1990年代初頭からの約20年間、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。毎回記載していますが自分自身に科したルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。
今回はフライ級3度目になります。1回目のホセ ボニージャ(ベネズエラ)は予想外の選手。前回のユーリは期待通りの、そして同級史上きっての実力者。今回登場するのは期待はずれだった選手になります。
私(Corleone)の期待を裏切った選手。それはダニー ロメロ(Danny Romero/米)。トップランク社が「マイケル カルバハルの後継者」として売り出した選手です。
プロでの最終戦績は45勝38KO5敗2引き分け。2つのKO負けがありますが、両試合とも自らの目の負傷のためのTKO負けになります。
KO率は僅かに52%。ちなみにKO率には、当然かもしれませんが、勝ち星のみが含まれる訳ではありません。
例えばある選手の戦績が5勝5KO5敗だったとします。この選手のKO率は100%ではなく、50%になります。
ロメロはフライ級から4階級上のスーパーバンタムまで活躍した選手ですが、インパクトとしては同級でもものが一番だったと思いフライ級での選出としました。
1974年7月12日(チャべス1世は1962年7月12日生まれ)生まれのロメロのプロデビューは1992年8月。最後にリングに登場したのが2006年の7月。その試合は8回戦として行われましたが、4回TKO勝利を収め全キャリアを白星で締めくくっています。ロメロは故郷のニューメキシコ州、そしてお隣のアリゾナ州を中心にプロキャリアの基盤、というかほとんどの試合を米国の南西部で行いました。米国外での試合はなく、アメリカのその他の地域での試合も3度のみ(コネチカット、ニュージャージー、ニューヨークでそれぞれ一試合づつ)。現在のアメリカでこれだけの実績がある選手が一地域限定で試合を行うというのも珍しいですね。
ちなみに同郷には暴れん坊ジョニー タピア、アリゾナ州にはマイケル カルバハルという米国軽量級の牽引車たちがいます。
「小型ダイナマイト」の異名を持ったロメロはデビュー16戦目でNABF(WBCの北米王座)フライ級王座を獲得。この試合までにKOを逃した試合は僅か2試合のみ。まさに快進撃といっていいでしょう。フライ級に続き、スーパーフライ級でも同王座を獲得。防衛記録の更新しながら世界ランキングもどんどんと上げていきます。WOWOWでもこの時期のロメロの試合を放送していましたが、当時のWBC王者ユーリ アルバチャコフ(露/協栄)にとっても非常に驚異的な存在だなと思いました。
ロメロの世界初挑戦は1995年4月米国ラスベガスのリングで実現。コロンビアの実力者フランシスコ テヘドールから最終回にダウンを奪い判定勝利。約半世紀ぶりに米国籍の世界フライ級王座の座についています。ちなみにこの試合のメインイベントは、IBFヘビー級戦ジョージ フォアマン(米)対 アクセル シュルツ(独)でした。
初防衛も無難に終わらせたロメロ。しかし意外な形でロメロは初黒星を喫してしまいます。世界王座獲得後から5ヵ月後、ウィリー サラサール(メキシコ)との無冠戦で自らの目の負傷のためレフリーストップ負け。敗戦はもちろん、失明の危機すら噂される重症を負ってしまいます。
しかし復活は早かったです。敗戦後11ヶ月目には豪快なKO勝利を収めスーパーフライ級でIBF王座に復帰。世間の注目は同胞のライバル、WBO王者ジョニー タピアとのライバル対決に絞られていきます。
スーパーフライ級史上に残る一戦となったこの戦いは1997年7月にラスベガスで行われ、タピアが激しさと老獪さで僅差の判定勝利。2冠王に輝くと共に、スターの座をタピアから奪取。大げさな言い方ではなく、この敗戦前まではロメロへの世間の期待度はかなりものもでした。
タピアに喫した敗戦後、世界上位戦線に長らく留まりましたが、以前の勢いは取り戻せず。IBFスーパーバンタム級、WBOバンタム級への挑戦も失敗に終わっています。
左右の強打を振っていくのがロメロのスタイル。階級を上げるに従いパンチ力は低下。おなか周りも弛んでいきました。持ち前の技術でそれらを補ってはいましたが、爆発力が欠けたダイナマイトの威力は知れたもの。ロメロは上の階級への転向が失敗した悪い例の一つではないでしょうか。最近は複数回級をする選手が増えていますが、彼らこそ例外中の例外のような気がします。
ロメロの獲得した王座(獲得した順):
米国ニューメキシコ州スーパーフライ級:1993年5月22日獲得(防衛回数0)
(*こんな王座が存在するとは知りませんでした。)
NABFフライ級:1994年5月5日(2)
NABFスーパーフライ級:1994年10月12日(1)
IBFフライ級:1995年4月22日(1)
IBFスーパーフライ級:1996年8月24日(2)
NABOスーパーバンタム級:2000年5月6日(0)
(*WBOの北米王座)
NABAバンタム級:2002年6月1日(1)
(*WBAの北米王座)
IBAスーパーバンタム級:2003年5月23日(0)
体重の増加による実力の低下に加え、ロメロは肝心な試合で負け続けてしまいました。
1995年9月8日 無冠戦10回戦
対ウィリー サラサール(メキシコ):
7回TKO負け
*現役世界王者が無冠戦とはいえ負けてはいけません。
1997年7月18日 IBF/WBOスーパーフライ級王座統一戦
対WBO王者ジョニー タピア(米):
0対3の判定負け
*いくら僅差の判定とはいえ、この試合に勝ったタピアは後に3階級制覇達成。上の階級でビックマッチに次々に出場。
1998年10月31日 IBFスーパーバンタム級王座に挑戦
対ブヤニ ブング(南ア)
0対2の判定負け
*ブングは同王座を13度防衛した安定王者。強豪相手にどれだけ接戦を演じようと、負けは負け。ここで勝利を収めていれば、ナジーム ハメド(英)との究極マッチに出場出来たかもしれません。
2002年9月27日 WBOバンタム級王座に挑戦
対クルス カルバハル(メキシコ)
4回TKO負け
*3流王者への挑戦。戦前の予想はロメロ。しかし結果はまたまた自らの負傷によるTKO負け。
ロメロが輝けなかった理由。明白ですね。