A.
何通かのメールが中国から届きました。
そのうちの1通に中国EMBA(経営学修士の社会人向けバージョン)の案内がありました。
誰が何のために、私に送ったのでしょうか?
現在、中国では多数の大学がEMBAの募集を行っています。
不特定多数の人物に送信された成りすましメールの一つでしょうか?
何れにせよこのメールを手がかりに、Webに公開された中国社会のEMBAやMBA(経営学修士)の大学の情報を見ると、私達は現代中国についての多くのシグナルを得ることができます。
その一つに窺(うかが)えることは、現代の中国は、企業という形=企業家の育成を通して、自国社会を開発してくれる人材を育成・輩出しようとしているということがあります。
ここにはあきらかに、現代中国が直面するジレンマがあります。
どんなジレンマでしょうか?
それは、中国革命(ここでは孫文等の辛亥革命の世代は含みません)の第一世代の国家観と、現代のEMBAやMBAを通して育った人たちの国家観の間の相克です。
前者をスターリンモデルの国家観、後者をニュータイプモデルの国家観とここでは呼びましょう。
「スターリンモデルの国家観? うそー、そんなものはソ連邦の崩壊で、ある訳がない」という声が聴こえて来そうです。
いいえ、中国では、毛沢東氏、隥小平(としょうへい)氏と、脈々と引き継がれています。
毛沢東氏と隥小平氏は路線の対立する二人でしたが、隥小平氏は、ソ連邦が崩壊したように中国共産党国家を崩壊させないためには、強硬な路線を取らなければならないと考えていた人で、民主化を求めて天安門広場に集まっていた学生や労働者・兵士を一夜にしてきれいさっぱりと粛清して見せました。彼は、その点、経済については功利主義を採用し、政治については、毛沢東氏と同じく、スターリンモデルを引き継いだ人といえます。これが革命第一世代です。
ここで、尖閣列島をめぐる彼らのスタンスはどのようなものであったのか、検討を加えておきましょう。1971年12月30日の「中国外交部声明」というのがあります。独(ひと)りよがりな言葉を羅列(られつ)しただけの「声明」で意味もよく分かりませんが、これは、彼らが、中国大陸において人民と土地を奪い取って来たその方法を踏襲するものであり、そして彼らはその記録を決して明らかにしないであろう現代では、それを明証する貴重な歴史的資料となります。
「日本政府が尖閣列島をかすめとった」と、彼らは言いますが、そもそも彼らこそ、中国大陸に暮す諸民族と人々の自由と、人間の尊厳に根ざす諸権利をかすめとって成立している歴史上過渡の一党独裁政権に他なりません。また彼らは、明朝、清朝の正統な後継者でしょうか? 仮に、彼らが明朝、清朝の事象に言及して、自分たちはその権利を継承すると言うこと自体、彼らは自分たちが中国大陸における歴史上過渡の一党独裁政権に過ぎないということを認識できず、彼らこそ彼らが言う「強盗の論理(中国外交部声明)」を振り回している強盗とその集団そのものだということになります。彼らの言葉はそのままブーメランのように彼らのもとに帰り、彼らの心臓をぶち抜くのです。
次に、彼らの行動パターンです。彼らは、相手に対して「この土地を私達は支配する」と宣言(言明)し、パワー (このパワーには軍事力を始め、さまざまなものがあります。文革、紅衛兵もその一つです)
をもって相手を引き回し、相手を従わせるという力の論理にあります。そしてこれが、毛沢東氏が得意とし、そして、毛沢東氏と同様にスターリンモデルを引き継いだ全ての人の行動パターンだと言えます。そしてここに彼らの隠された本性の全てがあります。
日本が尖閣列島を領有する法的根拠については、外務省の “尖閣諸島に関するQ&A” を御参照ください。
B.
第二世代は、江沢民氏、胡錦涛氏、習近平氏の世代です。対日路線はこの世代になって前の世代よりも強硬になりました。
これを何故かと考えるに、第一世代の毛氏の場合、国内に敵を作って民衆を引き回すことを得手(えて)とされ、朝鮮半島、インドシナ半島ではアメリカ軍とも戦いましたので、主要な敵はアメリカだという認識がはっきりとあり、また、“大躍進”の失敗やらで、自分が中国共産党の指導者の地位から追い落とされる危うさがありました。これを挽回(ばんかい)するために発動されたのが“文革”と紅衛兵の動員だということはよく知られたところです。また、日本にはシベリアで抑留生活を送った人々や、中国で捕虜となった人々が、共産主義の思想教育を受け、大量に帰国しており、敢(あ)えて反日キャンペーンを張る必要もありませんでした。総じて、革命の第一世代の人々の対日視線は、毛氏の誤った経済計画と、原爆・水爆の製造を含む戦争政策への人々の絶え間のない動員と文革の発動によって、国内は疲弊しており、アメリカを主敵とする国際秩序に対して、“平和五原則”を掲げて日本を親中国にして行くという所に置かれていたように思います。
しかし、ここに隥小平(としょうへい)氏が登場します。毛沢東氏の「自力更生」路線から、経済政策を功利主義へと転換したのが隥小平氏です。彼はまた、「一国二制度」を掲(かか)げ、香港の富も返還によって手に入れました(注:香港返還1997年7月、隥小平逝去1997年2月)。そして、対日路線の戦略的転換も、隥小平氏によってその布石が打たれました
(断定で書きます)。1978年4月、中国大漁船団が尖閣領海で操業します。この後、隥小平氏は、1978年10月に日中平和友好条約批准書交換のため来日し、記者会見で中国には、尖閣領有問題があることをアピールしました。また、中曽根元首相が、1986年以降の靖国参拝を取りやめられたのも、中国共産党内に何らかの動きがあっとことを、氏は示唆していらっしゃいます。1979年1月に米中の国交が成立し、同月、隥氏は訪米しています。アメリカの豊かさに氏は圧倒されたことでしょう。
江沢民氏に至って、完全に反日路線へ転換します。反日教育の徹底、反日映画の製作と国内外(特にアメリカ)での上映、反日デモへの動員は日常化します。主敵をアメリカから日本へ転換しました。いえ、違います。彼らの外交は、法衣の下に鎧(よろい)を隠す外交を得意とします。アメリカへは北朝鮮が吠(ほ)えてくれています。1971年12月30日の中国外交部声明でいう中華民国に対する彼らの党としての原則の継承の問題もあり、基本構図は何ら変わりません。2001年12月にはWTOへの加盟が発効致しました。
胡錦涛氏も江沢民氏を踏襲し、更に尖閣列島への領海侵犯を付加させました。また、2010年には中国の名目GDPは世界第2位となりました。
そして本年(2013年)より習近平氏です。反日親米で歩まれるものと思われます。
C.
中国共産党の指導者の世代の流れを概観しました。
結論を述べれば、中国がこのまま毛沢東―隥小平路線を歩めば、中国共産党は瓦解するであろうということです。
原因は、EMBA(エグゼクティブ経営学修士)、MBA(経営学修士)といった課程を修めた高学歴の人達の全人口中での増加です。彼らのセンスは現在の中国共産党の体質であるスターリンモデルとは合いません。
瓦解を回避するためには、共産党の一党独裁を改める必要があります。現在も共産党以外の政党の存在を許容しているという声が上がるかも知れません。しかしその関係は対等独立のものではありません。各政党を対等独立のものとして、中華民国の政党も交えて総選挙をやったら如何(いかが)でしょう。
反日デモや戦争以外の方法で、御国が生き生きと活気付くことになることは、誰しも認めることとなるでしょう。
ひよどり
すずめ