新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

権力者であるために必要なのは『現に権力的にふるまっている』という既成事実」だけ

2023年03月06日 12時14分32秒 | 岸田統一教会内閣

今年に入って、安倍晋三がこの世を去って8か月余りになって、ようやく安倍晋三にかかわる様々な出来事が起きているようである。
 
「アベノマスクに関する情報公開」という裁判では国が敗訴するということが起きたが、今月には興奮した安倍晋三の指示による特定テレビ番組に対する官邸の恫喝の実態を記録した総務省の内部文書が野党議員によって明らかにされた。
 
そしてようやくアベノミクスを支えた当時の日銀総裁に対する痛烈な批判が元日銀総裁から発せられた。
 
白川方明・日銀前総裁が“アベクロ"猛批判…アベノミクスを「壮大な金融実験」とバッサリ
 

日銀総裁候補の国会同意人事案の採決まで1週間となる中、アベノミクスの立役者である黒田総裁に対する痛烈な批判が話題だ。10年に及ぶ異次元緩和は国際競争力を低下させ、足元の輸入物価高を招いている。酷評されて当然なのだが、発言の主が言葉を選んできた白川方明前総裁だからインパクトは絶大だ。
 白川氏はIMF(国際通貨基金)の季刊誌に「変化の時(Time for Change)」と題して寄稿。金融政策の新たな方向性に関する3ページの論文で、IMFのHPで1日に配信された。安倍政権と一体化した黒田氏が推し進めた異次元緩和を「壮大な金融実験」「ややナイーブな前提があった」などとクサし、こう批評している。
■異次元緩和は「おばかさん」
〈2013年以降、日本銀行のバランスシートがGDP比30%から120%に拡大した「壮大な金融実験」を改めて振り返る。インフレの面ではその影響は控えめだった。そして、成長面でもその効果は控えめだった〉
〈中央銀行が政策金利の動向を市場に強く示唆し、長期金利に影響を与える「フォワードガイダンス」。経済が低迷しているときは、市場参加者は低金利が続くと予想しているので、フォワードガイダンスはあまり効果的でない〉
〈(異次元緩和は)必要なときに簡単に解除できるという、ややナイーブな前提があった〉
 財務省出身の黒田氏が導入したフォワードガイダンス(先行き指針)などの非伝統的な金融政策は意味ナシ。インフレも成長も促せなかった「実験」は失敗だったと総括したのである。ちなみに、「ナイーブ」には「おばかさん」の意味がある。
■黒田氏の認識の甘さを一刀両断
経済評論家の斎藤満氏はこう言う。
「黒田氏は金融政策の限界に対する認識が甘かった。白川氏の指摘をひと言で言い表せばそういうことで、実際にその通りだと思います。過剰な思い込みにより、当初掲げた『2年で物価上昇率2%』に固執し、これでもかと黒田バズーカをぶっぱなした結果、日銀のバランスシートは膨れ上がり、利上げすれば債務超過必至。日本経済はメチャクチャになった。とんでもない事態に日銀OBとして怒りが収まらないのでしょう」
 黒田体制ラストの金融政策決定会合は9、10日。事実上の利上げに再び踏み込むのか。プライドの高い黒田氏が白川氏の苦言にどう反応するのかも注目だ。
「黒田総裁は自分の仕事は終えたとの認識で、現状維持で退任するつもりのようです」(金融関係者)
 無傷でトンズラされたら、白川氏でなくても怒りは収まらない。

 
これを受けて老ジャーナリストも黙ってはいなかった。
 
円紙切れ政策阻止を!<本澤二郎の「日本の風景」(4735)」
 
<遅すぎた前日銀総裁・白川方明の現総裁大批判!それでも?>
確か半月前だった。自民党議員が衆院予算委で日銀の黒田東彦をほめちぎる質問をしていた。野党でさえも、真正面から異様な金融政策による物価急騰を批判しなかった。依然としてアベノミクスにひれ伏す永田町にうんざりしていたが、ここにきて様相に変化が出てきた。
 金融政策の専門家である前日銀総裁・白川方明が、上品な言葉を駆使しながらも、最大級の黒田批判をしたからである。遅すぎた黒田批判に対しても違和感を抱く民衆は少なくない。「黒田を叩きのめすのが遅すぎる」は確かにそうだろう。
 人びとは当たり前の金融政策で、海外旅行をしたり、おいしい食事が出来た。子ども食堂もずっと少なくて済んだ。黒田の犯罪的金融政策で、路頭に迷っている人々は多い。倒産した企業も少なくなかった。
 それでも新聞テレビは批判しなかった。政府と電通の圧力に屈していたのだろう。ようやく黒田が辞める。その時になっての白川前総裁の批判!拍手ばかりは出来ない。民衆の偽らざる心境に違いない。
<10年の異次元緩和=国際競争力低下と物価高=それだけか>
 この10年の日本経済は、落ち込んでばかりいた。「韓国にも負けた」といって悔しがる友人もいた。「日本は外国に国債を買ってもらっていない。いくらでも円を刷ればいい」という馬鹿者さえ現れた。山本太郎まで言っていると聞いて仰天してしまった。案の定、人気が落ちてしまった。
 いまや国の借金は1000兆円を軽く超えた。50年、100年かけて返済していかねばならない。未来を生きる子供たちは悲劇であろう。「いや、返さなくていいのだ」という暴論が通用するわけもない。借りたら返す、当たり前のルールだ。
 黒田は1万円札を刷りに刷りまくった。10年も、である。円は紙切れ同然へと羽が生えていく。「黒田よ、どう責任を取る気か」とまともな国民は怒り狂っている。「アベノミクス・安倍様の指示だから」と責任を転嫁できるのか。
 日本の価値は3流国並みに落下した。国際競争力も低下した。上がりに上がったのは物価の高騰。ウクライナ・ロシアの戦争が原因ではない。円を紙切れにした罪ある金融政策のお陰である。
<円激安の物価高騰と株買いで経営陣は自社株買いでボーナス数億円>
 エコノミストを信用するな。この深刻すぎる10年を、国民が納得するような解説をしなかった。円激安による物価の高騰を分かりやすく説明しなかった。黒田日銀が国債どころか、株式を買い支えるという、禁じられた手段を用いたことに対しても、それを黙認した。
 円安効果は財閥に恩恵を与えた。これが黒田の狙いだった。国民生活を考えない特権者向けの金融政策によって、財閥の内部留保は500兆円かそれ以上に蓄積した。財閥経営陣の声は全く聞こえなくなった10年だ。お腹が膨らんでパンク寸前なのだから。政府にあれこれ言う必要がなかった。
 しかも、株式までも買い支えてくれる。海外の投機筋を喜ばせた。ゼロ金利だから、タダで円を借りて株買いして大儲けできた。リスクがゼロの10年間だった。利益は財閥と海外の投機筋に流れた。
 昔は聞いたことがなかった自社株買い?知らない日本人はまだ多い。日銀が株を大量に買い込んでくれるため、財閥経営陣は自社の株を買い込むと株が確実に上がる。自社株買いで株が上がると、ボーナスが出るのである。その金額が数億円、途方もない高収入が懐に入る。
 4、5年も経営陣を歴任していると、もうそれだけで莫大な資産家になっている。彼らはリスクのある投資はしない。昼寝していても数億円が年収なのだ。貧者のために盗みを働く義賊が横行する時代なのか。
 投資をしない財閥日本の競争力は著しく低下した。白川の指摘である。
 白川は、黒田日銀の異次元金融緩和を「壮大な金融実験」と揶揄した。最大急の後輩への皮肉と批判である。日本人は黒田という人物によって、モルモットにされてきたのである。これ以上、ゆでガエルを継続していると、これからも命を奪われる市民が増えることになろう。
<後任の植田和男次期総裁にも衝撃!どうなる日本>
 黒田の後任は、生きた経済が分からない学者馬鹿で、名誉と肩書欲しさの植田和男という。異次元緩和を継続すると議会で答弁している。
 日本丸沈没政策をこれからも続けるというのである。
 主権者である日本国民は、日本銀行の円紙切れ政策に敢然と怒りをぶつけ、これを食い止めなければならない。海外にも出られない。留学もできない。外食も出来ない。円は激安政策で紙切れになっている。阻止せよ!

 
安倍晋三内閣時代の「アベノミクス」を支えてきたと自負している輩が、ナント昨日のNHK『日曜討論』でこんなことを言い放っていた。
 

 
「選挙に負けなかったからアベノミクスは成功だった」ということは、まともな選挙ならともかくまさに我田引水の極みであろう。
 
おそらくこう強弁した背景には、白川前日銀総裁にアベノミクスの肝だった「異次元緩和」を批判されたことへの反発であることは間違いないのだが、「6回の選挙に勝った」というのだが、その選挙における投票の実態は下図を見れば決して手放しで自慢できる結果ではないことは明らかである。
  
 
 
世耕弘成の発言に対しては、内田樹がこんなツイートを飛ばしていた。
 

 
ここで内田が言っていた「Powercracy」については本人のブログで哲学者らしい説明をしていた。
 
パワークラシーの国で
 
・・前略・・・
確かに日本社会には「権力を持つ老人たち」がはびこっていて、若い人たちのキャリア形成を阻んでいるのは事実である。だが、他方には圧倒的多数の「権力を持たない老人たち」がいる。彼らは支配され、収奪され、権利を軽んじられる側にとどまっている。このような社会を「老人支配」と呼ぶことが適切であろうか。
 では、どう呼べばいいのか、しばらく考えているうちに「権力者支配(powercracy)」という言葉が思い浮かんだ。
 むろんそんな政治用語は存在しない(今私が思いついたのだから)。だが、「権力を持つ者が権力を持つ」「支配する者が支配する」という日本の政体の同語反復性を形容するには「パワークラシー」という語が適切なのではあるまいか。
 ふつうは王政であれ、貴族政であれ、寡頭政であれ、民主政であれ、主権者はその権利を正当化する根拠を示す。「神から授権された」とか「民意を負託された」とか、あるいは端的に「賢明だから」とか。「パワークラシー」は違う。権力者の正統性の根拠が「すでに権力を持っている」ということだからである。
「パワークラシー」の国では、権力者批判が許されない。権力者を批判できるのは、権力者だけだからである。選挙で相対少数になった野党には政権を「批判」する資格がない(できるのは「反発」だけである)。市民にも政治について不満を述べる権利はない。不満を口にすると「だったら、お前が国会議員になればいい」と言われる。メディア有名人を批判すると「だったら、お前が有名になって、メディアで自説を語ればいい」と言われる。
「パワークラシー」の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。これが「パワークラシー」である。「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。なんと。
 先日、ある政治家が国会議員を引退するに際して息子を「跡目」に指名するということがあった。日本ではよくあることである。「跡目」を継ぐことになったその息子はさっそくホームページに自分の家系図を掲げて、近親者に三人の総理大臣を含む何人もの国会議員がいるという「毛並みのよさ」を誇示してみせた。自分が国会議員として適格であることの根拠として「国会議員を輩出している家系に属する」ことを掲げたのである。たぶん本人も、それを提案した周りの人間も、それが一番アピールすると信じたからそうしたのだろう。「すでに権力の側にいることが、今後とも権力の側にいるための最優先かつ必須の条件である」という「パワークラシー」信仰をこれほど無邪気に表明した事例はさすがに珍しい。
 わが国が「パワークラシー」の国だと考えると、当今の権力者たちの異常な言動が理解できるはずである。彼らの非論理性や非倫理性は、別に何らかの政治目的の達成のために採択された非情な手段ではないのである。権力者であるために必要なのは、卓越した政治的見識を持つことでも、雄弁の才に恵まれていることでも、人心掌握に長けているからでもなく、「現に権力的にふるまっている」という既成事実だったのである。
 だから、彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。
 まことに困ったことに、「パワークラシー」の国では、権力者だけでなく、権力を持たない一般市民までがその影響を受けて、「権力者であるような顔つき」を競うようになる。
 知者が統治する国なら、人々は自分を知者のように見せようとするだろう。有徳の人が統治する国なら、人々は自分もまた有徳者であるように見せようとするだろう。同じ理屈で、権力的にふるまう者が統治する国では、上昇志向に駆られた人々はそれを真似ようとする。
 どうも最近、非常識で、傲慢で攻撃的な人が増えてきたなと思っていたが、あれは別に日本人の人格が劣化したわけではなく、彼らなりに社会的上昇めざして、「いやな野郎」になるべく努力していたのである。そう気づいて、腑に落ちた。

 
4年前にはこんな記事があったことを思い出した。
 
『私は森羅万象を担当している』安倍首相の“神宣言”は無教養なだけじゃない! 東条英機と同じ“肥大化した万能感”」  
 
すなわち、国会答弁で、「あの、総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しておりますので、あの、報告書をですね、まあ様々な、これ日々様々な報告書がございますが、それを全て精読する時間はとてもない、わけでございますし、世界中から、で起こっている、まあ電報等もあるわけでございます。ということはご理解いただきたい、とこう思います」と
「森羅万象」という言葉を使ったのだが、同記事では、
 
「安倍首相はどうも『森羅万象』という言葉を“いっぱいやることがあるからチェックしきれないんだよ、許してね、テヘッ”という文脈で使っているらしいのだ。
 安倍首相といえば、『云々』を『でんでん』、『背後』を『せご』と読むなど、日本語の基礎知識がないことで有名だが、しかし、この“森羅万象担当発言”はたんなる無教養という問題だけではなく、安倍首相の傲慢な姿勢が漏れ出たものではないのか。」と指摘していた。
 
まさに、「権力者であるために必要なのは、卓越した政治的見識を持つことでも、雄弁の才に恵まれていることでも、人心掌握に長けているからでもなく、『現に権力的にふるまっている』という既成事実」だけであり、今の岸田文雄政権をはじめととする自民党議員に対する核心を突いた批判ではないかと、オジサンは思う。 
  
        

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