新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

国葬ごっこが終わり今度こそ国民生活を守れ

2022年10月02日 11時40分15秒 | 岸田文雄

先日、「国葬を政治利用に失敗した岸田文雄と政治利用に成功した菅義偉」というつぶやきの中で、元毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中 香尚里は、「嫌な予感が的中。菅前首相の国葬『弔辞』で飛び出した衝撃の言葉」と題する記事を発表していた。
 
その後、あるメディアは、「安倍晋三元首相の国葬で、友人代表としての弔辞を読み上げた菅義偉前首相。その内容は、首相在任中に発信力不足が批判された菅氏にしては、話しぶりも含め、友人としての思いがこもって感動的だったと評価する声も多いが、果たして手放しで肯定してよいのか、気になる点がたくさんある。感動でごまかされないよう、もう一度じっくりと菅氏の弔辞を見直してみた。」として、「国葬で『感動的』と称賛された菅義偉前首相の弔辞…冷静に読むとにじむ『弱者切り捨て、身内優遇』」という記事を書いていた。
 

 

国葬当日の高揚から日を置いて、あらためて文字になったこの弔辞を読むと、ひっかかるところが随所にある。
・・・中略・・・ 
◆「よりにもよって」他の人ならよかったの?
 再び弔辞に戻ると、菅氏は「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか」と続けている。
 木村氏は「『よりにもよって』を、漢字で書くと『選りにも選って』。この言葉に、選ぶならほかにもっと適当な人がいるのにとの意を感じる」と述べる。「よりにもよって」との修飾語は「いのちを失ってはならない人から」にかかる。とすれば、「この一文で、他に選ばれるべきだった者、すなわち死んでもかまわない人の存在を認めている。まさに優生思想の考え方そのものだ」と批判する。
 「安倍政権は生産性の有無で人の価値を決め、弱い立場の人を切り捨てる一方、森友・加計学園問題のように身内を優遇する選別政治を行ってきた。この一文を見て、ああ、やっぱりと思う人がいても不思議ではない。『いのちを失ってはならない人』ではなく、単純に、『私の大切な友人』にすれば、何の問題も違和感もなかったのに」
・・・中略・・・
 佐高氏が特に見過ごせなかったのは、弔辞のクライマックス。菅氏が、安倍氏が読みかけだったという山県有朋を取り上げた本に触れたことだ。「山県有朋と言えば藩閥政治、言論弾圧の象徴だ」。山県の死去時、雑誌記者だった石橋湛山はコラムで「死もまた社会奉仕」と痛烈に批判した。佐高氏は「強権政治の親玉のような山県を持ち出すとは、おめでたい弔辞だ。自民で首相も務めた石橋が批判した逸話を知らなかったのか」と皮肉る。
 駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「自民の身内として、菅氏が情感に訴える表現で安倍氏を悼むことは理解できる。だが、国葬の弔辞で安倍政権や政策を賛美するのは危うい。政権の全てを正当化し、異論や反対論を封じることにつながるからだ」とし、こう警鐘を鳴らす。「安倍氏の死を悲しむことと、政権や政策への評価は本来、全く別のはず。それが今回

  
取り分け、「山県有朋を取り上げた本に触れたこと」を問題にしていたが、小さい時から「勉強嫌い」で有名だった安倍晋三が山県有朋なんぞを知る由もないのだが、その辺の裏事情を、このWeb記事は過去のSNS情報を丹念にしらべ挙げて菅義偉が国葬弔辞で語った内容の嘘っぱちを暴いていた。
 
菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを

 
・・・前略・・・
「山縣有朋の歌」は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった
 その象徴とも言えるのが、山縣有朋の歌を読み上げたくだりだろう。菅前首相は弔辞でこう語っていた。
〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉

 ようするに、菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見。その読みかけの最後のページに、暗殺された伊藤博文を偲ぶ山縣有朋の歌が載っており、それがいみじくも、自分の思いを表していると語ったのだ。
 ほんとうなら、「運命を感じさせる秘話」「ぐっとくるいい話」ではあるが、実際はそんなドラマチックな話ではまったくない。
 そもそも、この山縣有朋の歌を紹介すること自体、ある政治家が他の人を追悼するために使ったネタの使い回しにすぎなかった。
 ある政治家とは、ほかでもない安倍元首相だ。安倍氏は今年6月17日、Facebookにこう投稿している。
〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉
 葛西氏といえば、安倍元首相の最大のブレーンと言われていた極右財界人で、第一次安倍政権下の2006年には国家公安委員や教育再生会議委員に就任。その後の首相再登板も猛烈に後押しして、第二次安倍政権以降は、首相動静で確認できるだけでも何十回も顔を合わせるなど、べったりの関係を築いてきた。安倍政権の政策への影響力もすさまじく、NHK会長などさまざまな人事まで左右していたことはあまりに有名だ。
 その最大のブレーンだった葛西氏が亡くなったとき、安倍元首相は葬儀で弔辞を述べたのはもちろん、さまざまなメディアで追悼の言葉を発したが、そのとき、持ち出していたのが、今回、菅氏が紹介した山縣の歌だった。
これは、安倍氏にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西氏だったからだ。
安倍元首相は、首相在任中の2014年12月27日にホテルオークラの日本料理店「山里」で葛西敬之JR東海名誉会長(当時)、北村滋情報官(当時)と会食しているが、その席で正月休みの読書におすすめの本を葛西氏に尋ね、葛西氏から件の岡義武の『山縣有朋』を薦められたと報じられている。ちなみに、岡は葛西氏の東大時代の恩師で、『山縣有朋』や『明治政治史』についてさまざまなメディアで言及しているし、葛西氏が山縣有朋を信奉しているのも有名な話だ。
 ようするに、極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元"山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。実際、安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏をしのび、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、「まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です」として、この歌を紹介していた。
 ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。
■菅前首相が弔辞で語った「安倍元首相の最後の読みかけの本」は嘘! 7年半前に読了していた
 もうひとつ、菅前首相の弔辞が問題なのは、安倍氏と山縣の短歌のほんとうのかかわりをネグって、インチキなドラマチック演出をしていたことだ。
 菅氏は、安倍氏の議員会館の部屋の机に読みかけの『山縣有朋』があったと言い、山縣の歌が載っていたページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたことから、そのページが銃撃される前に安倍氏が「ここまで読んだ、という、最後のページ」だとしていた。まるで読みかけのまま銃弾に倒れた安倍に導かれ、自分の心情を表す短歌に出会ったとでも言いたげに。
 だが、実際の安倍はこの『山縣有朋』を読みかけのまま倒れたわけではなく、とっくに読み終えていた。そもそも、前述したように、安倍氏が葛西氏からこの本を薦められたのが2014年末。いくら勉強嫌いで知られる安倍氏とはいえ、8年近く経つのにまだ読みかけということはないだろう。
 実際、安倍元首相は2015年1月12日のFacebookで、週末三連休を河口湖の別荘で過ごしたことを報告した上で、岩波新書版の『山縣有朋 明治日本の象徴』の表紙の写真とともに、〈読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。〉と投稿。〈伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠みその死を悼みました。〉とくだんの歌も全文を引用して紹介している。
 それから7年半経って銃撃される前、議員会館の机の上にほんとうにこの『山縣有朋』があって、ページの端が折られ、歌のところにマーカーが引かれていたとしたら、それは「読みかけ」で「ここまで読んだ」という印ではなく、自分が銃弾に倒れる3週間前に葛西名誉会長が亡くなった際、葛西氏の「追悼」に使おうと、歌のところを“お勉強"し直したと考えるのが妥当だ。
「葛西さんが亡くなったし、追悼文、考えなきゃ。そういえば、葛西さんに薦めてもらった山縣有朋の評伝に、伊藤博文を偲んで詠んだ歌が載っていたな、あれ、使おう。ああ、ここここ」という感じだったのではないか。
 ところが、菅氏はそれをあたかも、安倍氏が銃弾に倒れる前、最後に読んだ本、ちょうど読みかけの最後のページにということにしてしまったのだ。
 菅前首相も、安倍元首相ほどではないが、葛西氏とは近く、安倍氏が自民党総裁に返り咲いた直後の葛西氏との会食にも同席している。普通に考えれば、安倍氏が葛西氏の追悼に山縣の歌を使っているのは知っていたはずだ。どう考えても事実を知りながら美談仕立てのためにしらばっくれたとしか思えない。      
■明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク 
いずれにしても、巨額の税金を使って開いた国葬の弔辞で前総理が明かした「運命の秘話」が、当の故人が別の人の追悼に使っていたネタの使い回しだったとは、なんというハリボテぶり。
 とはいえ、これだけなら、まさに“愛国者のハリボテ"だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。
 しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。
 そもそも山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
 そして、安倍元首相の“明治軍国主義の祖"山縣への傾倒ぶりは相当で、首相在任中の2017年に防衛大の卒業式で「警戒監視や情報収集に当たる部隊は、私の目であり耳であります」「最高指揮官である私との意思疎通の円滑さ、紐帯の強さが、我が国の安全に直結する」などと語って、自衛隊を私兵扱いしていると批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した「軍人勅諭」を踏襲しているとも指摘されていた。
 また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある。
 しかし、税金を使った国葬の弔辞で、そんな軍国主義の権化のような人間の歌を、堂々と美談仕立てで紹介するというのは、連中が日本をグロテスクな軍国主義の国に引き戻そうとしていることの証明ではないか。〈今より後の 世をいかにせむ〉=これからの世の中をどうしていこうかって、その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。
 ところが、マスコミはその危険性を検証することも、「使い回し」を指摘することもせず、冒頭で指摘したように、この菅の弔辞を「泣けた」「素晴らしい」と絶賛している。
 統一教会報道と国葬批判で少しはマシになったと思っていたが、この国のヤバさは相変わらず、というしかない。

下衆の勘繰りをすれば「共通のシナリオライター」がいたのかもしれない。
 

 

 
最後に、在野のアナリスト氏の「国葬の後始末」からの一文を紹介しておく。
 
菅前首相の弔辞が『泣ける』と話題ですが、恐らく居酒屋でお酒を飲みながら聞いたら、笑い話になる程度のものです。ああしたシチュエーションだから、そう感じる人もいるでしょうが、フラットに聞くと大したことは言っていない。安倍氏を口説き落とした…という件は菅氏ばかりでなく、統一教会だって同じように口説いたでしょう。全力で支えるから…などと言って、自身の仲間を首相にすることに尽くしたはずです。
それは多くの利権者も同じ。安倍氏を首相にした方が、より有利になると思った勢力によって担ぎ上げられたのであり、様々な人間がそれをしたはずです。だからその一々に反応するのではなく、安倍氏が首相になって何をしたか? が重要なのです。外交も、結局は今回のメンバーをみても大した弔問外交ができたわけではない。あれだけの警備をすれば、17億円で済むはずがなく、また社会、都市機能をマヒさせた経済損失は膨大です。そして最大は、円安でインバウンド再開…などと言っているのに、各国首脳がマスクをして居並ぶ。日本ではマスクをしないといけない、という印象を強め、忌避する気持ちにさせたことが問題です。国際的に、安倍氏の評価など大したことない、という印象以上に、マスク必須の印象を強めたことが経済的に大きな負の影響を伴ってしまったのです。

 
昨日、行きつけのドラッグストアに行ったら9月末までは「98円」だったで缶チューハイが一気に「124円」になっていた。
 
ナント26%以上の値上げであり、たじろいて 何も買わずに帰ってきてしまった。
 
帝国データバンクによると、国内の値上げラッシュは10月にピークを迎えるという。
 
1カ月間に値上げされる食品は6699品目に上り、担当者も「バブル崩壊以降ではあまり見たことのない規模だ」と指摘しているほどで2022年に価格が上がる食品は2万品目を超え、家計の負担は、年に6万8760円も増えるという。
 
しかも、モノの値段は高騰しているのに、賃金の上昇はちっとも進んでおらず、物価が上がっているのに、賃金がほとんど増えないのは、主要国でも日本くらいではなだろうか。
 
「安倍晋三の思い出ごっこ」という国葬儀が終わったので、ここらで本気で「世界不況」と「国内の物価高」への対策を取らなければならないのに、岸田無策政権という運の尽きを見せつけられることがこれから起きるのではないだろうか、とオジサンは思う。
   

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