民主党の公約、更には、「ムダなダム」「無駄な公共事業」の象徴と位置付けていることが、この問題を複雑にしてしまうであろう。前原大臣は、就任直後の意気込みとか気負いのようなものがあるのであるから、「逸る気持ちを抑えてくれ」というのは難しいことなのかもしれない。しかし、最も優先して考えるべきことは「一体何か」ということを、もう一度原点に立ち返って熟慮してもらいたいと思う。
><八ッ場ダム>自治体負担「返還」 国交相、治水費含め検討(毎日新聞) - Yahooニュース
①最も大事なのは、今、住んでいる地元民の方々の”気持ち”
過去の大型公共事業を巡る複雑な経緯というのは、数々の悲劇を生んできたことは間違いないだろう。映画などの題材としても取り上げられたりしてきた。水没する村の人々にとっては、「国が故郷(ふるさと)を強引に奪う」ということには変わりがないのだ。そういう苦渋の選択を強いてきたのだ。これは、ダムに限らず、空港であろうと、基地であろうと、或いは原子力施設であろうと、大きな違いはないかもしれない。
たとえ大勢の国民の役に立つ施設であったとしても、当該地域の人々にとっては、辛く悲しい物語があることには違いないのだ。
現実に戻って、現在の八ッ場ダムについて考えると、既に50年以上に及ぶ「ダム闘争」を経て今の姿に落ちついてきたのであれば、今後にも「新たな闘争」を住民に強いるのは、余りに酷ではないのか。優先されるべきは、民主党の主義主張の為の「道具」とされることなのか?
民主党の公約を優先するということになれば、それは、当該地域住民の意思を踏み台にして、「無駄の象徴」としてのダム工事を止めるだけの人柱とされてしまう、ということなのだよ。それは、本当に地域住民の望んでいることなのか。闘争に疲れ果てた住民たちに、次なる刻苦を強いることが、本当に国のやるべき政策なのか?
よく考えるべきではないか。
まず住民の意思や意見を聞くべきではないのか。
②何を目的に「ダムを止める」のか
八ッ場ダムの費用分析について考えると、事業を継続した場合と中止した場合の「持ち出し額」がどちらが大きいのか、ということが基本にある。これは、割と早く数字が出せるのではないか。ただ、この場合に将来時点での「維持・管理・修繕」関連コストを見込むということになると、殆ど全ての事業で「赤字」が予想されるだろう。何故なら、無限の将来まで維持するということが計算の前提になってしまうからである。もし、そうした費用も見込むということになると、将来時点での便益についても「正しく計上」する必要が出てくるであろう。
本当に、そんな計算が可能なのであろうか?
便益を数字に置き換えると共に、「それが存在することによる利益」を正確に計算せねばならず、困難な作業といわざるを得ないであろう。
現状の議論を見ている限り、「公約だから」という理由で、どうしても中止という意見を補強する為だけに用いられているロジックや数字ではないかと思う。もっと素直に、数字を見るべきではないか。事業継続よりも、中止の方が金額的に大きくなってしまうのであれば、そこは譲歩する余地というものがあってしかるべきではないか。
③「ムダなダム」は総体で考えるのが望ましい
たとえ八ッ場ダムが中止されない場合があるとしても、それで「ムダなダム」を認めるということにはならないだろう。
ダム事業全体のあり方というものについて、切り込める余地は大きいので、今後着手する事業については、それこそ「大ナタ」を振るうことがあって当然だろう。調査費などの名目で予算計上されている、実質的な内輪での分捕りみたいなものは切れるし、まだ計画の緒についただけの事業などはいくらでも見直せる。
そうした事業全体の見直しによって、大幅なカットは不可能ではないだろう。
もう一点は、八ッ場ダムを中止しない場合でも、「最も費用を小さくできる方法」を探して、投入費用を計画よりも低く抑えれば、それは意味があることなのだ。景気対策という観点からすると、公共事業は必ずしも否定されるべきものでもなく、ある意味においては「景気対策費」としての効果も期待されないわけではない。なので、無理矢理に中止することよりも、「このケースをどのように生かすのか」ということを考えた方がよい。
国交大臣の「強権」を用いたい、ということならば、仮に「八ッ場ダム工事が終了するまでは、他のダム事業を凍結する」ということを要求してもいいのだ。あっちこっちで延々と工期ばかり長引くのを止めて、集中的に八ッ場ダムを完成までこぎつけ、それが終わるまでは他の工事をさせないぞ、というくらいの意気込みということです。現実にそれがどの程度可能なのか、というのは判らないが、黒部ダムよりも工期が長い、とかっていう話は、明らかにオカシイわけで。工期が短縮されると、多くの場合に工賃は下がる、ということがあるのではないかと思うが、いかがであろうか?
そういう工夫ができるのであれば、ダム事業全体で「費用圧縮」に取り組めるはずだろう。できるだけ、貫徹した仕事の中なかから、次への参考となるものが多くなるはずなので、そういうのを活かせる仕組みに変えてゆく方がいい。これこそ、鳩山総理のOR的思考法というものなのではないか。
あまりに八ッ場ダムにこだわり過ぎると、是が非でも中止せねばならない、ということになって、問題自体が大きくなってゆくだろう。そうまでして達成せねばならない政策とは思われないが。
政権の命運を懸けるほどの問題ではないはずなのに、余計なところに力みすぎると大きな痛手となることを覚悟せねばならなくなるであろう。
><八ッ場ダム>自治体負担「返還」 国交相、治水費含め検討(毎日新聞) - Yahooニュース
①最も大事なのは、今、住んでいる地元民の方々の”気持ち”
過去の大型公共事業を巡る複雑な経緯というのは、数々の悲劇を生んできたことは間違いないだろう。映画などの題材としても取り上げられたりしてきた。水没する村の人々にとっては、「国が故郷(ふるさと)を強引に奪う」ということには変わりがないのだ。そういう苦渋の選択を強いてきたのだ。これは、ダムに限らず、空港であろうと、基地であろうと、或いは原子力施設であろうと、大きな違いはないかもしれない。
たとえ大勢の国民の役に立つ施設であったとしても、当該地域の人々にとっては、辛く悲しい物語があることには違いないのだ。
現実に戻って、現在の八ッ場ダムについて考えると、既に50年以上に及ぶ「ダム闘争」を経て今の姿に落ちついてきたのであれば、今後にも「新たな闘争」を住民に強いるのは、余りに酷ではないのか。優先されるべきは、民主党の主義主張の為の「道具」とされることなのか?
民主党の公約を優先するということになれば、それは、当該地域住民の意思を踏み台にして、「無駄の象徴」としてのダム工事を止めるだけの人柱とされてしまう、ということなのだよ。それは、本当に地域住民の望んでいることなのか。闘争に疲れ果てた住民たちに、次なる刻苦を強いることが、本当に国のやるべき政策なのか?
よく考えるべきではないか。
まず住民の意思や意見を聞くべきではないのか。
②何を目的に「ダムを止める」のか
八ッ場ダムの費用分析について考えると、事業を継続した場合と中止した場合の「持ち出し額」がどちらが大きいのか、ということが基本にある。これは、割と早く数字が出せるのではないか。ただ、この場合に将来時点での「維持・管理・修繕」関連コストを見込むということになると、殆ど全ての事業で「赤字」が予想されるだろう。何故なら、無限の将来まで維持するということが計算の前提になってしまうからである。もし、そうした費用も見込むということになると、将来時点での便益についても「正しく計上」する必要が出てくるであろう。
本当に、そんな計算が可能なのであろうか?
便益を数字に置き換えると共に、「それが存在することによる利益」を正確に計算せねばならず、困難な作業といわざるを得ないであろう。
現状の議論を見ている限り、「公約だから」という理由で、どうしても中止という意見を補強する為だけに用いられているロジックや数字ではないかと思う。もっと素直に、数字を見るべきではないか。事業継続よりも、中止の方が金額的に大きくなってしまうのであれば、そこは譲歩する余地というものがあってしかるべきではないか。
③「ムダなダム」は総体で考えるのが望ましい
たとえ八ッ場ダムが中止されない場合があるとしても、それで「ムダなダム」を認めるということにはならないだろう。
ダム事業全体のあり方というものについて、切り込める余地は大きいので、今後着手する事業については、それこそ「大ナタ」を振るうことがあって当然だろう。調査費などの名目で予算計上されている、実質的な内輪での分捕りみたいなものは切れるし、まだ計画の緒についただけの事業などはいくらでも見直せる。
そうした事業全体の見直しによって、大幅なカットは不可能ではないだろう。
もう一点は、八ッ場ダムを中止しない場合でも、「最も費用を小さくできる方法」を探して、投入費用を計画よりも低く抑えれば、それは意味があることなのだ。景気対策という観点からすると、公共事業は必ずしも否定されるべきものでもなく、ある意味においては「景気対策費」としての効果も期待されないわけではない。なので、無理矢理に中止することよりも、「このケースをどのように生かすのか」ということを考えた方がよい。
国交大臣の「強権」を用いたい、ということならば、仮に「八ッ場ダム工事が終了するまでは、他のダム事業を凍結する」ということを要求してもいいのだ。あっちこっちで延々と工期ばかり長引くのを止めて、集中的に八ッ場ダムを完成までこぎつけ、それが終わるまでは他の工事をさせないぞ、というくらいの意気込みということです。現実にそれがどの程度可能なのか、というのは判らないが、黒部ダムよりも工期が長い、とかっていう話は、明らかにオカシイわけで。工期が短縮されると、多くの場合に工賃は下がる、ということがあるのではないかと思うが、いかがであろうか?
そういう工夫ができるのであれば、ダム事業全体で「費用圧縮」に取り組めるはずだろう。できるだけ、貫徹した仕事の中なかから、次への参考となるものが多くなるはずなので、そういうのを活かせる仕組みに変えてゆく方がいい。これこそ、鳩山総理のOR的思考法というものなのではないか。
あまりに八ッ場ダムにこだわり過ぎると、是が非でも中止せねばならない、ということになって、問題自体が大きくなってゆくだろう。そうまでして達成せねばならない政策とは思われないが。
政権の命運を懸けるほどの問題ではないはずなのに、余計なところに力みすぎると大きな痛手となることを覚悟せねばならなくなるであろう。