A.中華人民共和国外交部の珍弁術
1.11月23日、「人民網(人民日報)日本語版」が、尖閣列島をめぐって、中華人民共和国外交部・華春瑩(かしゅんえい)報道官の発言を載せています。
2.ブログのネタにして、彼らのいわば時計が止まっているがごとき、歴史感覚を笑い飛ばすには格好の材料です。
3.また、その発言からは、尖閣列島をめぐって、今後、中国共産党が取ろうとしている戦術も見えて来ます。
B.彼らの歴史感覚
1.彼らは、カイロ声明とポツダム宣言を、「連合国と日本の戦争状態の終結とアジア太平洋の戦後国際秩序構築、日中間の領土帰属問題解決の法的基礎だ」と、言います。
2.また彼らは、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約について、「中国はサンフランシスコ講和会議から排除され、条約の締約国ではない。したがってサンフランシスコ講和条約は中国に対する拘束力を持たず、日中双方が戦後の領土帰属問題を解決する上での法的基礎ではない」と、言います。
3.この二つの主張から、私達は、中華人民共和国の党(共産党)・軍・政府の首脳部の人達は、国際社会における多国間の歴史や法、条約、慣習といったものを理解せず(規範を規範たらしめようとする人々の努力の枠外にあることができ)、いわばいつでも、アウトローの論理を振り回すことのできる人々の集団だということを、確認することができます。
4.彼らは、カイロ声明とポツダム宣言の形成に参加できませんでした。この実情を言えば、日本と戦っている中国の主権者とは彼らは認められなかったことを意味します。にもかかわらず、否、それ故に、彼らは自分たちの戦いは、戦後国際社会形成に大いに役割を果たしたとアピールすることのできるものを国際社会と自国民に対して得て置くためには、カイロ声明とポツダム宣言の効力は是非とも取り入れなければならず、そしてそれらは「日中間の領土帰属問題解決の法的基礎だ」、と言わせしめます。
5.また一方で、日本を含む国家間で合意が形成されたサンフランシスコ講和条約を、彼らは、「日中双方が戦後の領土帰属問題を解決する上での法的基礎ではない」と、言います。
6.この二つの事例、a.中華人民共和国はカイロ声明とポツダム宣言に対しての主権者としての当事者ではなかったこと、b.そして彼らは、サンフランシスコ講和会議から排除され、その時結ばれた条約の締約国でないという事実は、彼らは、戦後の歴史の中で、彼らが思うほど国際社会形成には力を果たしていず、せいぜい世界の中のアウトローの一国に過ぎなかったと言うことを、自ら吐露しているに等しいと言えます。彼らが日本の主敵であった時があったのでしょうか。彼らはヒット・アンド・アウエイで戦力を温存し、日本がアメリカとの戦いで消耗敗北するのを待ち、もっぱらその後の国民党政府との戦闘に備え続け、その戦闘においては国民党軍に工作員を送り込んで指揮系統と隊内士気を分断し、勝利する。これが毛沢東持久戦の常套手段(じょうとうしゅだん)です。この毛沢東持久戦を信奉する人たちの何処(どこ)に清朝や明朝の領土を云々(うんぬん)する資格があるのでしょう? 私達は彼らの持つ陰湿な党風を拒否しなければなりません。また、中国は知られているように易姓革命の国です。現在の中国共産党もその一時代を担っているにすぎません。エドガ・スノー氏は毛沢東(もうたくとう)氏を美化し過ぎました。中国は明るい民主主義の国に変わらなければなりません。
7.国際社会はこの国に対して多大の援助と協力を与え、その甲斐あってこの国はGDP世界第2位の経済成長を遂げるに至りました。そして国際社会の援助と協力には、日本の誠実な援助と協力の労があることも忘れてはなりません。
8.そして今、この国の首脳部は、日本と国際社会に対して、「尖閣列島は自国領だ」と、アウトロー国家の本性を露わにして喚(わめ)きます。よい機会です。日本は、毛沢東持久戦を信奉しする人々と戦って彼らに勝利しなければなりません。そして中国の人々が正しい選択をする一助となる、これが日本の選ぶべき最良の道です。
C.私達の主張
1.私たちは、孫文の辛亥革命の理念を引き継ぐものを、清朝の正統な後継者と認めます。したがってこの後継政府が、明朝や清朝に由来するという、尖閣列島領有の歴史的根拠が示され、それが証明されるものであれば、私たちはそれを正当な歴史的根拠として認めます。
2.以上の前提を置いて、現下の状況下で、尖閣列島の帰属が日本の主権下にあることを、以下の歴史的経緯を以て示します。
ア.1895年1月14日、尖閣列島(九場島、魚釣島)を沖縄県所轄とし、標杭建設の閣議決定。
イ.1945年8月15日、終戦(敗戦)の詔書。
ウ.1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約調印。
1951年4月28日、同条約発効。
日本は主権を回復し、その時沖縄群島と尖閣列島はアメリカの施政権下に入りました。
エ.1971年6月17日、沖縄返還協定調印。
1972年5月15日、同協定発効。
この時、沖縄群島と尖閣列島は日本に返還され、主権が回復しました。
オ.以上の経緯そのものが、尖閣列島の帰属は日本の主権下にあることを示しています。
D.念のため、中華人民共和国外交部の言う歴史的根拠について見解を示します。
1.彼らの言う歴史的根拠についていえば、現在それを入手できていないため、それに代(か)え、その大筋の内容は、井上清という学者が書かれた『「尖閣列島」--釣魚諸島の史的解明』という文章がWeb上にアップロードされているものと、大差はなかろうと思われますので、これについての見解を示します。
2.一言で言えば、氏の論述される根拠は、証明不可能な推論でしかありません。
3.日本の学者には、推論をもってあたかも真のごとくその説を語られる方が如何(いかに)に多いことでしょう。
E.尖閣列島をめぐる中国共産党・軍の戦術。
1.おそらく彼らは、これを日本に対する反ファシズム・軍国主義闘争、反右派闘争と位置付けているものと思われます。
2.中国国内の動員体制は、反日愛国教育を通して整っています。
3.そして日本を国際世論から分断し、国内世論を分断すること。これも中国共産党は、江沢民氏が反日愛国教育を始めたころから、反日映画の制作・上映などをもって世界中で行っています。
F.日本の進むべき道。
1.自由と民主主義と公共の旗を掲げて、彼らの野望を打ち砕くこと。
2.中国の人々の主権を尊重し、自由と民主主義と公共の旗を掲げて彼らとともに歩むこと。
3.そして世界の人々と共に歩むこと。
4.これは歴史の大道です。
[注] 2012.11.25 記事の一部と言葉を修正致しました。