以前、2014年7月24日から2020年5月25日の間に、「この階級、この選手」というものを下記のポリシーに従い書いていました。
「1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。」
「気になったボクサー」というのは、「この階級、この選手」に類似したものになります。ただ、階級やその選手の活躍した時代にとらわれず、記事を投降した時点で「気になったボクサー」を載せていきます。選ぶ側(私ですが)からすると、気楽に現役や過去の選手を選出出来るという事です。
新たな企画の第二弾に登場するのは、1980年代半ばから2012年までクルーザー級、そしてヘビー級で戦ったバート クーパー(米)。通算戦績は38勝(31KO)25敗(16KO負け)と並み以下。主要団体の世界のベルトを腰に巻くことはありませんでしたが、イベンダー ホリフィールド(米)の持つ統一ヘビー級王座に挑戦した経験があり、また、マイケル モーラー(米)とWBOヘビー級王座を賭け対戦した選手です。そのどちらの試合も年間最高試合の一つとして挙げられるもので、クーパーは両試合で「偉大なる敗者」を演じ、ボクシング史に名を刻みました。
9月半ばにエキシビションマッチマッチながらもホリフィールドがリングに復帰。その時無様な姿を世界各地にさらけ出してしまいました。10年ぶりにホリフィールドの最新の試合が見れるという事で、その試合前に、彼の過去のいくつかの試合に目を通しました。その一の試合に今回の主人公であるクーパーが登場しています。
クーパーとホリフィールドが対戦したのは1991年11月23日。本来ならこの日、ホリフィールドはあのマイク タイソン(米)と拳を交えるはずでした。しかし試合直前にタイソンが練習中に怪我をしたため、至急代役探しに没頭しなければならなかったホリフィールド陣営。そこで声がかかったのがバートでした。確かクーパーがホリフィールドの正式な挑戦者として発表されたのが、試合の数日前だったと記憶しています。
当時のクーパーの戦績は26勝8敗と至って平凡なもの。リーチが2メートル(199センチ)近くあるものの、身長は181センチとヘビー級としては小型の部類。クルーザー級からヘビー級に進出してきて僅か2年だったクーパー。ジョージ フォアマン(米)、リディック ボウ(米)、レイ マーサー(米)、カール ウィリアムス(米)、ネート ミラー(米)等、元または後のヘビー級王者、ヘビー級タイトル挑戦者、クルーザー級王者の前には、いいところなく敗れ続けていました。
10月18日に試合を行ったばかりだったクーパーですが、一世一代の大勝負。準備期間が一週間だろうが、3日だろうがそんな事関係ありません。ホリフィールドの地元ジョージア州アトランタに堂々と乗り込んでいきました。偶然でしょうがその10月18日に、ホリフィールドの元にタイソン戦中止の連絡が入っています。
肝心の試合はというと、ホリフィールドがタイソン戦中止の不満をぶちまける形でスタート。初回にボディーでダウンを奪い、「やはりホリフィールドの圧勝かな?」と思わせる第一ラウンドでした。しかし打ち気にはやるホリフィールドに落とし穴が待っていました。パンチを貰い続けても諦めずに前進し続けるクーパー。3回、クーパーのコンビネーションを貰い、ホリフィールドがグロワッキー状態に。そしてロープ際まで弾き飛ばされたホリフィールドは、「ロープが無ければダウン」という判断から、ダウンを宣告されてしまいました。このダウンは、ホリフィールドがプロ27戦目にして初めて喫した歴史的ダウンとなります。
その後もクーパーの善戦は続きますが、最終的には地力の差が出て7回TKO負け。しかし王者からダウンを奪い、しかも試合を通して大善戦したため、敗れてとは言えクーパーの株は大きく上昇しました。
(当時の統一ヘビー級王者ホリフィールドに大善戦したクーパー)
クーパーが獲得した王座(獲得した順):
NABFクルーザー級:1986年6月15日獲得(防衛回数5)
NABFヘビー級:1990年2月17日(0)
WBFヘビー級:1997年7月27日(0)
米国ペンシルバニア州ヘビー級:2002年6月22日(0)
クーパーの実力からすれば、上記レベルのタイトル獲得が妥当でしょう。
(NABF(北米)王座を腰に巻くクーパー)
ホリフィールド戦で大いにその株を上げたクーパー。それから僅か半年後の1992年5月。新たな大きなチャンスが訪れました。当時まだまだマイナー団体だったWBOですが、その空位の王座を賭け、マイケル モーラー(米)と対戦します。
モーラーはWBOライトヘビー級王座を9連続防衛に成功した実力者。ライトヘビー級で出場したすべての世界戦をKO/TKOで終えた強打者。その強打は最重量級でも健在で、ヘビー級転向後、6戦全勝(4KO)を記録。バートがそんな実力者を相手に、またまたとんでもない試合を演じてしまいました。
まずは初回の3分間に、両者がダウン応酬の倒し合うというとんでもない幕開け。3回にはモーラーが、4回にはクーパーがダウンするというドタバタ騒ぎに。最後はモーラーが怪人を仕留める事になりましたが、見てる方としては最高の試合を演出してくれました。
(激闘後、互いに称え合うクーパーとモーラー)
モーラー戦後のクーパーは、コーリー サンダース(南ア)やクリス バード(米)等後の世界王者や、ラリー ドナルド(米)、フレス オケンド(米)、ジョー メーシー(米)等世界常連ランカーと対戦しながら黒星を増やしていき、2002年に一時引退。2010年にリングに復帰し、2勝3敗の成績を加え2012年の試合を最後に正式に引退。ラストファイトから僅か7年後の2019年5月に、すい臓がんのため53歳という若さでその激しい生涯に幕を下ろしています。
(2017年にペンシルバニア州のボクシングの殿堂入りしたクーパー氏)
米国ペンシルバニア州シャロンヒル出身のクーパー。この街はフィラデルフィアの近郊で、フィラデルフィアは伝説のジョー フレージャー(米)や映画「ロッキー」の出身地としでも有名です。クーパーも当然の如くフレージャーの影響を多大に受けており、デビュー当初はスモーキン・ジョー(フレージャーのニックネーム)の指導を受けていました。クーパーのあだ名のスモーキン(Smokin')と師をあやかったもの。クルーザー級を主戦場にしていたころは、「将来的にはマイク タイソン(米)の脅威になるのでは?」とまでいわれていました。しかし薬物(コケイン)に手を染めたり、練習もまともにせず試合に臨んだりと、若いころの素行の悪さが悔やまれます。まあ、それを言い出したらきりがありませんがね。