スカンジナビア漂流 ・北欧の海洋文化を辿る旅・ (4)

2009年08月28日 | 風の旅人日乗
先人達の知恵と勇気を誇りにすること

 
ノルウエーはバイキング時代以来の海洋文化国として知られているが、国としてスウェーデンから正式に独立してからまだ100年そこそこの、若い国だ。だから、古い時代まで遡ることができるその海文化の歴史は、国ではなく、そこに住んでいた人たちそのものに由来するものである。

オスロ市のビグディー半島には、海と船にまつわる博物館が、4つある。ノルウエー海洋博物館、フラム博物館、バイキング博物館、そしてコンティキ博物館、である。

フラム博物館内部では、史上初めて北極と南極を制した帆船フラム号を、そのままの形で見ることができる。
アムンセンが最初に北西航路に挑んだ<ヨア号>も、フラム博物館の外に保存されている。その小ささに驚く。15年前は打ち捨てられたような状態だったそうだが、今は整備が行き届いている。

バイキング博物館では、20世紀初頭、オスロの南のオーセベルで発掘された全長22メートルのバイキング船が展示されている。
船首と船尾部はバラバラになった破片をもとに復元されていて、保存作業、復元作業ともに困難を極めたという。先人たちの過去の技術を未来に残すべきだという価値観が、その作業を推し進めた。

ビグディー半島に4つある海関係博物館には、毎日たくさんの小・中学生が訪れているが、中でも一番人気はコンティキ博物館だ。
トール・ヘイエルダールがコンティキ号の航海で証明しようとした、ポリネシア人たちの太平洋拡散に関する仮説(東から西へ)は、今では間違ったものとなったが、それでも、トール・ヘイエルダールは、ノルウエーの子どもたちにとって英雄だ。
コンティキ号の復元船だけでなく、葦舟ラー号の復元船にも、子供たちは目を輝かせる。

トール・ヘイエルダールがコンティキ号の航海の記録として撮影したフィルム映画が、アカデミー賞で初めてのドキュメンタリー部門受賞作であることを、この博物館で知った。

これらの博物館の展示品群を見て歩いているうちに、この地の祖先が残した海洋文化、業績、技術、を現代に残し、未来に伝えようとする熱意に、深い敬意を抱く。
それは、自分の国の海洋文化史を系統立てて見ることが出来ないという悔しさも少し含まれた、複雑な感情でもある。
数千年前から日本に間違いなくあったはずの独自の海洋文化史を、誇りを持ってこの目で見たいと願っているのに、それを現在では見ることが出来ない。その悔しさだ。

しかし、これらの海関係博物館建設の露払い的役割を果たしたフラム博物館の、建設までの困難を克服した経緯を知ると、隣の芝の青さを羨んでばかりもいられないことを知る。

ロアール・アムンセンの、南極点に人類として初めて到達するという偉業に貢献したあと、1914年に群集の大歓迎の中をノルウエーに戻ってきたフラム号は、第1次大戦が始まったことや、その後アムンセンが飛行機事故で亡くなったこともあって、人々から忘れられ、放置され、朽ち果てようとしていた。

フラム号が成し遂げたことを後世に伝えるべきだと考えた有志たちは、大苦戦を強いられた。
しかし、多くの障害や反対運動の中、彼らは、あきらめず、莫大な資金を提供してくれるスポンサーを必死で探し出し、フラム号を修復し、船全体を覆う建物を作り、そしてフラム号をその中に収めた。
それは一言で片付けられるような簡単な事業ではなく、それを実現するまでに、実に20年もの歳月を要した、大プロジェクトだったというのだ。恐らくこの博物館を作るために、半生を捧げた人たちが何人もいることだろう。

過去の文化を未来に伝えようとすることは、このように、強い信念と熱意を必要とするものなのだろう。しかし、それが間違いなく子孫たちに誇りと勇気を与えると確信していたからこそ、彼らはそのための努力を続けたのだろう。
そして彼らのその努力は報われた。
現代のスカンジナビア人は海洋文化を大切にし、祖先が成し遂げたことを自分たちの誇りとし、その矜持を胸に、海と接し続けている。
(続く)