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新たな枠組みの模索~日米関係再考論2

2009年09月04日 19時44分09秒 | 外交問題
長く権力の頂点にあった自民党が大敗を喫し、今後自民党の「自分探し」が行われることになるだろう。自民党は、これまでのアイデンティティを失ったのだ。新たな役割を探し求めるしかないだろう。

この自民党に近い状態なのが、世界経済危機後の米国だ。
米国自身が、これまでと同じアイデンティティを持ち続けるのは困難だと感じていることだろう。これは同時に、世界全体が新たな枠組みを模索している、ということでもあるのだ。平たく言えば、「リーダーなき世界」ということになろうか。米国が超大国であり続けるのは、極めて難しいのだ、ということに、世界中の人々が気付いてしまったということ。米国とて、誰かに寄りかからねばならない時だってある、ということなのだろう。そして、米国が選んだ相手とは、恐らく「Miss Beijing」だ。世界の人々の中では、そう噂されているようなので。


米国の立場になってみた時に、米国外交の優先課題というのは何だろうか?
少なくとも、日米関係などではないだろう。これは最優先事項などではない。もっと別な課題があるはずである。

アフガン問題、イランや北朝鮮などの核拡散問題、小康状態の中東情勢、そして何より世界経済の立ち直りを促す協調体制、そういったことが優先課題として思い浮かぶであろう。その為には、米中協力というのが欠かせない、と判断しても不思議ではない。米国は中国の外貨を必要とし、中国は米国の消費を必要としているのだから。まさに相補的という関係であり、警戒すべき相手ではあるけれども、当面は手を組む相手が他に見当たらないということでもある。

よって、日米関係云々という話は、米国外交にとっては重大事などとは考えられないのである。日本の一部には、日本が軽視されていると大袈裟に騒ぎ立てる者がいるが、世界にとって今必要なことではないのだから、それも当たり前の話なのだ。捨てられるだの軽視されるだのとナイーブに騒ぎ立てる前に、もっと米国側の事情というものについて考えてみた方がよいのではないか。


①米国の存在意義とは何か?

今、悩みの一つになっているのが、多分これだろう。冷戦構造があった時代には、ソ連という強力な永遠のライバルが存在してくれたお陰で、米国の存在自体が肯定された。世界に対して特別な努力をしなくとも、対抗勢力としての米国は何にも替え難い存在であったのだ。だからこそ、西側諸国は米国を中心に結束しようと努めたし、米国を頼りにせざるを得なかったのだ。心強い兄貴分として、リーダーの役割が米国に与えられていた。

しかし、ソ連が崩壊して冷戦構造が崩れると、米国には対抗するべき相手がいなくなってしまった。ひとりぼっちの、孤独な超大国になってしまった。かつては強い兄貴だった存在は、喧嘩や抗争(或いは、ヤクザの「出入り」)というのが頻繁に必要とされなくなった時、単なる粗暴な暴力漢へと評価が下がってしまった。「世界の警察」を自認して、これを続けることはできるけれども、ヤクザが自分の縄張りを見張る代わりに「みかじめ料」を要求するのと、外見的には大きな違いはないのだ。

もしも米国が「世界の警察の役割を降りたい、オレは辞めたい」と申し出て、軍事力をこれまでの半分とか10分の1程度まで削減してしまったとしたら、世界は「悪の帝国」によって支配されてしまうだろうか?(笑)


②経済へと方向転換

米国は、敵対勢力だったソ連を失ってから、単なる粗暴(軍事力)という腕力頼みを転換することにしたのだろう。それが、経済力によるリーダーの地位確立だった。経済力こそが、米国の存在意義を世界に知らしめることのできるものへと変わったのだ。

そこで、「グローバル・スタンダード」とは米国基準なのだ、という既成事実を作り上げていった。ルールを米国式に統一してゆこうと画策し、米国式のビジネスが浸透しやすい環境を各国に求め続けた(半ば強要したようなものだ)。これはうまくいった。世界経済の頂点に立ち、リーダーたる地位を軍事力以外で確立できたのだ。欧州は、統合後間もないEU体制で競争相手にはなり得なかった。

こうして、自らの存在意義を生み出した米国ではあったが、世界同時不況で決定的打撃を蒙ったのだ。グローバル化の諸刃の剣は、覇者となった米国にも被害をもたらした。腕力頼みから脱皮しようとしたが、新たな経済力というアイデンティティを再び失った。


③世界の警察はいつまで続けられるか

軍事力の必要性を訴えるには、「対テロ戦争」というのは恰好の材料だった。イラク戦争はそうした流れの中では、必要な戦争だった。米国にとって、世界に存在意義を示す機会だった。米国はこれを利用したのだ。

だが、今後もこうした対外政策が継続できるかといえば、それは疑問である。旧ソ連のごとき超大国のライバルが出現するということなら、米国の軍事力は必要とされるかもしれない。その可能性は乏しいであろうとは思うけれども。
経済力による支配というのも、難しいだろう。欺瞞の金融帝国主義が暴かれてしまった現在となっては、同じ手を使っても世界のリーダーにはなれないであろう。つまりは、米国自身がアイデンティティの喪失危機にある、ということだ。


オバマ政権が8年できたとして、アフガン戦争を果たして何年継続できるであろうか?
既にイラク戦争より長期間になっているのに、今後もアフガンに軍隊を置き続けられるだろうか?ソ連だって、10年程度しかもたなかったのに、米軍が10年以上に渡ってアフガン戦争を継続できるだろうか?できない、ということになれば、オバマ政権下の8年のどこかで撤退ということになってしまうだろう。その時、世界は米国の何に「リーダーの役割」を見出すのだろう?


そもそも、米軍の本質というのは、ある種の雇用政策である。
これは昔の傭兵なんかでも似たような意味合いであるが、労働者としての「兵士」ということになる。昔のスイス人だろうと、ドイツ人だろうと、或いはイングランド人やイタリア人だろうと、仕事のない人間の多くが傭兵稼業(*1)に身を投じていったのだからね。

*1:個人的見解なのだけれど、欧州での契約文化とか労働契約とかが社会に浸透していったのは、こうした傭兵の影響が大きかったのではないかな、と思っている。雇用条件とか、かなり細かく規定されていたりして、案外と現代の雇用契約に似ているのだよね。景気が悪くなったり、収入が減ったり、失業が増えると、戦争が望まれたのだろうね、とは思う。賃金未払いなんかも、略奪の悪化などに結びついたり、雇用主との契約破棄なんかで叛旗を翻したり、と、係争の火種になるしね。


米国における軍事部門の雇用人数は広汎に及ぶので、これを急に削減するということになれば大量の失業者を生み出すことになるだろう。軍事部門の経済学的需要というものが何か決まってあるというわけでもないので、簡単に言うと政府が「適当に必要量を考える」ということになる。簡単にいえば、巨大な官製市場であって、公共事業的雇用政策の一部でしかない。

米国が「オレたちはこんなに”世界の警察”として努力と出費を強いられるので、もうやりたくない」と本気で主張するのであれば、その努力を止めればよいだけである。早速、軍隊の規模を半減するなり、軍事予算を10分の1くらいに減らすプログラムでも策定して、それを実行すれば済むことだ。
もしこれを実行すると、どうなると思うか?

米兵となっていた連中の大半が、仕事もなくあぶれることになる。新たな仕事を見つけられないと、失業者として兵士の能力を別な方向に遺憾なく発揮してくれるようになるかもしれない。凶悪な犯罪者になりかねない、ということだろうね。ランボーを観たことはあるだろう?
米国が軍事力に拘るのは、そうした事情があるからであろう。これらを捨て去るとなれば、それにとって替わるだけの巨大産業の出現を必要とするからだ。米国にそんな産業の創造力があるのだろうか?米兵を辞めて、別な仕事を供給できるほどに仕事を生み出せるのか?

参考までに、ありがたい経済学理論に従えば、そんな心配は無用だ。
給料を下げればいい、解雇自由になっていればいい、ということだそうだから(笑)。米国式の労働市場を見習え、と散々説教を垂れる経済学者は後を絶たないので、米国で軍隊の大半が消滅したとしても失業者が溢れかえる、なんてことはきっと起こらないのだろう(笑)。実際やってもらえばいい。論より証拠、だ。



米国が軍事力でもなく、経済支配でもない、新たな立場―世界中がリーダーと認めるだけの立場―を見出すことができるなら、世界の枠組みには大きな変化はないであろう。しかし、今の世界では、米国をリーダーとするこれまでの枠組み以外の、もっと別な体制を模索しているというのが現状なのではないか。仏独をはじめ、中国、インド、ロシアやブラジルといった新興諸国等々、それぞれがこれまでとは違った枠組みを求めているように思われるのだ。それらの国々以外にも、イスラム教国の大国や強力な同盟関係国が登場してくるかもしれないし、もっと別な新興勢力が台頭してくるやもしれない。対抗勢力を結集することは、歴史上繰り返し起こってきたので、とりわけ難しいわけではないからね。


彼らがそうした枠組みを見つけ出す前に、米国自身が自分のアイデンティティを確立できるかどうか、という競争になっているのではないかと思う。

とりあえず、最近の米国のご提案は、「米中という新たな2国体制」というものに当面は期待したい、というものであろう。それも今後20年持つかどうかは疑問ではあるが。中国の経済成長の伸びが停滞してゆくのは確実なので、その前までには別な枠組みを探し当てるより他にないだろう。