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8月29日の記事で梁英姫監督のドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を「ぜひ観て!」と書き、また8月30日と8月31日にも関連記事を載せました。
梁英姫監督のその後の情報はとくに追ってなかったのですが、「北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ」(七つ森書館)という本が11月11日付で発行されているのを一昨日たまたま見つけ、さっそく読みました。
北朝鮮に<帰国>した梁英姫さんの3人の兄の一番上のコノさんが最近亡くなったことをはじめ、映画のことや北朝鮮のこと、在日のこと等を聴き手の佐高信氏を相手に語った対談形式の本です。
この本のタイトルを見て、私ヌルボが心の中で「よもや」と思ったのは、梁英姫さんが「ディア・ピョンヤン」を作って発表したことと、オッパが亡くなったことと何らかの関係があるのか、ということでした。
読んでみるとそういうわけではなく、直接的には心筋梗塞で亡くなったということですが、コノさんを長く苦しめていたというひどい躁鬱病の原因は明らかに北朝鮮の体制です。
「それがなければ生きていけないくらいクラシック音楽が好きだった」彼は、1971年に北朝鮮に渡った時オープンリールのデッキを持っていったのです。しかしそれを見たこともない北朝鮮の人は、「日本から、資本主義を知った青年が、ヘンな探査機のような機械をもってきた」ということで「個人攻撃でつるし上げられ、自己批判を求められた」とのこと。そして忠誠心を誓うことを繰り返すうちに、本当におかしくなってしまったとか・・・。
梁英姫さんが昨年から北朝鮮への入国が禁止されていることもこの本を読むまで知りませんでした。
「ディア・ピョンヤン」の素材となった映像は出国の時「一秒残らず、早送りでチェック」を受けたものだとのことですが、それで映画を作るという許可はとっていなかったとか。
英姫さん自身は「私は、ピョンヤンにいるあいだは、本当にいい子ですよ」とのことで、「何をするんですか? そんなにいっぱい撮って」と聞かれたら、「これは、私の絵日記で、老後に見るのが楽しみなんです。・・・」と案内の人を撮ってあげたりしてますが、やっぱり北朝鮮当局は許さないですね。
英姫さんはたしかに直接接する人たちにはとても上手く接していますが、政治的な観点からはずいぶんピュアな人だなあと思ってしまいます。
たとえば、「私が撮った映像は、北朝鮮に住んでいる人のホーム・ビデオです。・・・ごく普通の家族の営みです。・・・私としては、「こんなものがあってどうしていけないんですか? 家族の話をしちゃいけないんですか?」という感じです」とあります。
しかし、朝鮮総聯の幹部だったアボジ(父)が(息子たちを北朝鮮に)「行かせなくてもよかったかもしれん・・・」などともらしている素顔を出して許されるわけはないでしょう。
また「私としては、政府の許可をいただいて作品をつくるなんて冗談じゃないですよ! 本来なら、アーティストが自由な作品づくりができるようサポートするのが国や行政の仕事でしょう」とも・・・。
こんな正論が通じない国々の代表例が北朝鮮なのに・・・。しかし、ことほどさようにピュアだからこそ「ディア・ピョンヤン」という佳作が作られたともいえるでしょう。
その他、彼女がこれまで接してきた中での日本人の<韓国籍>と<朝鮮籍>についての無知とか、本名と通名についての意識の話は興味深かったです。
<朝鮮籍>だからといって北朝鮮支持者とかではないのに・・・。
この本の大きな不満は聞き手の佐高信氏が全然日頃の(?)厳しさ・鋭さを欠いていること。「マスコミは、北朝鮮に暮らす市井の人々のことを、知ろうという努力をしなさすぎます」って、それがいかに大変なことかわかっているのでしょうか? また北朝鮮当局がいかに「市井の人々のことを知らせまい」とどれだけ努力してきたかを・・・。
梁英姫さんがピョンヤンで暮らす姪を主人公にしたドキュメンタリー「ソナ、もうひとりの私」が10月に開かれた釜山映画祭で上映され、さらに2010年2月ベルリン映画祭に正式招待されたとのことです。いずれ日本で公開されることを期待したいと思います。小さい時から英姫さんの話を訪問の度に聞きたがってきたソナさんは今18歳の大学生で、英姫さんの感化を受けて英語を勉強しているようです。映画やこの本等で注目されて、ソナさんや他の英姫さんの兄たちの家族に災いが及ばないことを願います。