新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

選挙で当選したから禊が済んだことにはならない斎藤被疑者

2024年11月21日 11時52分50秒 | 公務員不祥事

1週間ほど「俗世間」から離れた生活をしてきたので、最初は「俗ポイ」記事から紹介する。
 
国民民主党・玉木雄一郎だけではない。危機管理ができない連中の化けの皮がはがれてきた【適菜収】
 

玉木雄一郎、松本人志、三浦瑠麗……。ドツボにはまった連中にとって、コンプライアンスとは何を意味するのか? 瑠麗曰く「細かな事実に関しても、人間は記憶が修正されがちです」。もはや自虐ネタしか残されていないのか。新刊『自民党の大罪』(祥伝社新書)で平成元年以降、30年以上かけて、自民党が腐っていった過程を描写した適菜収氏の「だから何度も言ったのに」第75回。
■やる気、元気、タマキン!
  私は当初、石破茂が自民党総裁に選ばれるとは思っていなかった。日米地位協定の改定に言及し、自民党のいかがわしい改憲案を批判してきた石破には、敵が多すぎるだろうと。それならば、アメリカにとっては使いやすい裏に菅義偉がいる小泉進次郎になるのではないかと。
 実際、総裁就任後、石破は身動きが取れなくなっているようにも見える。総裁選で言っていたことも、撤回したのか撤回させられたのか、手の平返しの数々。
健康保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化する時期を見直す可能性について「あるだろう」と発言していたが、「法に定められたスケジュールで進めていく」と転換。「選択的夫婦別姓制度」の導入については、「やらない理由がわからない」から「必要な検討を行っていきたい」にトーンダウンした。
    *
 では石破が言及することが多い憲法と防衛問題についてはどうか。
 石破は著書『保守政治家 わが政策、わが天命』で、戦力不保持をうたった9条2項を削除した上で、現在の自衛隊を「国防軍」に改め憲法に明記すべきと述べている。
一方、党内(特に安倍晋三周辺一味)は、9条1項(戦争放棄)、2項(戦力の不保持と交戦権の否認)を残しながら、3項を新たに設け、自衛隊の存在を明記すると支離滅裂なことを言ってきた。戦力の不保持をうたった後に戦力の保持を書き込む。整合性のカケラもない。アホにも限度があるが、これでは憲法は確実に空洞化する。

 自民党は総選挙で大敗。「改憲勢力」の議席数は衆院の3分の2の議席を下回った。しかも、総選挙の結果を受けた委員長人事で、枝野幸男が憲法審査会長になった。石破がこの流れを想定していたとは思えないが、結果的に日本は破局を逃れることができた。自民党内のカルト勢力や裏金議員の力も少しずつ落ちてきた。
    *
 石破が早急にやらなければならないのは、「自民党内のいかれた勢力による改憲」の阻止と、国会における憲法論議である。
改憲勢力と言えば、怪しい動きを見せてきた国民民主党の玉木雄一郎。元グラドルとの不倫が発覚し、「タマキのタマキンが暴走」と騒ぎになった。「政党の品質保証」という過去のブログ記事も、味わい深い。以下、引用する。
    *

「政党とは何か。」
同じ政治理念、政策を共有する集団ということでしょうが、私は、それ以前に、一定のクオリティ(品質)を満たした人の集団であるべきだと思います。
これは、弁護士や会計士などのように一定の資格試験をクリアーすることを条件にするというよりも、
なので「絶対に、不倫をしない。」
などというように、そもそも政治家として有権者信頼に耐えうる集団であることを、自信をもって約束できる集団であるべきだと思います。
    *
 素晴らしい。存在そのものがコント。
総裁選の結果を受け、統一教会系の「世界日報」は、「玉木氏は若者を一層覚醒させよ」などと書いていた。「国民民主党は20~30代の得票率トップを獲得。政治リテラシー・国民の政治参加の意欲向上に寄与できるか注目だ」とのこと。今回の件でうっかり投票してしまった若者も少しは覚醒すると思う。
■飛んで火に入る三浦瑠麗
 玉木だけではない。危機管理ができない連中の化けの皮がはがれてきた。「ダウンタウン」の松本人志は、「週刊文春」に掲載された、女性に性的な行為を強要したとする記事で名誉を毀損されたとして、発行元の文藝春秋などに対し5億5000万円の損害賠償や記事の訂正による名誉回復を求める裁判を起こしていたが、勝ち目がないと思ったのか、取り下げて、復帰すると言い出した。意味不明。「直接の物的証拠ないと確認」(松本)したというなら、裁判を続ければいいだけの話。
    *
 元テレビ朝日法務部長の西脇亨輔弁護士は松本の異常性を指摘する(「ENCOUNT」)。
 《裁判が始まると、松本氏側は「告発女性の身元を明かせ」と繰り返し要求した。3月に提出された主張書面では、女性の「氏名」「住所」「生年月日」、さらには「携帯電話番号」「LINEアカウント」「容姿が分かる写真」まで明かすように要求。文春側がこれに反発して裁判は空転した》
《その後、さらなる松本氏側の行動として報じられたのが、告発女性への「出廷妨害工作」だった。7月11日発売の週刊文春は、松本氏側の弁護士が探偵を使って性被害を訴えている女性らを尾行。さらに女性側の弁護士に対して「女性を出廷させないように」と要求し、拒否されると「女性との不倫の記事を止めることができる」と脅迫まがいの発言をしたなどと報じられた》
    *
弁護士の伊藤和子は《筆者も弁護士として申し上げると、通常、勝訴の見込みがある事件ではこのような終結はしません。早々に撤退し、ダメージコントロールをはかったように見受けられました》と述べている。
 《週刊文春との訴訟が決着したからと言って、問題は解決したとは言えないでしょう。訴訟は松本氏側が一方的に文春を訴えたもので、文春が訴え取り下げに同意したからと言って、被害告発があった事実がなくなるわけではありません。いわば、問題は訴訟前の振出しに戻っただけであり、性加害報道を受けて、当人、所属事務所、関連企業がどのような対応をすべきなのか、と言う点は、これからの課題として残ります。むしろ、問題をあいまいにすることは許されないというべきではないでしょうか》
    *
弁護士の渡辺輝人は《松本人志が対文春の訴訟取り下げ。文春側に立証責任があるのに、松本人志側が「和解(話し合いによる解決)にすら持ち込めなかった」というのが妥当な評価だろう。この人物を二度とマスコミに出演させるべきではない》とSNSに投稿。
 普通に考えれば誰もがそう思うよね。しかし、思考回路がおかしい人たちは、問題が解決したと思い込み、芸能界復帰などと言い出している。
新しい情報も出てきた。元アイドルの遠藤舞が「直の友人が松本氏らからホテルで性被害を受けています」とSNSに投稿。さらに遠藤は「私も女性であり、セクハラや性被害を受けてきましたが美人局や冤罪は許さないという考えの持ち主です」と述べていた。
    *
 すでに何をやっていた人なのかもわからなくなり、「あの人は今」状態の三浦瑠麗が、この件について、《裁判が終結してよかったと思います。お疲れさまでした。松本さんがやりたかったお笑いを、そして今後のご活動を心より応援しております》とコメント。懲りないねえ。
    *
笑ったのが瑠麗が吉本興業でコンプライアンス研修を担当したという話。「だからこそ、自分は大丈夫だという思い込みは、危険です」だって。瑠麗も「自分は大丈夫」と思い込んでいたんだろうね。どう考えても、「コンプラ研修」を受けなければならない側。
    *
 瑠麗の夫(当時)で投資会社「トライベイキャピタル」の代表の三浦清志は、業務上横領の疑いで逮捕されたが、瑠麗は「私としてはまったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ない」と関与を否定。しかし、「FRIDAY」がトライベイの内部文書を入手し、瑠麗が代表のシンクタンク山猫総合研究所との間でコンサル契約が結ばれていたことを明らかにした。
    *
 「大喪の礼」を読めずに安倍の国葬を語り、「ワシントン・ポスト」と「ワシントン・タイムズ」を間違えながら統一教会をウルトラ擁護してきた瑠麗。コンプライアンスが徹底される社会だったら、真っ先に消える存在だよね。


 
普通の人間ならば、過去に自分が書いた内容と異なる行いをしたところで、精々仲間内でイジラレル程度であろうが、政治家となればまさに「公人」なので、『絶対に、不倫をしない。『などというように、そもそも政治家として有権者信頼に耐えうる集団であることを、自信をもって約束できる集団であるべきだと思います。」という文章が公になれば、政治家としての進退出所進退は自ら判断し負ければマズイだろう。
 
ところで兵庫県議会から不信任を突きつかれ、議会を解散せずに「失職」を選択した斎藤元彦元知事が出直し選挙で多くの県民の支持を集め、当選後に「県職員は公務員として知事に従ってほしい」旨をテレビ゙で話していたが、大きな違和感を感じたのはオジサンだけではなかった。
 
そもそも県知事時代の自分の提案した政策が議会から否定されたわけではないのに、選挙戦では過去の実績を前面に押し出し、あたかも自分は被害者のごとくの振舞で当選したところで、「百条員会」での審議内容がすべてクリアさえれたわけではないのは当然であろう。
 
「『再選の斎藤元彦知事』を京大教授が痛烈批判!『李下に冠を正さず』の精神は如何に蔑ろにされたのか?議会・百条委は「被疑者追及」の覚悟決めよ」 
 
■「選挙結果」と「疑惑の真相」は別問題
「パワハラ疑惑」で辞任に追い込まれた齋藤氏が、この度の兵庫県知事選挙で再選されました。
現下の民主主義制度を採用している我が国では、この結果は重く受け止めねばなりません。少なくとも、齋藤氏は「知事」の要職に就くことが決定されました。そしてその事実を受け止め、これからメディア上の論調や有識者達の発言内容が変わってくるものと予期されます。
(例えば、コチラ
「斎藤元彦氏に泉房穂氏が生番組で謝罪「おわびです。かなり厳しいトーンで…」兵庫県知事再選受け」 
ただし、この結果は、あくまでも「知事を誰にするか」を決定するものであり、言うまでも無いことですが、「当選者に関わる真実」に関わる諸判断がこの決定によって影響を受けるものではなく、そして、受けるようなことがあってはなりません。
本稿では、その一点について検討をしてみたいと思います。
この度の選挙の構図は「既存マスメディアvsSNS」と言われていますが、その件の「事実的経緯」は以下の様なものです(以下の出典は、コチラの情報を基本にとりまとめています。こちらのサイトには、各情報の出典も明記されていますので、これに準拠して以下にその概要を、とりまとめます)。
(1)兵庫県の一職員から、齋藤知事のパワハラを告発する文書が、兵庫県警、報道機関4社、国会議員1名、県議4名、ならびに県庁内の通報窓口に提出された(3月12日付け)。
(2)齋藤知事サイドは、その告発には「事実無根の内容が多々含まれ」ており、かつ、「嘘八百」を含むものであり、その外部告発行為は公務員として不適切な行為だと断罪し、当該告発者を「告訴」する準備を進めている旨を記者会見で発表(3月27日)。その上で当該職員を特定するための徹底調査を庁内で行い、告発者を特定。それと同時に、当該告発者の処分を検討するために「弁護士を入れた内部調査」を開始した事を公表(4月2日)。
(3)その後、同職員から今度は、兵庫県内の公益通報制度を利用し、庁内の窓口に疑惑を通報(4月4日)。
(4)さらにその後、「弁護士を入れた内部調査」を通して、「告発は核心部分において虚偽であり、告発文書は知事や職員に対する誹謗中傷であり、不正行為」と判断し、告発した職員について「停職3カ月の懲戒処分」を決定(5月7日)。
(5)県が実施した調査で、「7人が知事や幹部のパワハラ、6人が知事や幹部への物品供与」を回答で指摘したという結果が公表される(5月9日)。
(6)齋藤氏は、当該告発内容について、「第三者委員会」の設置を表明(5月14日)。またその後、議会が告発内容の真偽を確認する「百条委員会」設置が決定(6月13日)。
(7)記者会見で初めて、齋藤氏は告発内容を「全て否定」(6月20日)。
(8)告発者が「一死をもって抗議する」「百条委員会は最後までやり通してほしい」という一文が入った陳述書を残し、自殺(7月7日)。
(9)齋藤知事は告発内容の一つであった「おねだり」に関連してワインを受け取っていたこと認める(7月19日)。ただしその後、それが「社交辞令の範囲」と釈明(7月24日)。
(10)兵庫県議会は、全会一致で、齋藤氏を不信任を決議し、齋藤氏辞職。その後実施された知事選挙で齋藤氏再選(今に至る)。 
■法的に重要なポイントは「公益通報に該当するか否か」
この一連の経緯で、法的に重要なポイントは、かの告発が「公益通報」に該当するか否か、という点です。もし公益通報であるなら、齋藤知事の「告発者捜し」や「告発者の処分」は公益通報者保護法違反となるからです。
齋藤知事は「告発された側」ですが、その「告発された側」である齋藤知事は、これを「公益通報」ではなく、「斎藤政権にダメージを与える、転覆させるような計画で、選挙で選ばれた知事を地方公務員が排除するのは不正な目的」の文書であると認識する、という立場を取っているようです。そしてその根拠として、片山元副知事は、内部調査の段階で、当該職員のメールに『クーデターを起こす、革命、逃げ切る』というくだりがあったことを挙げています。
しかも、齋藤批判を拡大させた「告発者の自殺」は、告発者の「不倫」の証拠が彼のパソコンに大量に残されており、それが原因なのであって、別に齋藤知事のパワハラが原因なんかじゃ無い、という言説も、選挙期間中、SNSで大いに共有されました。
しかも、そうした情報がSNSでは共有されているのに、既存メディアでは全く報道されていないという点が「炎上」的にネット上で共有され、齋藤知事は『告発者を自殺に追い込んだ悪い為政者だ』という認識から『既存メディアに不当に虐められる被害者だ』という認識へと、ネット世論は変わっていったのでした。
その結果、
「告発者の告発は公益通報の類いではなく、単なる、齋藤政権を潰すための不正なフェイクの告発だ!」
という認識を持つ有権者が多数派を占め、齋藤氏が勝利した、という結果になったのです。
■たとえ公益通報にあたらなくても、齋藤氏の振る舞いが「為政者」として許されない理由
しかし、もし仮にネット上での上記の言説が真実であろうと無かろうと、それとは無関係に齋藤氏の振る舞いはやはり、「為政者」(Govener:知事)として許されざる振る舞いであったと筆者は考えます(無論だからといって、メディアの偏向報道が許容されるべきだとは全く思いませんが、それとこれとは別次元の問題です。ある罪Aを犯した人物がまた別の犯罪Bの被害者であったとしても、その被害を受けたという事実は、罪Aについての免罪することの根拠にはならない、というのと同じ話です。メディアの偏向報道には当方も辟易しており、それはそれでまた別の糾弾論が必要となると考えますが、その件はまた別の機会に論じたいと思います)。
なぜなら、今回告発されているのが「齋藤知事」の本人であるにも関わらず、その当の本人の齋藤知事自身が、「第三者」の意見を取り入れず、自分自身の知事としての権限を使って、本人の権限で「当該の告発はフェイクである」と断罪し、懲戒処分にしてしまっているからです。
この問題の本質はここにあります。
繰り返しになりますが、この当方の判断は、仮にその通報が「公益通報」に法的に該当するものではなく、完全なる不正なフェイクであったことがこれから明らかになったとしても、変わるものではありません。
すなわち、この告発の「動機」が仮に片山副知事が主張するように「齋藤政権を潰すための意図」があったとしても、また、メディアの報道が偏った者であったとしても、さらには、その告発に「嘘」が多数含まれていたとしても、その告発の中に何らかの「真実」が含まれている「可能性」がある限りにおいて、その告発を、知事という強大な自らの権限でもって「断罪」することは、「公益通報者保護法」の精神の下、許されないものだからです。
そして、内部告発がなされた時点(上記の(3)の時点)で、その告発の中に何らかの「真実」が含まれている「可能性」があったことが強く疑われるからです。
それは、「職権濫用」以外の何ものでも有りません。
仮にこの齋藤氏の振る舞いを正当化するとするなら、断罪する時点で「この告発内容は“全て”虚偽である。したがって、如何なる調査を受けようとも、私は無実であり、この告発内容には一片の真実もないことが、その調査が適正である限りにおいて必ず証明できるのだ」といわねばならなかったのです。
ですが彼は、最初の記者会見の席で「虚偽が多い」といったものの「一片の真実も無い」とは断定しなかったのです(彼が言ったのは、「嘘八百を含む」だの「事実無根の内容が多々含まれ(る)」だのといった「一部に嘘がある」という話しであり、「全て嘘だ」とは言っていないのです)。
この時点で、彼の態度は、為政者として許されざるものだったのです。
■兵庫県も「告発に真実が含まれる可能性を排除できない」と認識
しかも、こうした筆者と同様の認識は、齋藤氏が告発内容を記者会見で「嘘八百」「事実無根」という言葉を使って断罪し、法的手段を講ずると宣言する(上記の段階(2))「前」の時点で、「詳細については調査が必要なので申し上げられない」と発言すべきだと進言していた兵庫県内の人事当局も持っていたことが分かります。
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_27385.html
つまり、齋藤知事とは異なる人格を持つ人事当局は、「告発に真実が含まれる可能性を完全に排除できない」という認識を持っていたのです。
さらには、百条委員会の証言によれば、上記(4)の段階で齋藤知事が、告発者の「停職3カ月の懲戒処分」を決定した5月7日の「前」の時点で、『公益通報の結果が出るまでは、処分しないほうがいい』と進言していた県職員もいたとのこと。この県職員も、筆者と全く同じ認識を持っていたと言うことができます。
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_27385.html
これもまた、県庁内の「告発に真実が含まれる可能性を完全に排除できない」という認識を示すものです。
さらに言うなら、齋藤氏は、上記の(9)でもってその告発の内容の「一部」が真実であることを認めているわけですから、「この告発内容は“全て”虚偽である」とは決して言えない状況にあったのです。したがって、今回の件は、齋藤氏は、知事の権限で以て、自らの不適切行為を訴える告発を「完全なる事実無根の嘘の代物」と断罪することは、公益通報制度の理念からして絶対に許されてはならないモノだったのです。
分かり易く言うなら、今回の齋藤知事の振る舞いは「権力者が、自分にとって都合が悪いものの一部は真実も含まれていた告発を、自らの権力でもって『全て虚偽である』という『嘘』をついて、断罪した」という振る舞いになっているのです。
これこそ、一般にメディアでも言われる、彼の「公益通報者保護法違反」を犯した振る舞いなのです。
■齋藤氏は「公益通報者保護法違反の被疑者」
この齋藤知事の「罪」は、その告発の動機の如何によらず、メディアの報道姿勢の偏向性の有無によらず、明確に存在するものであると考えます。
ただし、こうした齋藤氏の違反行為があったのか否かが「行政手続き的」に確定するのは、「百条委員会」の結果が出た後、という事になるのでしょう。なぜなら、百条委員会は告発の内容の真偽に加えて、「この告発が公益通報に該当するか否か」を審査する委員会だからです。
これは言い換えるなら、今、齋藤氏は、「公益通報者保護法違反の被疑者」の立場にあるのです。
それにも関わらず、齋藤氏は出直し選挙に出馬し、多くの人々が「反メディア」を主たる理由として、齋藤氏を当選させてしまったのです。
■齋藤氏には知事の資格はない」と言わざるを得ない
かの告発が「全て虚偽」であると認定され、彼は、公益通報者保護法違反で「行政的にはシロ」となる可能性が考えられます。
とりわけ、県議会は彼らの「保身」のために、おそらくは「グレーなところは多分にあるが、黒とは断定できない」という結論を導く公算が高いでしょう。そうしなければ、齋藤氏を勝たせた世論に「喧嘩」を売ることになるからです。議会にはそれだけの「根性」はない疑義が濃厚です。
したがって議会はおそらくそのため「公益通報だと言い切ることもできなかっただろうし、そうで無いと言い切ることもできなかっただろう」という曖昧な結論を出すのではないかと思います。
しかし、仮にそうであったとしても、当方は齋藤氏に知事の資格はないと、判断します。なぜなら、「李下に冠を正さず」とまで言われる政治家としては、仮に司法的に、行政府的に「シロ」であったとしても、それとは別に、「政治家として許されるか否か」という判断は下されねばならないのです。
なぜなら、近代法治国家における司法的判断には常に冤罪を回避するために「疑わしきは罰せず」の鉄則があるからです。それが人々の命運を分ける「政治家」が何らかの嫌疑がかけられた場合「司法的にシロ」というだけでは不十分なのであり、国民一人一人が「信ずるに足る人物なのか否か」の判断が必要となるのです。
その視点から、当方は齋藤氏には知事の資格はないと個人的に判断します。
…しかし、今回の兵庫県においては、以上の様な思考過程を全員が辿ったか否かは筆者の知る所ではありませんが、齋藤氏には知事の資格ありと考える有権者が多数を占めたという事実は事実です。
法治国家の人間として、当方もこの事実は事実として受け止めますが、それでもなお、当方は、齋藤氏の知事再任には大きな疑問を感じている次第です。
是非皆様もこの問題を、今一度、正確な事実を辿り、法的精神をご理解いただきながら、じっくりとお考えいただきたいと、心から祈念いたしたいと思います。

 
最新の文春砲には「斎藤元彦知事を待ち受ける独りぼっちの執務室」という記事がでているのだが、コヤツの前途は決して洋々ではないだろう。とオジサンは思う。   
      
  
  
  
 
   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本ではありえない世界のユ... | トップ | 斎藤元彦の出直し選挙は本当... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

公務員不祥事」カテゴリの最新記事