1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。
前回お届けしたのが今年の2月19日。その回からバンタム級となっています。半年前に投稿したその記事では、この25年間のバンタム級で最高の選手と思われるオーランド カニザレス(米)をお届けしました。長谷川 穂積(真正)や山中 慎介(帝拳)とお互いの全盛期時代に対戦していたらさぞ面白い試合が期待できたでしょうね。
その長谷川が世界王者時代にもっとも警戒し、現在同級の第一人者である山中とも十分渡り合える選手が今回登場します。その選手とは、そのキャリアの大半を日本のリングで過ごしたアレクサンデル サーシャ バクティン(協栄/露)。ここでは一番馴染みのあるサーシャの呼称で通していきます。
サーシャと言えば左ジャブ。とにかく左ジャブで試合展開を行い、自らの勝利へと導いていきました。決定力は、同胞、そして同門の先輩ユーリ アルバチャコフよりは劣りました。しかしその左リードブローだけで世界王者と互角に渡り合えた、と容易に想像が出来ます。いや、ブランク中(既に引退はしていますが)の現在でも、トレーニングさえ行っていれば世界王座奪取の可能性は低くないとみます。
ジャブ中心のボクシングを展開し、170センチと同級では長身の部類に入るサーシャ。アウトボクサーと見られるかもしれませんが、強気の打ち合いも随所見せました。
サーシャの終身戦績は31勝全勝(12KO)。39%のKO率を誇りました。勝利の中には日本バンタム級王座の9連続防衛やOPBF(東洋太平洋)王者時代、日本選手の大きな壁となり立ちはだかったジェス マーカ(比)、1990年代後半から2000年代前半の日本ボクシング界屈指のテクニシャン本田 秀伸(グリーンツダ)、WBAバンタム級、スーパーバンタム級で暫定王座を獲得しているネオマール セルメニョ(ベネズエラ)等に圧勝を収めています。日本バンタム級王者としては、堀口 宏(堀口)が1952年から1954年にかけて樹立した同王座連続防衛記録8を上回る新記録。この記録はいまだに破られていません。
2000年にプロデビューを果たしているサーシャ。順当に勝利を重ね、2003年の日本王座チャンピオン・カーニバルに出場し、当時空位だったバンタム級王座を獲得。その王座を2006年2月までに9度防衛に成功しています。しかし同月末、傷害容疑で逮捕され、協栄ジムから解雇。JBCからは3か月の資格停止処分を科されると同時に日本王座も返上。翌年協栄ジムに復帰し、リング活動を再開します。解約から日本のリング復帰の間、フランスに渡りプロ活動を試みますが同地のプロモーターの目に留まらず結局一試合も出来ませんでした。
再起後連勝を重ねつつOPBF王座を獲得。沖縄ワールドリングジムへの移籍もありましたが、結局は世界挑戦の声は掛かりませんでした。2009年7月の試合を最後に主戦場を母国ロシアへと移し、それと同時に一つ上のスーパーバンタム級の転向。その実力から当然の如く重ねるのは白星のみ。しかし付いてくる王座はWBAインターナショナルやマイナー団体のIBOとサーシャの実力に見合うものではありませんでした。世界王者クラスの戦力を有しながらも無冠の帝王で終わってしまう、現在では非常に稀なケースとなってしまいました。そして2013年、自身の健康問題を理由に突如として引退を表明してしまいました。
サーシャの獲得した王座(獲得した順):
日本バンタム級:2003年2月17日獲得(防衛回数9)
OPBF(東洋太平洋)バンタム級:2008年12月31日(1)
WBAインターナショナル・スーパーバンタム級:2012年4月4日(0)
IBOスーパーバンタム級:2012年9月18日(0)
これまでの実績はバンタム級、今後(?)世界を狙うならスーパーバンタム級という感じのサーシャですが、IBO王座獲得後2013年3月に無冠戦10回戦に出場し、4回TKO勝利を収め全勝記録を31にまで伸ばしています。このまま現役引退というのは本当に勿体無いと思います。決して贔屓目で見るのではなく、ブランクの影響がない限りWBA/WBO統一王者ギレルモ リゴンドー(キューバ)を破りうる可能性を持った選手の筆頭だと確信します。英国勢WBAレギュラー王者スコット キッグ、カール フランプトンより実力は上でしょう。WBC王者のレオ サンタ クルス(メキシコ)には相性の面で苦戦しそうな予感がします。もし辛抱強く現役生活を続けていたとすれば、リゴンドーやWBOフェザー級王者ワシル ロマチェンコ(ウクライナ)と共に、三つ巴の対決を行っていたかもしれません。
最近のサーシャの動向を調べましたが、同姓同名のウクライナ人、幾何学者のバクティンしか出てきませんでした。やはり当時のWBCバンタム級王者だった長谷川 穂積(真正)への挑戦試合は実現してほしかったですよね。