NHKの選挙WEBによれば、立候補者数が22名、有権者数は11,290,229人で投票率は55.00%であった。
その結果、東京都知事選は結局、小池百合子が3,661,371票(得票率59.7%)で圧勝した。2位の宇都宮健児は844,151票(得票率13.8%)で、小池の4分の1にも満たなかった。3位の山本太郎は657,277票(得票率10.7%)で、2013年の参院選東京選挙区で得た得票数666,684票を下回った。4位の小野泰輔は612,530票(得票率9.99%)で、供託金を没収される見通し。山本は辛くも供託金没収を免れた。
とりあえず、今朝の在京各社の社説を読み比べてみた。
■朝日新聞 「小池氏再選 求められる説明と実践」
何度か目にしてきた、聞こえのいい言葉だけで実行を伴わない政治は願い下げだ。 膨張を続けることが東京にとって、そしてこの国にとって望ましいのか、根底から問い直すときではないか。首都直下地震の発生の可能性などを考えればなおさらだ。 |
もう小池都政は「ウンザリだ!」という声が聞こえてきそうである。
■毎日新聞 「都知事選で小池氏再選 地に足着けて問題解決を」
都は先週になって東京アラートを廃止し、新たなモニタリング指標を示した。アラートの発令基準を上回る新規感染者数などが報告されていた中での変更だ。コロナ対策と選挙を絡めたのではないかとの指摘も出ている。 4年前の知事選で、7項目の政策課題を解決する「七つのゼロ」を掲げた。しかし、達成したのは「ペット殺処分ゼロ」だけだ。築地市場の豊洲への移転延期を含め、パフォーマンスに成果が伴っていない。 急速な高齢化への対策や首都直下地震への備えなど都政の課題はほかにも山積している。問題を提起するだけでなく、その一つ一つの解決に地道に取り組むべきだ。 |
■讀賣新聞 「小池知事再選 首都の活力維持に課題は多い」
都は流行の実態を正確に把握できず、感染者数の修正を繰り返した。23区が設置主体である保健所と、十分に意思疎通を図れていなかったと言わざるを得ない。 首都直下地震や大型台風などの災害対策は重要だ。木造住宅の密集地は、被害が甚大となろう。 |
上記の3紙にいみじくも共通していたのは、「首都直下地震」であり、コロナ禍が仮に収束しても直下地震に見舞われたら五輪の輪などはすっ飛んでしまうだろう。
地元東京のローカル紙としては、具体的な注文をしていた。
■東京新聞 「小池都知事が再選 新しい社会への一歩を」
◆コロナ禍の日常支えよ
◆開催危うい五輪・パラ
◆大風呂敷・後藤翁に倣え
江戸時代以来の旧態依然とした首都の大改造を発表し、世間の度肝を抜いた。市の年間予算の七倍のプロジェクトで、「大風呂敷」と揶揄(やゆ)された。 計画は、三年後の関東大震災の復興を機に順次実現する。昭和通りなど縦横の幹線道路。明治通りなど八つの環状道路。都市の膨張に備えた先見性のたまものだ。 この後藤を「尊敬する人物」と公言するのが、他ならぬ小池氏である。ならば先人に倣い、五十年後、百年後に届く都政の未来図を示してはどうか。 方向性は後藤と異なる。「発展」から「成熟」へ。「ハード」から「ソフト」へ。「格差」から「連帯」へ。一人一人が「幸せ」を実感できる、そんな社会への大風呂敷を広げてほしい。 |
メディア以外ではまともに小池百合子分析をする気もなさそうだが、激しい怒りに燃えている御仁もいる。
醜聞都知事再選<本澤二郎の「日本の風景」(3776) <コロナが幸い+民に災い大魔神・電通の威力> 有権者を家に閉じ込めてのコロナ選挙は、現職に有利であることが、韓国の選挙に次いで東京でも証明された。ロシアのプーチンも改憲投票で勝利している。喜んだのはワシントンのトランプか。 日本で一番喜んでいるのは、東京五輪の開催による大利権に突進してきた、そのためにあらゆる手段で小池を支援してきた、民に災いをもたらす大魔神・電通ということになろう。 小池の学歴詐称から男たらし遍歴の数々の情報を、新聞テレビで抑え込んだ功績は、ただ事ではあるまい、と専門家なら分析するだろう。 「財閥・政府与党・カルト教団を束ねられる大魔神、選挙マシーンを操ることが出来る大魔神は、この日本に存在する」との指摘は、あながち的外れともいえないだろう。やっかみではない。冷静沈着に思考すれば、可能だろう。 <東京は五輪の風雨にさらされて今後も太陽拝めず> ともあれ廃止に追い込まれる幻の東京五輪に、東京も政府も巨額の資金を投入し続けることになる。そのための財政負担は、途方もなく膨れ上がる。 ・・・中略・・・ <「小池学歴詐称は公選法違反」で提訴する動きが表面化?> 今朝ほどの電話の主は「世も末だ。日本は滅ぶ」と肩を落としながらも、最後の手段は、小池の学歴詐称に対して、司法の判断を仰ぐしかない、と力説した。 「公選法違反で訴追する動きが、必ず表面化する。男たらしだけでなく、証拠はたくさん出ている。有罪で知事の座から追放する。これしかない」とも。 360万の票が本当なのか、負け惜しみではなく、正直なところ、信じることが出来ない。手作業で確認したいものである 2020年7月6日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員) |
誰がどんなに批判しようとも、罵倒しようが、小池百合子を当選させた人たちは普通の都民であるはずである。
元毎日新聞の記者で現在はノンフィクションライターの石戸諭記者が、その普通の人々に焦点を当てていた。
「小池百合子に清き一票を投じてしまう「普通の人々」はどこにいるのか」
東京都知事選挙は現職の小池百合子が2度目の当選を確実にした。午後8時に投票が締め切られると、NHKをはじめ各メディアが一斉に当確を報じた。今回の選挙では、小池に異例の注目が集まった。5月29日に発売されたノンフィクション『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋刊)は、20万部を超える記録的な売り上げとなっていた。この本を手に取った人たちは、こう問いたくなったはずだ。 小池百合子には「カイロ大学卒業」という学歴を詐称している疑惑があり(小池側は卒業証書を公開している)、その政党を転々してきた経歴からは、明確な主義主張やビジョンは読み取れない。当選すること、あるいは華々しいスポットライトの当たる場所を求めているだけの軽薄な政治家にすぎないのではないか。それなのに、一体なぜ圧勝したのか。だれが支持しているというのか――。 しかし、このように彼女を批判する人々は大切なことを見落としている。それは、私が『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)において指摘した、この社会の「普通の人々」の存在だ。 小池に対する批判は、リベラル派が百田に向けた批判と構造としては同じだ。批判する側は、百田の右派的な歴史観はおよそ問題だらけであり、関連本も含めて100万部超の売り上げを記録した『日本国紀』(幻冬舎)にはファクトの上でも明確な誤りがあると主張した。 批判者は、小池や百田を「支持する人たち」が見えていない 私は小池や百田に対する批判は正しいが、批判するだけでは問題の本質は見えてこないと考えている。小池や百田に問題があると批判する側からは、小池や百田を支持する人たちが見えていない。そこには「分断」がある。 日本経済新聞の世論調査(6月19~21日)によれば、新型コロナウイルスに対する都独自の取り組みには63%が「評価する」と回答した。さらに読売新聞の世論調査(6月25~27日)によれば、彼女は自民支持層と公明支持層のそれぞれ約7割の支持を獲得し、さらに立憲民主党の支持層、つまりリベラル派からも約4割の支持を得ている。これは衝撃的な数字だ。 つまり多くの人は、小池のコロナ対策、より正確に言えばメディアにコロナ対策を打ち出しているように「見せている」小池を支持しており、学歴やこれまでに何に言ってきたかにはさほど関心を持っていないのだ。 「穢れなき普通の都民」を代弁し、「腐敗した敵」を設定 私は『ルポ 百田尚樹現象』の中で、オランダ出身の政治学者カス・ミュデらのポピュリズム論を参照している。彼らの定義はこうだ。 「社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー」(カス・ミュデら『ポピュリズム:デモクラシーの友と敵』白水社、2018年) この定義が優れているのは、中心の薄弱さと二項対立的な構図にこそポピュリズムの本質があると指摘しているところにある。「都民ファースト」という言葉に象徴的に表れる小池の政治手法は、この定義にピタリとあてはまる。彼女は「穢れなき普通の都民」を代弁し、「腐敗した敵」を設定することで、支持を調達してきた。 小池のようなポピュリストにとって、確固たる信念に基づく体系的かつ論理的な一貫性はなくていい。良くいえば柔軟、悪く言えば体系がないからこそ、過去にとらわれず「今」このときの自分を打ち出すことに執着する。 彼女は一貫して、「夜の街」をターゲットにした発言を繰り返したが、これにより「夜の街に出入りする人々」を特殊な人々、「普通の都民」とは違う人々であると印象付けることに成功した。 「腐敗した政治家」になることを恐れ、「対立」を避けた さらに、今回の選挙戦で小池は徹底的に他の候補者と並ぶ機会を絞った。ここにポイントがある。新型コロナ対策で連日テレビに出ており、圧倒的な優勢は伝えられていた。下手に討論をして失言するくらいなら黙っておいたほうがいい、と判断したのだろう。 何度かあったウェブ討論でもよく聞けば疑問しか膨らまない抽象的な答えを返すか、積極的に沈黙を保つだけだった。ポピュリストであるがゆえに、小池は自身が「腐敗した政治家」になることを恐れ、「対立」を避けることで、他候補者のエネルギーを奪った。 前回の選挙戦で高らかに掲げたが、ほとんど達成できなかった「待機児童ゼロ」「残業ゼロ」「都道電柱ゼロ」「介護離職ゼロ」「満員電車ゼロ」「多摩格差ゼロ」「ペット殺処分ゼロ」――7つのゼロはいったいどこにいったのかと問うても、彼女にも、彼女に投票した人にも響かないだろう。そんなものは、すでに過去の話だからだ。 都知事として「職務を全うしている」という雰囲気を作り出す。7月に入って新規感染者が100人を超えると、おもむろに会見を開き、深刻な表情でフリップボードを掲げる。彼女はコロナと対峙する構図を作ることだけで今回の選挙を乗り切る道を選び、それに成功した。 「過去はどうでもいい」と考える普通の人々 私は百田尚樹現象の中心は「空虚」だと書いた。本人をいくら批判したところで、そこには先がない。百田自身も、政治的に影響力を持ちたいとは思っていない。その情熱は「売れる小説を書くこと」と「言いたいことを言うこと」にのみ向けられている。だからこそ、むしろ、彼を取り巻く現象にこそ注目しなければいけない、と。 それは小池にも当てはまる。小池はどこまでも空虚であり、過去の言動をいくら仔細に分析しても、批判そのものが空転する。彼女にとって過去は過去でしかなく、絶対の行動原理は「当選すること」に向けられているからだ。着目すべきは、彼女を支えている人々、言い換えればポピュリズムを支えている人々だ。 果たされる見込みのない公約は、軽薄なキャッチフレーズで打ち出され、その言葉はメディアを通じて流され続け、過去はどうでもよくなってしまう。 昨日の話題がすぐに流れ、忘れてしまうようにSNSのように政治家の発言も流されていく。その結果、空虚な政治家が押し上げられていく。それは決して、変わった人々によってではない。どこにでもいる人々が、そうした政治家を支えている。 それはどのような理由によってか、なぜ忘却は進むのか。これ以上、空虚な政治を望まない人々が向き合うべきだったのは、小池本人の検証だけでなく、彼女を支える「普通の人々」の心情と向き合うことだったのではないか。私は自戒を込めてそう思うのだ。 |
「過去の言動をいくら仔細に分析しても、批判そのものが空転する。彼女にとって過去は過去でしかなく、絶対の行動原理は「当選すること』に向けられている」という文面の中で、「彼女」を「安倍晋三」に置き換えても十分にあてはまるということを改めて知らされた。
小池百合子も安倍晋三も自分の過去の発言には一切責任を感じていない政治屋である。
責任を感じていないので平気で「任命責任は私にあります」と言えるのであり、小池百合子に至っては4年前に掲げた公約が達成されていないことには責任も恥も感ぜず、新たな公約を平然と掲げてしまう厚顔ぶりである。
「過去はどうでもよくなってしまう」と考えてしまう人々が、とっくの昔に「過去の人」になっていなければならない安倍晋三を7年以上も延命させたり、「軽薄なキャッチフレーズで」で4年間過ごした小池百合子をまたもや4年間も知事に選んだということが最大の問題なのであろう、とオジサンは思う。