新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

どんな「人の話をよく聞く」のかが問われる岸田文雄

2021年09月30日 11時31分28秒 | 岸田文雄

自民党の「騒祭戦」なのか「葬祭選」なのかはしらないが、国民の関心がコップの中のゴッコに向いているころ、とんでもないことが明るみにでていた。
 
東京オリパラ 選手・関係者のコロナ入院者数は当初発表の5倍 組織委が修正


 
東京五輪・パラリンピック組織委員会は28日、両大会終了後初となる理事会を開催し、新型コロナウイルスに感染した選手・関係者の入院者数が、当初発表の5倍超に増え、ピークの日で11人いたと発表した。9月5日のパラ閉幕直後は、両大会でピーク時で2人と発表していた。
 集計の対象としていなかった国内在住スタッフや入国後14日間を経過した関係者の状況を調査し再集計した。入院者数は当初の5人から25人に増えた。
 組織委によると、7月23日の五輪開幕後、入院者は徐々に増え、パラ期間中の8月31日に11人に達した。組織委が協定を結んでいる大会指定病院などが受け入れた。
 
 
当初発表が「2人」だったのが実は11人もいたと修正したため「5倍」という表現になったのだが、五輪後のいわる「第5波」の都内の感染者数が5000人を超えたことを考えるとそれほどの悪質さは感じられないが、迅速に正確に発表しなかったということは、明らかに「後ろめたさ」があったのであろう。
 
「開閉会式」だけは「2020五輪」より評判が良かった「パラ」が終わって3週間以上経ったのだが、「オリパラ」とあえて「セット」で呼ばれながらも、別の期間で、それも五輪の熱狂が冷めた後のパラリンピックは、なぜか盛り上がり方が異様に感じた人も多かったに違いない。
 
 それは「健常者」視線で見た、「あんな障害を持つ人たちがすごいことをやっている」という感覚がなぜか居心地が悪かった。
 
「両手がない人が立派に卓球をやっている」とか、同じように「両手がないのにあんなに早く泳いでいる」とか、「両足がないのに車いすに乗ってテニスをやったりバスケットやラグビーまでやっているなんてすごいね」という声が聞こえてきた。
 
そのような障害者は日本にも昔から少なからず存在していたのだが、国内では「日陰者」扱いされており、なかなか健常者らと一緒の世界では生きられなかった時代が長く続いた。
 
オジサンの子供のころ、あるテレビのドキュメンタリー番組で生まれつき両手がない、または極度に短い人たちを紹介していたのを見たことがあった。
 
両足の指を器用に動かし針に糸を通す場面で、取材していたスタッフがなんかつまらぬことを言ったらしく、その少女は「別に不便は感じません、私はまだ足があるので手のように使っているだけです」とごく自然に答えていたことを思い出す。
 
今回のパラリンピックを教材としようとした連中に対して、強烈なパンチを放った人がいた。
 
パラ学校観戦は『ふれあい動物園?』車いす少年の違和感
 

                【朝日新聞デジタルより】
 
彼らは同じ人間としてあるがままに対応してほしいと願っており、必要な時には手を貸してくれればよいだけなのであろう。
 
IOCが本気で「共生」を掲げるのならば、同じ期間中に開催する努力をすることも検討するべきであろう。 
 
それでは同じアスリートでも「五輪」のアスリートたちはどう見られているのか。
 
作家の山口泉がある雑誌にこんなコラムを書いていたことを思い出した。          
 
一般の人びとが『五輪』批判に際し口にした枕詞があった。曰く、"アスリートには 罪はないが・・・"
果たして、そうか?
彼らはスポーツ選手である以前に社会的に責任を負う市民ではないのか?
感染の脅威のみならず『五輪強行』により本来、防疫・救命に向けられるべき厖大なエネルギーが奪われ、加えてイメージ操作の偽計が進む。麻生太郎が摸倣を公言したナチズムそのものの人心収攬という国家的犯罪の"共犯者"たちが
単なる自己実現の欲望を傲慢にも『勇気を与え』るなどとすり替えるの姿は浅ましい。
 
かなり激しい表現ではあったが、前回のリオ五輪で敗れた選手が、1年延期された今年の五輪で、「この5年間の努力が実りました」と金メダルを首からぶら下げながら涙ながらにメディアのインタビューを受けている姿を見て、「五輪開催してよかった」と感じた国民が開催前よりも倍ほど増えたという事実は決して否定できない。
 
このような国民が多くいることを前提に本日で自民党総裁の任期切れとなった菅義偉は、今回の五輪を最大限政治利用し、国民の高揚感の冷めない内に衆議院を解散し総選挙で自民党が過半数の議席を確保すれば総裁選は無投票で自分の任期が3年延び、必然的に最高権力者の椅子に座り続けることができる、との身勝手な戦略を描いていたという事実は今では誰でも知っている。 
 
先の金メダリストはその5年間はアスリートとして自分の競技種目に専念していたのであり、もはや純粋に本来の仕事をもちながら練習していたというアマチュア選手はゼロではないだろうが皆無に近く、ほとんどの選手がスポンサー付きの「セミプロ」であり、競技によっては全員プロ選手というのも少なくはない。
 
ましてや国家的事業と化している五輪は、文科省やJOCなどから莫大な支援を受けている。
 
したがって税金をふんだんに使った五輪に出場できる選手は「社会的に責任を負う市民」というよりは、国家・国民のためにアスリートとしてだけの使命感しか持たされていないのだろう。
 
したがって、「国家的犯罪の"共犯者"たち」と山口泉は過激な表現をしたのだろう。 
 
日本では、スポーツ選手が、プロ・アマ問わず、「政治的な発言」をすることは禁じられてはいないが、許されない空気がみなぎっている。
 
欧米の選手から見れば異様な光景かもしれないが、文化・伝統も歴史も異なれば同列には扱うことはできない。
 
プロスポーツを観ることは国民にとって娯楽であり、音楽・芸能(映画、演劇)なども昔から欠かせない娯楽であった。
 
さらに日本では自分たちの力で国家を作った経験はなく、ましてや革命などには縁がなく、たとえば江戸時代には「百姓一揆」などが単発的に発生したが、多くの国民は「お上」には逆らえない世界に浸っていた。
 
そんな国民には「お上」に対する不平不満を吸収するため「娯楽」を与えてきた。
 
必然的に娯楽を提供する側のお上に対する批判はご法度であった。
 
そんな「パンとサーカス」を見せつけられたのが今回の自民党の総裁選であった。
 
安倍、菅、二階の3氏支援でしがらみ排せる? 実行力問われる岸田・自民新総裁
 
 
              【東京新聞より】
              
多くの政治ジャーナリストたちや評論家連中が予想していたとおり、最後は全国の自民党員の意向とは裏腹の派閥の力で岸田文雄が新総裁になっただけの話で、問題はこれからの総選挙での戦いであろう。
 
極端な「新自由主義者」の河野太郎ではなく、お公家集団といわれる宏池会の会長の岸田文雄が次の総理になるのだろうが、この新総理も「新自由主義」的発想から脱却する構えらしいので、野党としては鮮明な違いをアピールすることであり、 当然ながら
ウソやごまかしの政治ではなく、まっとうな政治を期待している人」たちを裏切らないことである。
 
岸田文雄の特技は「人の話をよく聞く」ことらしいが、果たして今後は「アベ・スガ・アソウ」の話をどこまで聞き流せるのかが問われるであろう、とオジサンは思う。                 
                 
 
 

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