今から30年前となる1995年3月11日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
WBOヘビー級戦:
挑戦者リディック ボウ(米)KO6回2分25秒 王者ハービー ハイド(英)
*元統一王者で、無冠になったとはいえまだまだヘビー級最強戦士と謳われていた当時のボウ。身長195.6センチ体重 109.3キロという、現在のヘビー級でも通じる立派な体格の持ち主です。ボウを迎え撃つハイドは 188センチ97キロ。2025年の時点で言えば、標準的ヘビー級の選手対クルーザー級のリミットを少々上回った選手による対戦となります。
(元統一王者ボウがマイナー団体チャンピオンのハイドに挑戦)/ Photo: Wikipedia
ボウに比べると小柄なハイドですが、特に上半身の筋肉が発達したどちらかというとボディビルダーのような体格の持ち主。マイナー団体WBOの王者とはいえ、26戦全勝(25KO)という非常に魅力的な戦績の持ち主です。
(たくましい体格の持ち主ハイド)/ Photo: BoxRec
この試合が行われる一年半前の1993年11月に、イベンダー ホリフィールド(米)との再戦に敗れ、保持していたIBF/WBAタイトルを失っていたボウ。その後ラリー ドナルド(米)を相手に行った再起戦は、試合前から荒れに荒れ、結局は無効試合となってしまいました。ボウにとりこのハイドとの一戦が、再度の再起戦となりました。
小柄なハイドが必死に動き、果敢にパンチを出しまくる形で幕を開けて一戦。ボウはハイドのスピードに対応できないのか、それとも余裕を見せているのか、ほとんど手を出さずに前に出るだけ。そのため否が応でも最初の6分間は英国人のラウンドとなる事になりました。
(予想以上に善戦したハイド(右))/ Photo: Youtube
3回に入ると試合は急展開を迎える事にた。その強打でボウをバタつかせたハイドですが、打たれ脆さも中々のもの。本物のヘビー級のパンチが頭部に当たると、なぎ倒される形でダウンを繰り返すことになりました。最初にフロアに送られた時はレフィリーがダウンと見なさずに命拾い。しかしその後2度のダウンを立て続けに喫しています。もし主審を務めたリチャード スチールが最初のダウンの際、判断ミスを犯していなければ、スリーノックダウン制だったこの試合はこの回で終わってた事になります。
ハイドを甘く見ているのか体調不良なのか、一発で倒そうという意識が強すぎたこの日のボウですが、4回に入りようやくコンビネーションが出るようになりました。3回に続きこの回も2度のダウンを奪ったボウ。対格差があり過ぎるためか、限界以上で戦っているハイドは肩で息を吸うほど追い詰められていきました。
打たれ脆さと回復の速さを兼ね備えたハイドは5回、そして最終回となった6回にもダウンを追加されていきます。不思議なことにダウンを喫する毎に反撃を試み、ボウを驚かせたハイド。それに加えボウの強打を避けるためか、自ら崩れるようにしてキャンバスに送られる場面が何度もありました。ハイドが喫した正式なダウンは7度でしたが、それ以外の非公式なダウンを合わせると二桁は「ダウン」したのではないでしょうか。
(何度もフロアに転げ落ちたハイド)/ Photo: Youtube
あまりにもハイドの行為が不甲斐ないため、解説者は「ハイド(Hide)は、リングに転がる事により、ボウの今日だから隠れる(Hide)事が出来た」と皮肉なダジャレを言っていました。
5回にハイド陣営からタオルが投入されましたが、当時その行為でのレフィリーストップ/ギブアップは認められていませんでした。そのため、さらなるダメージを被り6回まで痛めつけられたハイド。ボウとの実力差はかなりのものがありました。
ダウンの回数だけ見るとボウの大勝劇に思われますが、この日ボウが見せたパフォーマンスは、以前見せていた洗練されたボクシングからは程遠く、褒めれたものではありませんでした。
マネージャーのロック ニューマン(Rock Newman)と主要団体の確執、および1992年末にボウが行ったWBCのベルトをゴミ箱に捨てるという愚行から、各団体から敬遠され、しょうがなくマイナー団体WBOタイトルに挑戦する事となったボウ。このハイドとの一戦はボウからすると気乗りしなかった試合かもしれません。
(ニューマン氏(後方)とボウ)/ Photo: Andscape
メジャー団体の王座への返り咲きと、ビックマッチへの出場を目指していたボウ。この試合から2週間後に、ボウを含め当時のヘビー級の誰もが対戦を望んでいた超大物が社会「復帰」することになります。
(この男がついに出所する事に!)/ Photo: ABC News