃木県・日光の先にある中禅寺湖。
中禅寺湖には周囲の山々から冷たい雪解け水が流れ込んでいるが、この季節には水温も緩む。紅葉の季節以外は観光客も少ない。非日常へのショート・トリップにはもってこいの湖である。

宇都宮を過ぎると、クルマの左右を流れる光景が緑で溢れはじめる。標高が高くなるに従って空気も凛と引き締まってくる。
いろは坂のカーブに合わせてハンドルをさばく頃には、男体山の雄々しい山容が木々の間から見えるようになる。職場である海の「日常」を後ろにおいて、山の湖という「非日常」へと分け入っていく高揚感が心を満たす。

「華厳の滝方面右折」という標識があるT字路を、それとは反対に左に折れるとすぐ、目指す中禅寺湖が正面に広がる。
まだ朝の気配が残る湖面には、気持ち良さそうな風が吹いている。湖の北岸に沿ってさらにクルマを走らせると、程なく湖畔のキャンプ場に到着し、クルマを湖水の際まで乗り入れた。都心を抜けてから2時間弱の行程である。

沖に伸びる桟橋に座ってコーヒーを沸かし、目の前に広がる景色に見入る。つややかな緑に覆われた湖岸の向こうには標高2600メートル級の山々が迫っている。初夏だというのに、その山襞にはまだ雪が残っている。

さあ、湖面に出ることにしよう。
舟をクルマから降ろしてリグとセールをセットする。
湖へと乗り出す。穏やかな風が吹いている。中禅寺湖は海抜1269メートルの高所にある。考えようによっては、海面から1200メートルもの高度の大空を滑る"航空セーリング"である。

それにしても、セーリングを知ったことは、この人生で最大の幸運のひとつだった。これも、子供の頃に海やセーリングへの夢を膨らませるキッカケを作ってくれたいろんな本に出会えたおかげだ。

美しい湖を、風に乗って走る。幸せだ。
標高1200メートルのそよ風が,様々な色合いの緑に囲まれた山の湖面にちりめん模様を作る。その上を滑るぼくの乗る舟が通ったあとの水面は、ちりめん模様が数秒間だけ消えて、一本の澪(みお)が引かれている。
ユリー・シュルヴィッツの「よあけ」という絵本に、この光景によく似た絵があったことを、ふいに思い出す。

中禅寺湖を管理しているのは、国土交通省ではない。宮内庁だ。そのせいか、なんとなく上品で、雅な印象さえ受ける湖である。

風と一緒に、湖のあちこちを探検して遊ぶ。棒杭のように突っ立ったマス釣りの釣師たちの姿が湖岸に沿って点在しているが、湖に浮かんでいる舟はごく僅かで、その中でも風に乗って遊んでいるのはぼくだけだ。
恐れ多くも、宮内庁が管理なさる湖水と風を独り占めして、雅やかに遊ばせていただく。

今でこそ中禅寺湖を走るヨットの姿を見ることはほとんどないが、その昔、ここには「男体山ヨットクラブ」というヨットクラブがあり、夏には欧州各国の大使が参加するヨットレースさえ開催されていたらしい。
その頃湖岸にあったボートハウスを復元した建物がある。その建物の前は小振りな入り江になっている。丸太で組まれた瀟洒なボートハウスの景観に誘われて、その入り江にも舟を進める。

陽が高くなり、それと共に、風が弱くなる気配を感じ、セーリングで湖岸に戻る。
舟からリグとセールをはずし、替りにクルマからパドルを取り出して舟に載せる。水、携帯ストーブ、コーヒー、カップ、サンドイッチと林檎のランチ、それに2冊の本を入れたトートバッグも積み込む。どこか静かな場所に錨泊しようと企んで、水際に転がっていた石をロープで結(ゆ)わえて錨を拵え、これも積み込む。

さてさて、では再出港。今度は「食う・読む・お昼寝の豪華3点セット付き、パドリング・プチ・クルーズ」だ。

パドルで舟を進めているうちに、湖岸から伸びた木の枝が、艶やかな葉で涼しそうな緑の日蔭を作っている水面を見つけ、石の錨をドブンと放り込む。
スウォートに携帯ストーブを置いてお湯を沸かす。そのお湯でたっぷりとコーヒーをいれる。舟の周りにコーヒーのいい香りが漂い出る。舷側から足を外に出して湖水に浸す。木洩れ日が水面をキラキラと輝かせている。

コーヒーカップを片手に、まずは『二年間の休暇』(十五少年漂流記)のページを開く。
ぼくが長くお世話になっているニュージーランドのオークランドが物語の発端だ。
オークランドにいるときは毎日のように歩くクイーン・ストリートや、週何日もセーリングしているハウラキ湾などの地名が、そのまま物語に登場する。何度も読んだ本なのに、すぐにストーリーの中へと引き込まれる。

湖を囲む木々の間から、いろんな鳥のさえずりが聞こえ、舟の側板に小さな波が当たってピチャピチャと静かな音を立てている。
時として命の危険とも戦わざるを得なくなる海での日常とは正反対の、穏やかな空気がここには満ち溢れている。
山の湖に浮かぶ小さな舟の周りを、幸福な時間が流れていく。