☆もし、こんな日にシェラが死んでしまったら……
このエントリーは、ぼくの昨日からの懺悔の記録である。
昨朝、家を出てから気になっていたことがふたつあった。ひとつは、朝の散歩にシェラを連れていかなかったことである。立ち上がるのもしんどそうだったし、オシッコは寝ながら漏らしていたのでオムツをさせている。わざわざ連れ出すには及ばないだろうと散歩は見送った。
気になっていたふたつめは、朝、会社へ出かけるときに時間が迫っていたのでシェラとルイに声をかけてやらなかったことだった。いつも、「じゃあ、いってくるよ。早く帰ってくるからね」などといって頭を撫でてやるのに、昨日はそれを飛ばして家を出ていた。なんでもないときなら気になるはずもないが、瀕死のシェラに大切なことを忘れたようでしきりに悔やまれた。
もし、こんな日にシェラが急変して死んでしまったら間違いなく「なんであのとき……」「あの日の朝にかぎって……」と悔やみ続けていくだろう。会社へ着いても落ち着けず、昼過ぎに家人のケータイへ電話をかけて様子を訊いてみた。
とりたてて散歩へいきたがるふうもなく、相変わらず静かに寝ているという。「やれやれ……」とため息を洩らし、ようやく落ち着くことができた。
☆もうシェラとの時間はほとんどない
会社の終業時刻と同時にケータイへ家人からメールがきた。
悪いですが、少し早く帰れますか?
シェラを少し外に出したほうが良いかなと
思うのですが、私の力では無理なので。
むろん、ぼくはすぐに帰り支度をはじめた。10分後、オフィスを出ようとしているところへまたメールがきた。
水を飲ませたいので、薬局で水差しを買ってきて
ほしいんだけど。
返事を準備していると、再メールが……。
大丈夫でした。買っていたのがちょうどあり
ました。
7時を少しまわったころに家に帰り着いた。玄関のドアを開けると、目の前にシェラが寝ていた(写真=上)。ぼくの帰ってきたのには気づかず、ぐっすり寝ている。カバンの中からカメラを出して撮す。もしかしたら、これがぼくを出迎えてくれる最後になるかもしれないから……。
寝ている姿がなんとも愛しい。17年間という決して短くはない時間をともに生きてきた愛惜の果て、もう残された時間がほとんどないからなおさらにつのる愛しさだろう。
「ね、シェラちゃんのオムツを外してやりたいから手伝ってくれる」
着替えもせず、カバンを置いただけで写真を撮っていたぼくに家人がポツリといった。夕方、シェラはオムツをつけたまま何度か部屋の中をウロウロしたらしい。「シェラちゃん、お散歩にいく?」と訊いてもまた寝てしまったりして、散歩にいきたいのかどうか判然としなかったという。
ぼくがシェラの身体を持ち上げ、家人がオムツを取ろうとするが、家人は腕がすくんでなかなか外せない。不本意に身体を持ち上げられたシェラが、「ウーッ!」と低く唸る。「オレがやるからどけ!」といって、左手でシェラを支え、右手でぼくはなかば強引にオムツを外した。「そんな乱暴に……」家人がぼくに抗議する。「身体を持ち上げられているのだってシェラには辛いんだよ」ぼくは妥協しなかった。
☆やっぱりガマンをしていたんだね
シェラのオムツはまったく濡れていなかった。拍子抜けするほどである。
「この子のことだから、もしかして、穿かされたオムツを濡らしちゃいけないと思ってガマンしてたんじゃないのか」
「そうかもしれない」
オシッコがしたくなっても出せないでがまんしているのではないか……。ぼくは服を脱ぎ捨て、散歩着に着替えるとカートまで運ぶためにシェラを抱き上げた。
抱き上げたシェラはすっかり軽くなっていた。そりゃそうだ、もう4日間、食べていない。外でカートから出して地面に置いてやると、たちまち腰が砕けて座り込む。手を添えて立たせるとよろけながらもけんめいに立ってくれる。
その場でオシッコをする。一週間前に比較すると量が多いとはいいがたいが、このところの量としては多めである。
倒れそうになりながら、2メートル、3メートルと移動し、また同じくらいの量のオシッコをした。凍りつくほどの悔恨が押し寄せてきた。間違いない。やっぱりシェラは、慣れないオムツをされてお漏らしさえできなくなっていたのである。なんというかわいそうなことをしてしまったのだろうか。
「シェラ、悪かった。ごめんな。苦しかったろ。もうオムツなんかしないからな。また、オシッコがしたくなったら、どこであろうと遠慮なくやってしまってもいいからな」
シェラをカートに戻しながら、ぼくはシェラに二度、三度と詫びた。
☆すべてが裏目に出てしまった
自分の夕食が終わってすぐにもう一度シェラをカートに乗せて連れ出した。再び同じくらいの量のオシッコが出た。
家に戻ると、もうひとつの間違いを犯していたことに気づかされた。最初の散歩から戻った直後、ぼくはシェラに水を飲ませていた。ふつうの容器からは飲まず、水道の蛇口からしか飲まなくなっているのを見て、家人が水差しを使おうとして、ふと、わが家のわんこグッズの中に水差しに代わるちょうどいい容器を見つけて使っていた。
それはぼくが100円ショップで手に入れたソフトプラスチックのドレッシング容器だった。オス犬のルイを散歩に連れていったとき、足を上げてどこかへ引っかけたオシッコを洗い流すために買ったのだが、まだ使っていなかった。
その容器に水を入れて口の脇から差し込み水を出してやると、シェラはガブガブと飲んだ。平置きの容器から飲めなくなったということは、もう、舌が動かなくなってしまっているからかもしれない。
水を飲まなくなったのではなく、飲めなくなっていたのだ。さぞや辛かろうと、ぼくは胸が押しつぶされそうな痛みを感じながら水を飲ませた。
だが、二度目の散歩から戻った直後、シェラはその水を吐いてしまった。大量に飲ませすぎたのだろう。苦しそうに吐くシェラにまたぼくは謝り続けた。
この日、ぼくがシェラのためによかれと思ってやったことのすべてが裏目に出て、シェラをさんざん苦しめてしまった。
シェラ、ごめんね……