日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

マイケル・サンデル教授の東京講義

2012年06月03日 | 日記

1.マイケル・サンデル教授の東京講義の聴講券を幸にも入手することができ、5月28日(月曜)に聴講して来ました。
主催者のお話では聴講枠5000名に対してその倍の応募があったそうです。

2.NHKが来ていました。内容は6月16日(土曜)、6月23日(土曜)、確か、14:00と言っていたように思いますが、Eテレ(教育)で放映されます。時間は不確かなので御確認ください。

3.教授は、コミュ二タリアン(共同体主義者)として知られており、私も新しい「公」の在り方を考えて行こうとしている者の一人として、教授とお話をしたいと思い、大いに意気込んで出かけました。しかし、発言は自重致しました。


4.以下に、講義の印象を記します。辛辣なことも書きますが、既にNHKでは何度かやっていらっしゃいます少人数での対話方式の講義とは異なり、5000人という多数の聴講者の前で、教授がハーバードでおそらく実際に進めていらっしゃる対話方式の講義を行っていただいたということにつきましては、特に、教授が発言者の人格と発言の内容に敬意を払われており、それら発言者の論点を明確にされ、複数の論点から共通の倫理上のテーマ(今回の場合、例えば「信頼」)を聴講者に投げ返される手法は、対話法の真髄ともいうべきものであり、それを私達の前で、実際にお示しいただき、教えて頂きましたことに対してましては、深い謝意を表します。

4.講義の印象

a.教授の持っていらっしゃる日本人観と、現在の私達が持っている危機意識には乖離(かいり)があるという印象を持ちました。

b.講義のサブタイトルを、「ここから、はじまる 民主主義の逆襲」と言います。民主主義とは何か目的を達成するためか、決定するための手段であり、社会が活力あるためには、このシステムと、誰でも自由に発言できる手段があり、達成する目的を決定して行く過程に何人といえども参加できることが大切です。日本にこのシステムはあります。教授の脳裏にはこのシステムを持たない日本のイメージがあり、そのイメージがこういうサブタイトルを生むことになったのでしょうか? 教授は、講義初頭では「民主主義の復活」という表現をされていましたが、その真意がよく分からない所があります。 

c.「正義」を語る者は、意図しなくても、一面、アジテーター(扇動者)の貌(かお)を持つこともあります。前著、『これからの「正義」の話をしよう』は、その役割を十分果たしました。語られているのが正義だけに、人は惑わされます。 自戒しなくてはなりません。

d.講義そのものは、大学や社会人向けの倫理学初講の導入部という印象を持ちました。聴講者の頭の中にあるものが分からない。そのため、それを設問によって引き出して行くという手法です。

e.最後の設問に対する回答者二名の答えは、日本の未来は大丈夫だと確信するに足る内容でした。

e-1.サンデル教授の設問は、福島第一原子力発電所事故の原因を問われて、それが自然(地震・津波)にあると考えるものと、国と企業の癒着(ゆちゃく)にあると考えるものと、2者択一で、前者と思うものはプログラムの白の面を掲げ、後者と思うものは赤の面を掲げるというものでした。大体が「癒着」という表現そのものも私にはなじまないものでしたが、事故は明らかに東電、原子力保安院の安全審査の不備に起因するものものですから、私は赤の面を掲げました。

e-2.白を掲げた人たちのでその回答に立ったのは、最前列の若い女性でした。回答の要旨は、「私は、原子力発電所事故の原因を、誰かのせいにしたくない。原子力の現状を人任(まか)せにして、私達は考えて来なかった。これからは、自分たちが考えて行かなければならないと思ったから白にしました」というものでした。発言には強い自責の念があり、私は良い娘さんだなと思ったものです。

e-3.赤の回答者は、演壇(えんだん)に向かって中央やや後ろ右の男性でした。後でのサンデル氏とのやり取りで40代ということが分かりました。彼の発言の趣旨は、「自分が赤を挙げたのも、先程の彼女と同じ理由です。事故を誰かのせいに転嫁するのではなく、私達は自分で考えて、システムを安全なものにして行く社会プロセスを作り、そこに参加して行かなければならない。そして、社会を変えて行かなければならない」、というものでした。力強い拍手を私は送りました。

e-4.「社会を変えられますか」というサンデル教授の問いに、男性は、「ツイッタ―やフェイスブックにそう言った書き込みは増えており、日本の社会は明るいものになると思います」と幾分はにかみ加減で回答をされていました。

e-5.このブログもそうですが、日本は今変わろうとしています。

e-6.変わるのは善くも悪くもなります。私達は未来の子孫の繁栄を願い良いものを考えだし、選択して行く必要があります。安逸(あんいつ)な道を選択するのか、繁栄の道を選択するのか、私達は今その岐路に立っています。


5.サンデル教授への質問

a.人間の生き方において「公」を考えれば、生産・消費・分配において倫理に行き着くと考えています。しかし、世の中には25人に1人は良心を持たないという話もあります。
(マーサ・スタウト 『良心を持たない人たち』 参考Web 「良心がない方が人は得する?」) 規範は有効であっても、個人の倫理だけでは、この人たちの前では個人が成立し得ないという事態に私達は、しばしば直面します。そこで私達は規範と法を考えることになります。しかしまた、良心を持たない人たちもしばしば規範を作り、良心を持つ人たちを呼び寄せ集団を作ります。この場合、規範と規範の対立が生じます。更にまた、規範と規範の衝突を生じさせない疑似規範を良心を持たない人たちが、規範を持つ社会において作る場合もあります。前者は国家間の規範において、後者は社会と宗教との関係においてしばしば見られる現象です。この場合の正義や如何に?

b.次に、自分は良心を持っていると考えている人が、実は良心を持たない人であった場合、その人の語る正義や如何に?

 

 

 

 

 



            

       クローバー?(茎は別々ですがクローバーの群生している所に咲いている花です)


            

                             青空と野辺


            

                             少年野球

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