第一安倍内閣か第二次安倍内閣の時だったかは記憶は薄れているのだが、少なくとも安倍晋三が「私の内閣で憲法を改正する」と公言してから、にわかにいわゆる「護憲派」の動きが活発になり、当時は若き憲法学者で分かりやすく解説する東京都立大教授の木村草太がメディアに引っ張りだこであった。
その後はしばらくメディアも憲法問題を大きく取り上げることはなく、オジサンも「木村草太」の名前が頭から薄れていた。
ところが、先日別の情報調査で「沖縄タイムス」のサイトを覗いていたところ、【木村草太の憲法の新手】というコラムに遭遇した。
内容的には、きわめて学者らしく理詰めで現状の改憲の動きを分析していた。
「【木村草太の憲法の新手】(180) 衆参で3分の2勢力 2つの改憲案 実現は困難 具体的課題 見極め必要」
7月10日に参議院選挙が行われ、いわゆる改憲勢力が衆参両院で総議員の3分の2を占めることとなった。岸田文雄首相は翌11日の記者会見で、「できる限り早く発議に至る取り組みを進めていく」と述べた。今後、改憲論議も活発化する可能性があるので、現状を整理したい。 まず確認すべきは、「改憲」などという政治課題は存在しないという点だ。あるとすれば、「改憲しなければ実現できない具体的な課題」だ。「憲法裁判所設置勢力」や「合区解消勢力」はありえても、漠然とした「改憲勢力」なるものに実体はない。具体的な改憲案への合意がない中での「改憲勢力」では、今後の行方は不透明だ。 現在、特に注目されている改憲案は、(1)自衛隊明記と(2)緊急事態条項の二つだ。しかし、この2点については、考えれば考えるほど、実現は困難そうだ。 まず、(1)自衛隊明記は、自衛隊の任務の範囲をどう書くかが難しい。条文に「自衛隊」と書くだけで、その任務が定まっていなければ、国民が自衛隊に何を授権したのか不明なままだ。2014~15年に制定された安保法制を前提にするなら、「集団的自衛権に基づく武力行使」を任務に明示する必要がある。つまり、国民投票の争点は、自衛隊明記ではなく、集団的自衛権明記の是非となる。 安保法制への激しい反対を想起すると、国民投票で否決される可能性も十分にあり、安保法制が揺らぐ。現政権としては、積極的にやりたい国民投票ではないだろう。 次に、(2)緊急事態条項について。自民党は12年の自民党草案で、内閣に一時的な独裁権を付与する案を提示した。さすがに批判が強かったようで、現在は、緊急時に法律があらかじめ定めた範囲で政令を作る旨の提案となっている。ただ、法律の範囲内の政令制定は、現行憲法でも認められている。これでは何のための案か分からない。 もう一つの緊急事態条項は、地震などの緊急事態の折、首相や国会議員の判断で国会議員の任期を延長できるとする案だ。しかし、任期延長の判断を首相や議員自身に任せるのは、いわゆる「お手盛りの危険」が高い。3年ごとに半数改選される参議院の緊急集会で対応できないとも思えない。 では、改憲しなければ実現できない具体的な課題はあるのか。議論すべきは、「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定める憲法53条後段の機能不全だろう。 近年、自民党政権下で、野党による国会召集要求にもかかわらず、数カ月も放置される事例が積み重なっている。自民党には、この状況を改善する責任があるはずだ。 この点、12年の自民党草案には、憲法53条に「20日以内」という期限の定めを付加する提案があった。しかし、最近の自民党選挙公約からはこの提案が消え、この問題についてはすっかり「護憲勢力」になってしまった。これは非常に残念だ。 今後、改憲論議を追う際には、「改憲しなければ実現できない具体的な課題があるか」、「その課題を解決するために、適切な提案になっているか」を見極めてほしい。 |
確かに多くのメディアは国会の議席数から「改憲派が2/3を占める」ことだけを強調し過ぎで、年内にも改憲発議が行われるかのような煽り記事もあった。
しかし木村草太によれば、「改憲」などという政治課題は存在しないどころか、漠然とした「改憲勢力」なるものに実体はないという。
要するに国民にとって「改憲しなければ実現できない具体的な課題があるか」否かであり、単なる「改憲に賛成か反対か」という世論調査も全く無意味なことなのであろう。
ところで、2日前に予定より早い「内閣改造により自民党の清和会も骨抜きになるのか」とつぶやいた。
かなり自民党内でも動揺と反発が出ていたらしいのだが、20年ほど前にオジサンもブログで度々引用していた元TBS記者だったジャーナリストの田中良紹が「フーテン老人世直し録」という有料記事で内閣・党役員人事の前倒しについてはこんな見方を開陳していた。
「内閣・党役員人事の前倒しは岸田総理の『焦り』と『逃げ』
最高権力者である内閣総理大臣の権力とは、つまるところ「解散権」と「人事権」に尽きる。衆議院解散と閣僚人事、そしてそれに伴う与党の党役員人事は、総理大臣にならないと行使できない。だから総理大臣は窮地に陥ると、衆議院解散か、内閣改造・党役員人事を考える。 その権力行使よって求心力を高めようとするが、同時にそれにはリスクも伴う。解散権を行使して選挙に敗れれば野党に権力を奪われ、内閣改造・党役員人事が不評だと、それが党内抗争を引き起こし、権力を失うきっかけになる。 岸田総理は臨時国会最終日の5日、当初9月上旬と言われていた内閣改造・党役員人事を1か月前倒しにして、来週10日に行う考えを明らかにした。突然の前倒しに自民党内は騒然となった。 フーテンは岸田総理が安倍元総理の国葬をいち早く決めた時から、やることすべてが思い通りにいかず、焦りがあることを感じていた。だから人事の1か月前倒しを聞いて、焦りを告白したようなものだと思った。 要するに岸田政権は9月上旬まで人事をやらないと政権運営が難しくなるのである。それは旧統一教会と自民党との関係が明るみに出て、それが底なし沼の様相を帯びてきた。通常の内閣人事では、官邸が入閣候補者の「身体検査」を行う。入閣させた後に旧統一教会との関係が明るみに出れば、任命した岸田総理が「任命責任」を問われる。 それを避けるため、「身体検査」を自己申告制にして「責任」を免れ、もう一方では旧統一教会との関係が密な最大派閥の安倍派からの入閣要請を制約しようとする狙いがある。そのため発表から5日後に人事を行うという異例の展開となった。 こうなると旧統一教会とかかわりがあった自民党議員は自ら入閣を辞退せざるを得ない。そうやってふるいにかけ、旧統一教会と関係のなかった議員だけで組閣をする。人事といっても権力行使とは言えない「逃げ」のやり方だ。それで適材適所の組閣が出来るのか、党内の不満は抑えられるのか、結果を注視することにしたい。 岸田総理は7月14日の記者会見で、選挙遊説中に銃撃され死亡した安倍元総理を「国葬」にすると発表した。吉田茂元総理以来55年ぶりという「国葬」は異例中の異例である。周囲には慎重論もあったが岸田総理が押し切った。 岸田総理はその3日前にも安倍元総理に戦後4人目となる最高位の勲章を授けることを決めた。そして「国葬」にする理由を、憲政史上最長の任期を務めたこと、経済再生や日米同盟強化などの実績、さらに外国から数多くの弔意が寄せられたことを挙げた。 その直後にフーテンは「なぜ早いタイミングで国葬を決めたのか。何をそんなに焦っているのか」とブログに書いた。岸田総理が挙げた「国葬」の理由はいずれも理由にならず、しかも決めたタイミングが早すぎると思ったからだ。 何度も書いたが、戦前に8年以上も総理を務めた桂太郎元総理は国葬の対象になっていない。だから在位期間は国葬の理由にならない。また安倍元総理の経済・外交政策の評価はまだ定まっておらず、これも理由にならない。 海外から弔詞が多く寄せられたのは事実だが、民主主義を否定する「政治的暗殺」と報道されたからだ。ところが「旧統一教会」が絡んだ事件と分かってきたから事情は異なる。民主主義の否定ではなく、安倍元総理とカルト教団との関係に焦点が移った。それなのに早々に「国葬」を決めたのは、焦りとしか思えない。 何の焦りか。参議院選挙をメディアは「与党大勝」と報道したが、自民党は比例の獲得票数を安倍政権時代より600万票減らした。安倍総理支持の「岩盤支持層」が自民党から逃げ出したことを意味する。これを繋ぎ留めるには、自分が安倍総理の遺志を継ぐ人間であることを見せつけなければならない。 そのため岸田総理は、安倍元総理に最高位の勲章を贈り、「国葬」の対象にし、さらに「遺志を継いで憲法改正や拉致問題解決に全力を挙げる」と言い続けざるを得なくなった。それは誰かが安倍元総理の後継者と認知されたら、自分の権力はなくなると考える恐怖心の現われでもある。 最大派閥の安倍派にそれらしき人物はいないが、安倍元総理を官房長官として支えた菅前総理には、安倍元総理の後継者足り得る要素がある。事件直後に菅前総理は現場に向かい、安倍元総理の遺体と対面した。それも安倍後継を意識した動きに映る。岸田総理周辺から菅前総理取り込み策が漏れてくるのは、一連の動きと同一線上にある。 フーテンの目から見ると、岸田総理は最大のライバル安倍元総理がいなくなったことで、自分の政治をじっくり腰を落ち着けて練り直すより、安倍元総理の後継者が現れぬようにしながら、自分を安倍元総理の後継者と見せることに必死である。まるで安倍元総理の亡霊に憑りつかれているようだ。 考えてみれば岸田総理の政治は、最初から「アンチ安倍」のように見せるが、実は安倍政治の継承をやってきた。例えば「アベノミクス」に対抗するかのように「新しい資本主義」を掲げた。しかし中身はよく分からない。 それがうすうす「アベノミクス」の継承だと分かってきた。しかしうすうすなので、やはり「新しい資本主義」の中身はよく分からない。その一方、安倍派の政治とは真っ向から対立した宏池会の継承者のそぶりもする。しかしこれもどこまで本気で宏池会政治を継承するのか分からない。 宏池会の創立者である池田勇人元総理の国家戦略「所得倍増計画」をもじって「資産倍増計画」を打ち出し、同じく宏池会の大平正芳元総理の国家戦略「田園都市国家構想」をもじって「デジタル田園都市国家構想」を言うが、ただの言葉遊びで、国民は誰もそれが国家戦略だとは思っていない。 それより岸田総理は「安倍元総理の遺志を継ぐ」と発言しているのだから、宏池会の「軽武装、経済重視」路線をどうするのか、継承するのか、あるいは発展させて異なる戦略を描くのか、それも分からない。フーテンから見ると岸田政権の権力の中心は「真空」なのである。 岸田総理は安倍元総理を意識し、外交面で米国のトランプ前大統領の天敵であるバイデン大統領と緊密な関係を築こうとした。そのためバイデン大統領が中間選挙での敗北を免れるため、ウクライナのゼレンスキー大統領を使ってロシアのプーチン大統領を挑発し起こさせたウクライナ戦争で、反プーチンの姿勢を強調した。以下省略 |
よく「党利党略」という言葉はしばしば耳にするが、組織のトップとなれば己以外に信用できる人物はいないのが普通なので、最終的にはどんな思い切った政権運営も「私利私欲」になってしまう。
田中良紹が、「第一次政権の時とは打って変わって安倍元総理は政治家らしく悪さを増した。それが一方ではひずみをも大きくする。
自分の後継者を作らなかったことは安倍元総理の欲望が尽きていないことを示している。その欲望によって自民党内にひずみが生まれた。そのひずみが解消されないまま、旧統一教会によって人生を狂わされた山上容疑者の突然の銃撃によって、安倍元総理がポケットマネーのように意のままにしてきた旧統一教会の集票の実態に光が当たり、国民の目に晒された。」と徹底的に安倍晋三を解剖していた。
「安倍晋三元総理とは何者だったのだろうか」
7月28日に北海道テレビが放送した伊達忠一前参議院議長の発言は衝撃的だった。安倍元総理が旧統一教会の組織票の取りまとめを一手に引き受けている様子が生々しく語られたからだ。 伊達前議長は北海道で臨床検査技師を務めていたが、北海道議会議員を経て2001年に参議院議員に初当選した。参議院国対委員長や参議院幹事長を務めた後、2016年に参議院議長に選出され、2019年の参議院選挙には出馬せず政界を引退した。 その伊達前議長は2016年の参議院選挙に、長野県で臨床検査技師をしていた宮島喜文氏を日本臨床衛生検査技師会の組織内候補として立候補させた。しかし組織票が十分でなかったため安倍元総理と面会し、旧統一教会票を回してもらうよう依頼した。 すると安倍元総理は「わかりました。そしたらちょっと頼んでアレ(支援)しましょう」と言ってくれた。結果、宮島候補は当選した。ところが今年の参議院選挙で宮島候補が自民党の公認を得ていたにもかかわらず、安倍元総理から「悪いけど勘弁してくれ。井上をアレ(支援)する」と言われ、宮島氏は公認を辞退し、安倍元総理の元首席秘書官であった井上義行氏が旧統一教会の支援を受けることになったのである。 伊達前議長は2019年7月に政界を引退した後の10月、旧統一教会関連団体「天宙平和連合(UPF)」の会合に来賓として出席、翌20年にも2月と8月に旧統一教会のイベントに参加し、今年2月には関連団体がソウルで開いた会合でもオンラインで演説を行った。宮島氏の当選のお礼として参加したと伊達前議長は語っている。 安倍元総理は2013年の参議院選挙には、産経新聞社の政治部長であった北村経夫氏を立候補させ、旧統一教会の支援で当選させ、16年の宮島氏の次の19年には再び北村氏を旧統一教会の支援で当選させた。 そして今年の参議院選挙では宮島氏の支援を断り、かつての秘書官である井上氏に旧統一教会の支援を回したのである。そのため宮島氏は出馬断念を余儀なくされた。 伊達前議長の話やこうした経緯を見ると、安倍元総理は旧統一教会の支援をいわばポケットマネーのように意のままにできるのだ。そして旧統一教会だけでなく、安倍元総理には「日本会議」や全国の神社の元締めである神社本庁もバックにいると言われてきた。 「日本会議」は宗教団体ではないが、イデオロギー集団として固い集票マシーンとなる。また日本には約8万の神社が存在すると言われ、5万軒と言われるコンビニの数を上回る。それを束ねているのが神社本庁でこちらも集票マシーンになる。 このように見てくると安倍元総理は、自民党の集票マシーンとして固い宗教とイデオロギー分野での「総元締め」ではなかったかと思えてくるのである。 私が初めて安倍元総理に会ったのは、まだ当選2回の「社労族」と呼ばれていた新人議員の時代である。「社労族」とは社会福祉や社会保障政策を専門にする議員で、当時の厚生省や労働省と渡り合った。安倍元総理は福祉を専門にする議員としてスタートした。 当時の私はCS放送で「国会TV」というチャンネルを運営し、昼間は国会審議を中継、夜は国会議員をスタジオに呼んで、視聴者に質問させる生番組を放送していた。毎夜、大物から新人まで次々に議員を招いた中に安倍氏もいた。 「社労族」として社会保障政策について話を聞いたのだが、真面目一方の話し方で政治家らしくなく、記憶に残る言葉のない、印象薄い議員だった。それは小泉元総理が安倍元総理を後継者に抜擢してからも続いた。 直情径行一本で練れた感じがしない。なぜ小泉元総理が自分の後継者に選んだのか不思議だった。小泉元総理は「拉致問題」で国民に人気があったからだと言い、それ以外には「気後れしないところを評価した」と言った。 確かにトランプ前米大統領とのゴルフを見ても、相手とは比べようがないほど下手なのに、まったく気後れせずにプレイしていたのはある種の才能だと思う。しかし安倍元総理が第一次政権で、自民党から除名された郵政民営化反対議員を復党させたことで小泉元総理は激怒し、2人の関係は表には見せないが微妙なものになった。 そして安倍元総理の政治能力のなさに驚いたのは、2007年の参議院選挙で大敗したのに続投を表明したことだ。それまで参議院選挙で敗れた総理は2人しかいなかったが、宇野宗祐元総理も橋本龍太郎元総理も参議院選挙で敗れると直ちに退陣した。 敗北の責任を取る意味もあるが、参議院で過半数の議席を失うと衆参「ねじれ」が生じ、政権運営は絶望的になるからだ。その政治の裏表を安倍元総理は知らないと私は思った。すると自民党の中から引きずり降ろしが始まる。やり方は実に巧妙だった。安倍元総理を引きずり降ろすようには見せず、辞めざるを得なくしたのである。 安倍元総理は、海上自衛隊がインド洋で米軍に給油活動を行うことを国際公約していた。それを可能にする法律には10月末という期限があった。秋の臨時国会で法律を延長しなければ活動を継続できない。しかし「ねじれ」が生まれたので延長は難しい。 唯一の方法は、8月中に衆議院で可決して参議院に送り、参議院で棚ざらしにされても60日後には衆議院に戻し再可決することだ。ところが閣僚人事の「身体検査」に時間がかかるという声がどこからか出てきた。8月の国会開会は無理だと言われた。 当時の井上義行首席秘書官が必死になってマスコミに8月国会開会の記事を書かせたが、二階俊博国対委員長は頑として開会を認めなかった。これで安倍元総理は11月1日に海上自衛隊に帰国命令を出さざるを得なくなる。安倍元総理は「国際的嘘つき」の汚名を背負うことになった。 秋の臨時国会が開かれ、安倍元総理は所信表明演説を行ったが、心ここにあらずの感じだった。翌日、突然退陣表明の記者会見を開き、「このままでは政治が混乱する」と言った。国民には何が何だか分からなかったと思う。与謝野馨官房長官が「病気」と助け舟を出し、表向きは病気での退陣となった。お粗末な退陣劇であった。 ところがそれから5年後に安倍元総理は奇跡のカムバックを果たす。なぜカムバックできたのかを読み解く。小泉元総理の「郵政解散」に国民は幻惑され、自民党は一時的に選挙での獲得票数を増やしたが、新自由主義的政策は地方に痛みを与え、それが旧来の自民党支持者の自民党離れを生む。 そこに小沢一郎氏率いる民主党が食い込んだ。「国民の生活が第一」という路線でかつての自民党支持者を取り込む。自民党の中枢にいた小沢一郎氏や羽田孜氏は自民党支持者に安心感を与え、2009年の衆議院選挙ではそれまで自民党を支持していた業界団体が農協以外はすべて民主党支持に回った。 民主党は無党派層に訴える風頼みの選挙をやったのではない。建設業界も医師会もあらゆる団体が支持に回ったからこそ政権交代ができた。比例の民主党の獲得票数は約3000万票、自民党は1800万票だった。そしてそれ以降も自民党の獲得票数は減り続ける。 しかし自民党は民主党の菅直人政権の無能に助けられた。2010年の参議院選挙で民主党は1100万票減らして1845万票、自民党は480万票減らしたが1407万票で、議席数で自公は過半数を制し「ねじれ」が生まれて菅直人政権は「死に体」になった。 ところが菅総理は第一次政権の安倍元総理と同じように総理を辞めなかった。そして民主党には自民党のように巧妙な手段で総理を引きずり降ろす知恵者もいなかった。その挙句、民主党は2012年の衆議院選挙で比例票はわずか962万票、政権獲得した時の3分の1に激減する。 にもかかわらず民主党には危機感がない。しかし自民党は減り続ける獲得票を見て危機感を抱いた。どんなことがあっても選挙に勝つ方法を考える。集票力が確かな宗教票とイデオロギー票を取り込める人物をリーダーに担ぐことだ。安倍元総理に再び光が当てられたのはそのためだと思う。 2012年の自民党総裁選で安倍元総理が勝つ可能性は大きくなかった。自分が所属する派閥のトップである町村信孝氏が出馬し、国民に人気のある石破茂氏も出馬した。森元総理は石原伸晃氏を応援した。しかし終盤で町村氏が病に倒れ、それが総裁選勝利につながる。町村氏の病気がなければ、安倍元総理勝利はなかったかもしれない。その場合は自民党を出て維新と合流することになっていた。 しかし運命は安倍元総理に微笑む。自民党を出ることなく、自民党の集票マシーンの中の宗教とイデオロギー分野で票の差配を取り仕切ることになった。そして危機感のない野党のおかげもあり、解散権を自在に行使することで、6戦6勝という選挙結果をものにした。 この選挙結果が経済政策でも外交政策でも他から文句を言わせない強固な体制を作る。ひ弱な第一次政権の時とは打って変わって安倍元総理は政治家らしく悪さを増した。それが一方ではひずみをも大きくする。 自分の後継者を作らなかったことは安倍元総理の欲望が尽きていないことを示している。その欲望によって自民党内にひずみが生まれた。そのひずみが解消されないまま、旧統一教会によって人生を狂わされた山上容疑者の突然の銃撃によって、安倍元総理がポケットマネーのように意のままにしてきた旧統一教会の集票の実態に光が当たり、国民の目に晒された。 この突然の事態は突然であるだけに誰も対応できない。自民党の底流にあった闇が浮かび上がってきたが、誰もどうしてよいのか分からない。世界はウクライナ戦争によって先進国と新興国との対立が鮮明となり、下剋上が始まったかに見えるが、日本政治もまた銃弾が安倍元総理の存在を消し去ったことで、大いなる混迷が襲い掛かってくるように思えるのである。 |
世の中の勤労者たちは今週末から「夏季休暇」に入れるらしいが、少なくとも自民党の入閣待望者らは、旧統一教会の「甘い蜜」の恩恵を完全に清算することが急務で、夏休みどころではないだろう、とオジサンは思う。
最後に、「安倍国葬」に関するこんな声を紹介しておく。
《内閣や自民党幹部が、安倍元首相の死後、すぐさま『国葬に』と口にしたものの、昭恵夫人の意志を確認していなかったこと、そもそも安倍家が国葬に難色を示していること》☜ここは重要、国葬実施の閣議決定を取消すとすれば、「昭恵夫人の意思」が"唯一の理由https://t.co/PHjXlZSGFT
— 郷原信郎【長いものには巻かれない・権力と戦う弁護士】 (@nobuogohara) August 7, 2022
「弔意を国全体として示すことが適切」 と首相。
— 志位和夫 (@shiikazuo) August 6, 2022
弔意を示すか、示さないかは、内心の自由にゆだねられるべきで、「国全体として示す」ことになれば内心の自由の侵害になりかねないと批判している。首相には日本語が通じないのか?https://t.co/sYSu9qCrmT