1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
問題児ジェームス トニー(米)、スーパーミドル級史上最強の戦士の一人であるジョー カルザゲ(ウェールズ)と続いたスーパーミドル級。同級3人目の主人公はボクシング後進国であるデンマークから突如誕生した超実力者ミッケル ケスラー。トニー、カルザゲに劣らない実力者であり、世界戦でも何度も圧倒的な勝利を収めてきた選手でしたが、わずかに最上級に及ばなかった選手です。

(スーパーミドル級3人目の主人公はミッケル ケスラー)
ケスラーのボクシングは左ジャブから右ストレート、そして返しの左フックと、非常に基本的なものながら、ほとんどの対戦相手に対し圧倒的な実力差を見せ勝利を収めてきました。ケスラーの終身戦績は46勝(35KO)3敗とまったくもって素晴らしいもの。しかしケスラーが同級最強の地位を獲得できなかったのは、その3敗のためになります。
ケスラーが初めて敗北を喫したのは2007年11月。ケスラーにとって節目にあたる40戦目のリング。その試合でケスラーは、当時のWBOタイトル保持者だったカルザゲと、自身が保持していたWBA/WBCスーパーミドル級王座を賭け対戦。実力拮抗者同士の王座統一戦は、キャリアで上回ったカルザゲがケスラーを若干上回り勝利。カルザゲは僅差の判定でケスラーを破ると同時に、同級No1の地位を不動のものにしました。
カルザゲ戦後、いとも簡単にWBA王座に復帰したケスラー。目の上のたん瘤だったカルザゲも現役を退き、今度は同級No1の座を勝ち取ろうとスーパーミドル級トーナメント第一弾に出場しました。その第一回戦で、プロとしてはまだまだこれからと思われていたアテネ五輪金メダリストのアンドレ ワード(米)と対戦。ケスラーの圧勝が予想されていた戦いでしたが、ワードのボクシングに強打が空回り。予想外の負傷判定負けを喫してしまい(しかも大差)、自身2度目の敗北を喫してしまいました。

(ケスラー、若手ワードに苦杯)
ご存知の通り、ケスラー戦後順当に勝ち進んでいったワード。スーパーミドル級トーナメントに優勝すると共に、数年後にはライトヘビー級でも3冠王だった実力者セルゲイ コバレフ(露)に勝利。2階級制覇達成に成功すると共に、その後、無敗のまま引退しています。そういえばカルザゲも全勝記録のまま現役から身を引いていますね。
2度目の同級No1の座獲得チャンスの機会を与えられながら、それを逃してしまったバイキング・ウォーリアー(ケスラーのニックネーム)。カルザゲが引退し、ワードもマネージメントの問題からリング活動が不活発に。さあ、3度目の正直だと同級最強の座を賭け当時IBF王座に就いていたカール フロッチ(英)と2013年5月に対戦。フロッチとは2010年4月に対戦しており、その時は明白な判定勝利を収め、WBC王座を獲得していました。しかし両者による3年越しの再戦はフロッチに勝利の女神は微笑んでいます。ケスラーはここでもまた、あと一歩のところで頂上に到達する事が出来ませんでした。

(2度の激戦を演じた好敵手フロッチと)
ケスラーが獲得した王座(獲得した順):
IBAスーパーミドル級:2002年11月29日獲得(防衛回数0)
WBCインターナショナル・スーパーミドル級:2003年4月11日(3)
WBAスーパーミドル級:2004年11月12日(4)
WBCスーパーミドル級:2006年10月14日(1)
(WBAとの統一王座)
WBAスーパーミドル級(2度目):2008年6月21日(2)
WBCスーパーミドル級(2度目):2010年4月24日(0)
WBO欧州スーパーミドル級:2011年6月4日(0)
WBCシルバー・ライトヘビー級:2012年5月19日(0)
WBAスーパーミドル級(3度目):2012年12月8日(0)
ここまで書いてきた思ったのですが、どうも自分の中には「ケスラー = 肝心な所で負けるボクサー」という印象が強く残っているようです。ただ、その戦績が示す通り非常に強い選手でした。世界王座獲得前には、元WBAライト級‼‼‼、WBCスーパーミドル級王者ディンガン トベラ(南ア)にワンサイドの判定勝利を収めています。トベラと言えば1993年から1994年にかけて、オルズベック ナザロフ(協栄/キルギスタン)と拳を交えている懐かしい選手。その後、WBAミドル級王座に2度就いたフリオ セサール グリーン(ドミニカ)を僅か80秒でKO。ケスラーは世界初挑戦に向け前進し続けます。このグリーンは、日本のリングにも2度上がっているウィリアム ジョッピー(米)と3度も死闘を演じた中々の実力者でした。
ケスラーの世界初挑戦は2004年11月。4度目の世界挑戦でWBAスーパーミドル級王座に就いていたマニー シアカ(プエルトリコ)を相手にあっさりと勝利を収め世界初戴冠に成功。防衛ロードでも圧倒的な強さを見せつけたケスラー。初防衛戦は敵地である南半球の豪州に乗り込み、アンソニー マンディン(豪)にワンサイドの判定勝利。マンディンはWBAスーパーミドル級王座に2度、そして後に階級を落としてスーパーウェルター級のWBA暫定王座に就く選手です。2度目の防衛戦では、元WBC王者エリック ルーカス(カナダ)に快勝。3度目の防衛戦では、WBCタイトル保持者マルクス バイエル(独)との王座統一戦になりましたが、この試合でも圧勝。スーパーミドル級の2冠王に昇格すると共に、前記のカルザゲとのスーパーミドル級最強の座を賭けた一戦に前進しています。

(WBA、WBC王座を順次獲得していったケスラー)
同級史上最強の選手の一人であるカルザゲに僅差の判定負けを喫してしまったケスラーですが、その後苦も無く世界王座に返り咲き。その後、ワードに苦杯を喫したり、目の負傷で戦線を離れる時期もありましたが、フロッチとの再戦に敗れるまで同級の最前線で戦い続けました。フロッチ戦後、何度かリング復帰の話も出ていましたが、結局は2013年5月の試合(フロッチ戦)を最後に現役引退となっています。

(マンディン、バイヤー・レベルを寄せつけなかったバイキング・ウォーリアー)
一流以上の実力を持っていたケスラー。もしバーナード ホプキンス(米)のような、柔軟性のあるボクシングが出来たならば、カルザゲやワードに喫した敗戦も免れていたかもしれません。しかしそうしたら、ケスラーの持ち味である『強さ』が減少していたかもしれませんが。書きながら思いましたが、ケスラーのボクシングには元WBCフライ級王者だったユーリ アルバチャコフ(協栄/露)や、ウェルター級からミドル級までの3階級で世界王座を獲得した偉大なるプエルトリカン、フェリックス トリニダードに通じるものがありましたね。ユーリもトリニダードも、強い時には圧倒的な強さを見せつけました。そして相手によって、そう柔軟なボクシングを展開できる相手には苦戦、もしくは敗戦を喫していましたね。
基本に忠実で、しかも強かったケスラー、しかも圧倒的に。スーパーミドル級史上に残る名ボクサーでした。