知人に片足のない方がおられます。六歳の時、焼夷弾の破片が直撃し、失いました。筆舌に尽きない辛苦を味わって、今に至っています。国家の犠牲になっているのです。びた一文の補償もなく。命があっただけまし、と言う人もいますが、死ぬよりつらい事もあるのです。
八月になると戦争について取り上げられることが多くなります。戦争を知らない世代の私は、若いころ、そんな昔の話、聞きたくないわ、と耳を塞いでいました。けれども時間が経つにつれ、戦争の原因、結果はいかに時間が流れようが薄まるものではないということが分かってきました。私たちの今の平和は、彼ら彼女らの犠牲の上に成り立っているのです。
武力による解決は勝利しても犠牲が多く、傷も深い。まして敗者となったならば疲弊しきった国家、亡国になったかもしれない国に戦後処理など望めないのでしょうか。
為政者にすべてが託されています。国民は一人ひとりが、彼らを見定める目を持つことです。