スカンジナビア漂流 ・北欧の海洋文化を辿る旅・ (3)

2009年08月27日 | 風の旅人日乗
スウェーデンからノルウエーへ


翌朝、スウェーデンのイェーテボリ港に到着した〈ステナ・ジャーマニカ号〉を降り、旅に必要な買い物ををしたり、市内で軽く腹ごしらえをしたりしたあと、お昼過ぎにオスロへ向かって北上を開始する。

濃い緑の針葉樹の森、黄色い菜の花、紫色のラベンダー畑。
初夏のスウェーデンの、色鮮やかな風景の中を、時速140キロくらいのスピードで(正直に言うと、時々190キロくらいを試したりしながら)、心地よいドライブでノルウエーとの国境を目指す。

いくつかの、U字谷になった深いフィヨルドに架けられた橋を渡る。
ノルウエーとスウェーデンとの国境線は、そんな深いU字谷のひとつに沿って走っていた。そのフィヨルドに架かった橋の向こうに、有料道路の料金所のような、国境検問所があったが、止められることもなく、正確に言えば、どのブースに入ったらいいのか分からないまま、無人のゲートを選んでそのまま走り抜けた。

なにしろ、この国境検問所もそうだが、スウェーデンもノルウエーも、道路標識はすべてその国の言葉で書かれていて英語の標識はほとんどない。つまり、何を言っているのか、何を指示しているのか、さっぱり分からないのだ。
例えば「シティ・セントロ」と書いた矢印があったら、多分、市内中心方向のことだろう、と推測するしかない。

ノルウエーに入ると、スウェーデンからずっと続いてきた同じ道なのに路面の状態が少し悪くなり、行き交う車のメーカー、サイズががらりと変わった。道沿いの遠景に見える家々に塗られたペンキの色がスウェーデンとは微妙に違うのも印象的だ。

細長い吹流しのようなペナント型の国旗も、水色地に黄色十字のスウェーデンから、赤地に濃紺十字のノルウエーに変わった。しかし、それらが家々の前庭に翻っている光景は変わらない。
本来、帆船のトップ・マストに掲げられているべきペナントを誇らしげに自宅の前に掲げるところに、船文化がスカンジナビア半島の一般生活に浸透していることを強く感じさせる。

日本でもセーリング・ウエアで馴染みの深いへリー・ハンセン氏の地元だったモスの街を過ぎると、反対車線が渋滞し始めた。オスロから郊外の住宅地に帰宅する人たちのクルマによる、通勤ラッシュのようだ。

午後4時半、ノルウエーの首都オスロ市街に入る。
約20時間前にドイツのキールを出てから、海路250海里、陸路500キロ、ドイツ、デンマーク領海、スウェーデンを通り抜けてのノルウエーまでの旅だった。

オスロ市街の目の前にある港には、大型の客船、帆船、木造の作業船が、忙しげに走り回っている。海運王国ノルウエーの首都オスロは「マリタイム・メトロポリス」と呼ばれていて、世界の海に直結した港町である。

ノルウエーに来たのは、今は亡き野本謙作先生の愛艇〈春一番〉にご一緒させていただいたとき以来だ。そのときは、野本先生ご夫妻と〈春一番〉で、スタファンゲルという漁港を出てハルダンゲル・フィヨルドを巡り、ノルウエー西海岸のベルゲンまでのクルージングを楽しんだ。

そのクルージングのあと、ぼくはベルゲンから夜行寝台列車に乗ってオスロに行き、博物館を巡って歩いた。そのときに見落としたものや、そのときの自分では見えなかったものを、今度は別の角度から見ることができるかもしれない。
明日からはオスロで、北欧の海洋文化の歴史をゆっくりと見て回ることにしよう。
(続く)