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あの試合から30年(WBOスーパーフライ級:1995年2月10日)

2025年02月10日 05時19分02秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年2月10日、米国ニューメキシコ州で行われた試合結果です。
WBOスーパーフライ級戦(WBOは当初からスーパーの呼称を使用):
王者ジョニー タピア(米)判定3対0(120-107、118-109、117-110)挑戦者ホセ ソーサ(亜)

この試合が行われた11ヵ月前となる1994年3月に3年半ぶりにリング復帰を果たしたタピア。その後精力的に試合をこなしていき、10月には早くもWBOタイトルを獲得。師走には元IBFフライ級王者ローランド ボホール(比)を相手に無冠戦を行うなど、1994年には10ヶ月の間に7試合(全勝6KO)も実戦を行いました。

(精力的にリング活動を行っていたタピア)/ Photo: Youtube

1995年になってもアクティブなリング活動を続けるタピア。新年の第一試合では、世界王座の初防衛戦を行うことになりました。タピアに初防衛戦に選ばれたのは、15勝(9KO)7敗5引き分けという戦績の持ち主であるホセ ソーサ(亜)。マイナー団体WBOとはいえ、世界戦に出場するには不似合いな戦績の持ち主です。

ソーサは戦いながら実力を付けていった典型的な「叩き上げ」ボクサーといっていいでしょう。最初の10戦の戦績は4勝4敗2引き分けで、次の5戦では白星なしの3敗2引き分けと散々なキャリア前半を過ごしました。その後徐々に白星が増え始め、南米の地域王座戦に出場するまでに成長。その一戦でタイトル奪取はなりませんでしたが、今回暴れん坊タピアの初防衛戦の挑戦者に大抜擢されることになりました。

地元アルバカーキの大声援を背に、序盤戦から優位に試合を進めていくタピア。しかし勝ち負けを繰り返しながら世界戦までこぎ着けたソーサも、一筋縄でいく選手ではありません。パンチを放てばクリンチにいき、その際自身の第3のパンチ(頭)でタピアにフラストレーションを貯めていきます。しかし度重なる反則すれすれの行為から、4回に減点を科されたソーサ。ポイントはラウンドを重ねるごとに開いていきましたが、それでも王者に完全にペースを与える事はありませんでした。

リング外では大問題児として知られるタピアですが、リング上で見せるボクシングは基本に忠実なもの。左ジャブから右ストレート、左右のパンチを上下に打ち分け、確実にポイントを奪取していきます。常に自分の立ち位置(ポジショニング)に注意を払うなど、その試合の組み立てからは長いアマチュア歴と30戦のプロキャリア(28勝1引き分け)が伊達でないということがしばし伺えます。

ソーサの頭突きという老獪さも影を潜めだした中盤以降、挑戦者との差をドンドンと広げていったタピア。大差の判定で初防衛に成功しています。地元では絶大な支持を得ていたタピアですが、一般的にはまだまだその名を聞かせる程度の存在(専門誌で非常に高く評価されていましたが)。しかしすでに世界王者とはいえ、今後の成長が大きく期待が持てたオールドホープでした。

判定はワンサイドで王者の防衛が支持されましたが、フルラウンド戦い抜くという予想外(?)の大善戦を見せたソーサ。この試合から約3年後の1998年3月に来日し、当時のWBCバンタム級王者辰吉 丈一郎(大阪帝拳)に挑戦し大差の判定負けを喫しています。

(タピアに善戦し、後に辰吉に挑戦したソーサ)/ Photo: BoxRec

タピアが出場したこの興行には、同じくアルバカーキ出身で、タピアと人気を二分するダニー ロメロ(米)も登場。無冠戦でプエルトリコのハビエル シントロンを一蹴。4月末に予定される世界初挑戦に向け、無難な調整を終えています。


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1 コメント

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アントニオ バレラ (匿名)
2025-02-11 03:45:44
タピアの生涯は壮絶過ぎましたね、映画化すら出来
ないレベル。Sフライ最強候補として比較に度々上がるカオサイ・ギャラクシーの特集もしていただけたら。
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