時々見てるんですよね NHK E テレ の100分de名著 。100% 読んだことがないと言ってよい本ばかりだけど、 伊集院 光さんの 話とかを聞いてたら、触発されて読みたくなる。何冊かは読んだかな。
今 紹介されてるのが 民族学者 宮本常一さんの「 忘れられた日本人」。 たった4回で紹介するにはあまりにも 未消化に終わってしまう。 気になる本は 図書館へ GO。
宮本常一さんは 日本国中を歩いて 、地方のことを記録した方で 、宮本常一 さんと袖擦りあった方は ごまんとおられるでしょうが、 私もほんの少し、間接的に擦り合ったことがあるんです。
ずいぶん昔になるけれど、宮本常一さんの奥様が、宮本常一さんが亡くなられて、夫の故郷の山口県に帰る途中で、訪れてみたいと、私の住むに町に来られたのです。その時、案内を私がしました。
1918年生まれの亡母は、小学生のころ、宮本常一先生が新卒くらいの若さで赴任してこられ、担任になられたのでした。母は先天性の弱視でした。その頃、眼鏡をかける小学生はなく、教室では泣き虫の母を、家まで来て両親に眼鏡を掛けさせてあげてください、と進言してくださったそうです。
それから眼鏡を掛けるようになって、母の人生は拓けたそうです。大恩人だと言っていました。
それまでに宮本常一先生のお名前を聞いてはいましたが、所詮自分の事じゃない、上の空でした。
ある時母が、テレビで宮本常一さんの名前を聞いたと大騒ぎしているのです。その時はまだ先生はご存命中だったと思うのですが、あまりに長い時間、母は遠い世界にいたようです。母はそれから女学校、女子師範学校を経て教師になりましたが、結婚を機に家庭に入り、世間との接点はほぼなくなっていました。時間が止まっていたのじゃないかと思うくらいで、元来視力が弱くても編み物もでき、教師もできていたのに、45歳くらいに緑内障を煩い、社会と隔絶するようになっていたからかも知れません。
それからすぐに宮本先生のご住所を探しだし、母の語る文章を私が書きおこし、代筆したんです。詳細は忘れてしまったけれど、何らかアクセスしたので、その絡みから40年ほど前に私の町に来られたんだと思います。
それから何冊か先生の著書が手元にありましたが、母は読めません。ホンのわずか、読んであげたけれど、こんなにたくさんの著書があると、母も私も知りませんでした。私はその頃、自分のことで精一杯で、本を読んであげると言う思いやりは待ち合わせていませんでした。それに残念なことに、わたし、歴史、地理、民俗学的なこと、文学的なことに興味薄い人間だったこともあると思うのですが。
今、視覚障害者のための音訳をしているのは、その時の思いがオリとなって底にへばりついているものを、少しでも剥がしたいという思いからです。
今、図書館で「和泉の国の青春」という宮本常一さんの著書を探し当てて、読んでいます。
本当に誠意ある、苦学して人生を切り拓いた人だったんだ。