*米国のリング誌が不定期的に行っている「Best I faced」というコーナーがあります。これまで自分が対戦した相手で誰が一番強かったか、というインタビュー形式のものです。特に引退した選手のものになると、その選手を含めた当時の記憶と記録が蘇るため、非常に重宝しています。
今回は1990年代中盤にバンタム級とスーパーバンタム級の2階級で世界王座を獲得したジュニア ジョーンズ(米)。初めて世界王座を獲得する前は、「軽量級のトーマス ハーンズ」と恐れられ、将来を期待された選手でした。IBFバンタム級王座を16度防衛したオーランド カニザレス(米)や、当時のスーパースター、マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)を破るなど、随所にその強さを見せたジョーンズ。しかし思わぬ敗戦を喫したり、肝心な試合で白星を逃すなど、あと一歩何かが足りなかった選手でした。
(長く鋭い左(毒針)が得意だったジョーンズ)
「Poison(毒)」の異名を持ったかつてのスター候補生。ジョーンズは下記に挙げた各項目の名選手として誰を選んだのでしょうか。
ジャブの名手(Best Jab):
ケネディー マッキニー(米)。ジョーンズと対戦する以前に、IBFスーパーバンタム級王座を獲得し、安定政権を築いていた選手。ジョーンズとは1997年の師走に対戦し、ジョーンズを4回逆転TKOで破りWBOスーパーバンタム級王座を獲得しました。マッキニーはジョーンズ同様、スナップのきいたきれいなジャブを的確につく中々の選手でした。
防御の技術(Best Defence):
トム ジョンソン(米)。IBFフェザー級王座の11連続防衛に成功した名選手。1999年2月にジョーンズと対戦した時は、すでに無冠に。ジョーンズとはマイナー団体IBAのスーパーフェザー級王座を賭け対戦。その試合では、ジョーンズが明白な判定勝利を収めています。勝利を収めたジョーンズですが、ジョンソンはとても難しい対戦相手だったそうです。
頑丈なアゴ(Best Chin):
オーランド カニザレス(米)。バンタム級の最多連続防衛記録保持者。1996年3月にスーパーバンタム級のマイナー王座(確かIBCだったと思います)を賭け対戦しました。結果は2対1の判定でジョーンズが勝利を収めています。ジョーンズは何度もその強打をクリーンヒットさせたそうですが、カニザレスはケロッとしていたそうです。興味深いのはその試合で出された判定。二人のジャッジは118対111、117対111でジョーンズの勝利を支持しましたが、残る一人は119対109の大差でカニザレスの勝利を支持。この試合に関しては、うっすらと覚えていますが、試合内容はどちらに転んでもおかしくない接戦だった記憶しています。
出来れば「ジョーンズ対カニザレス」戦は、両者はバンタム級の世界王者だった時に実現させてほしかったですね。
パンチのスピード(Fastest Hands):
カニザレス。自分と同等のスピードがあったそうです。
足の速さ(Fastest Feet):
該当者なし。実戦、スパーリングを含め、思い当たる選手はいなかったそうです。ちなみにジョーンズは、フットワークを駆使するスタイルのボクサーではありませんでした。
賢さ(Smartest):
エリック モラレス(メキシコ)。1998年9月に対戦。マッキニーにWBO王座を奪われた後、3度目の世界王座獲得を目指し、モラレスの保持していたWBCスーパーバンタム級王座に挑戦。当時、一戦ごとに評価を高めていたモラレスから見ると、ジョーンズは名前のある元世界王者で、名前を売るには格好の相手(踏み台/ステッピングストーン)だったでしょうね。実際にモラレスの評価と勢いというものは、ジョーンズ戦後に飛躍的に増していきました。
ジョーンズ曰く、「モラレスはパンチを当てるのがうまかった」そうです。
強さ(Strongest):
マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)。1996年11月、1997年4月と2戦続けて対戦。初戦でジョーンズが、限りなくTKOに近い失格勝利を収め、WBOスーパーバンタム級王座を獲得。ダイレクトリマッチでは、僅差の判定でバレラを返り討ちにしています。
初戦での失格勝利というのは、バレラ陣営が試合のストップを要請するためにリング内に入ってきてしまいました。この試合が行われた米国・フロリダ州のルールだと、それは違反行為とみなされTKOではなく失格という結果になっています。
バレラからは特に接近戦で肉体的強さを感じたそうです。
パンチ力(Best Puncher):
バレラ。
技術者(Best Skills):
バレラ。
総合(Overall):
カニザレス。ジョーンズは特にカニザレスとバレラを賞賛しており、また、彼らに勝利を収めた事を誇りにしているようです。
*ジョーンズのキャリアの流れをまとめて見ると、まずWBAバンタム級王座を獲得。王座から転落後、スーパーバンタム級に転向。カニザレスとの元王者同士のサバイバル戦に勝利した後、バレラに挑戦、そして勝利。バレラを返り討ちにするも、マッキニーに逆転負け。再起戦ではモラレスに一蹴されるも、ジョンソンに勝利を収め一安心。その後IBFフェザー級王座に挑戦するもTKO負け。最後は2002年まで戦い続けました。
ジョーンズの終身戦績は50勝(28KO)6敗(5KO負け)と立派なものです。獲得した主要団体の王座は、WBAバンタムとWBOのスーパーバンタム。辰吉 丈一郎(大阪帝拳)と同時代に活躍した選手で、専門誌では両者の対戦話で盛り上がりを見せた時期もありました。しかし辰吉は怪我と敗戦を重ね、他団体王者に目を向ける余裕はナシ。ジョーンズもバンタム級時代、伏兵のジョン マイケル ジョンソン(米)に敗れた後、上の階級に去っていきました。
(スーパーバンタム級時代のジョーンズ)
引退後のジョーンズは、自らボクシングの会場に足を運ぶなど、熱烈なボクシングファンであり続けているようです。また、ボクシングのパーソナルトレーナーとして後進の指導にもあたっているそうです。