度胸はあるほうですか?
社会人の生活も長くなれば、”私、上がり症なんです”なんて甘えたことを言ってる場合ではありません。天性のものもあるでしょうが、場数を踏むことで培われる性質のものの一例だと思います。
なんて偉そうに言う当方、末っ子育ちも禍してる(責任転嫁している)と思われますが、何事も人のお尻に付いて行って、人前に立つ事もほとんどなく、逃げると言ったほうが正確かも知れません。
今回の定期演奏会は、多少の難は有りましたが個人的に、そう大した谷間もなく終えました。
かつて、上がってしまって収拾がつかないくらいの窮地に陥ったこともありました。それを終えた後で、弁明をすればするほど、傷が深くなるようで、何一つそれに触れられません。人様はなんと見ているのか想像できますが、もう思い出したくありません。耳も目も塞いで過去のことにしてしまっています。
10代の頃、私はあがり症を肯定していたようなところがありました。
言葉の裏には、本当の実力はこんなんじゃないけど、あがるから実力を発揮できないだけ、と言ういい訳を含んでいました。これをスッキリお見通しの、時の友人に”度胸も実力の内”とあっさりいなされました。キツーいお言葉。
折に触れて思い出す言葉です。お言葉を胸に、それから少しは成長したつもりですが、人間そう変われるものではないんですよ。
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