1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手が中心になりますが、今回登場するメルドリック テーラー(米)は特に思い入れのある選手ではありませんでした。しかし自分がボクシングに興味を持ち始めた1990年代前半、しきりにその名前を聞いた選手です。
さて、今回のテーラーからウェルター級になります。
(今回の主人公テーラー。ウェルター級ではWBA王座を獲得)
テーラーと言えば、何と言ってもこの一戦ではないでしょうか。その一戦とは1990年3月17日に行われたWBCスーパーライト級の王座統一戦。IBF王者テーラーが、メキシコの生きる伝説、WBC王座保持者のフリオ セサール チャベスと行ったボクシング史に残る戦いです。当時のチャベスはすでに世界3階級制覇を達成しており、全勝戦績も68まで伸ばしていました。1984年ロス五輪の金メダリストであるテーラーも24勝1引き分けと素晴らしい戦績の持ち主でした。しかし両者を比べてみるとやはりチャベスとテーラーの実力、そしてキャリアの違いは大きくあるように思われていました。
しかしボクシングというものはそれまでの戦績が戦うものではありません。テーラーはほぼ36分間、それを証明して見せました。「ほぼ36分?」、そう、この試合はチャベスが残り2秒で大逆転TKO勝利を収めるというドラマチックなものでした。
(チャベスとの大一番。徐々にダメージを被っていきました)
この試合を裁いた主審リチャード スティール(米)には長らく、「ストップが早すぎるレフィリー」というレッテルが貼られていました。しかし実際にその試合、特にストップの瞬間を見てみると(私は何度も何度も見ました)、テーラーは主審のGOサイン応答のジェスチャーと口頭の質問に対しまったくの無反応。でばかりでなく、両腕をロープにかけたまま。あれではストップされて当然でしょう。
(問題のチャベス戦でのストップシーン。テーラーは両腕はロープに置いたまま。ストップは妥当な処置)
大激戦の末、偉大なる敗者の地位に落ちたテーラー。その大激戦での代償は勝敗云々ではなく、あまりにも大きすぎました。チャベス戦前までは、タフなスピードスタートされていたテーラーですが、何かを破壊されたのでしょうね、その後続くそのキャリアでは何度もマットに這う姿を見せることになってしまいました。
私(Corleone)がボクシングを観出した頃(1991~1992年)のテーラーを振り返ってみましょう。チャベスに敗れてから10ヶ月後の1991年1月、アーロン デービス(米)を判定で破りWBAウェルター級王座を獲得。自身にとって2階級制覇達成に成功しています。その年に2度の防衛に成功したテーラー。あれだけの激戦を経験した翌年にこれだけの実績を積んだというのは、やはりそれだけの実力があったという証明でしょうね。
残念なことにその成功も長くは続きません。翌年1992年1月、グレンウッド ブラウン(米)に2度のダウンを奪われるもウェルター級王座の防衛に成功したテーラー。5月には3階級制覇を目指しWBCスーパーウェルター級王座に挑戦しました。その王座に君臨していたのが、当時チャベスと並んでパウンド フォー パウンドの最強選手の一人に挙げられていたテリー ノリス(米)。戦前の予想では、「テーラーがスピードを生かすことが出来ればひょっとして」でした。しかしテーラーは持ち前のスピードを生かすどころかスピードで劣ってしまいました。それに加えてノリスは元々上の階級の選手。試合開始直後は別として、まさに完敗を喫してしまいました。
(対テリー ノリス戦。単純に相手が悪すぎました)
テーラーにとって1992年というのはまったくもって試練の年でした。ノリスに敗れた半年後。本来のウェルター級に戻り、英国に渡って防衛戦を行いました。テーラーが迎えたのは同地を本拠地にしていたベネズエラ人クリサント エスパーニャ。このエスパーニャがとんでもない曲者であり、難敵でした。長身(178センチ。テーラーは171センチ)でリーチが長く、ガードはとんでもなく固い。リーチが異常に長いため、テーラーはエスパーニャの懐に入ることが出来ません。中には入れてもベネズエラ人はアッパーで迎え撃ち、テーラーはまさしくお手上げ状態。ノリス戦の完敗に続いてここでも何も出来ずに敗北。虎の子のタイトルを手放すことになってしまいました。
(対エスパーニャ戦。この試合はエスパーニャが褒められるべきでしょう)
それから2年後の1994年9月、チャベスとの再戦に臨みますが、テーラーからは全盛期の覇気は感じられず完敗(チャベスもそうでしたが)。その後2002年まで戦い続けたテーラーでしたが、結局このチャベスとの第2戦が最後の世界戦出場となっています。
テーラーが獲得した王座(獲得した順):
IBFスーパーライト級:1988年9月3日獲得(防衛回数2)
WBAウェルター級:1991年1月19日(2)
テーラーが獲得した王座は僅かに2つ。上記の二つ以外、地域王座もマイナー団体の王座も腰に巻いていません。というか、そういうものは真の世界王者には不必要。テーラーはその事を証明してくれました。
順番が逆になりましたが1984年のロス五輪のフェザー級で金メダルを獲得したテーラー。13戦目に1976年モントリオール五輪ライト級の金メダリストであるハワード デービス(米)と引き分け。その試合以外は順調に白星を重ね、21戦目(1988年9月)にジェームス マクガート(米)を破り、IBFスーパーライト級(当時はジュニアウェルター級)王座を獲得しています。マクガートもいい選手でした。彼はその後WBCのウェルター級王座を獲得し、彼自身も2階級制覇達成を遂げています。
(テーラー初の世界王座はIBFスーパーライト級)
2013年ですかね、「明日のチャンピオン」なるイベントに参加し、「いじめを撲滅しよう」という運動に積極的に関わっていたのは。少々しゃべり方にスムーズさが欠けていましたが、元気そうな姿を見せています。
(4年ほど前のテーラー氏)
テーラーの終身戦績は38勝(20KO)8敗(4KO負け)1引き分け。記録もそうですが、それ以上に記憶に残る選手でした。