☆心配しなくてもいいだよ
シェラを送って最初の週末を迎えようとしている。
先の日曜日の昼間をどのようにして過ごしたのか、思いだそうとしてもほとんど記憶がない。ずっと家にいて、ひたすら、シェラの最期の瞬間を迎えるべくぼくたちは息をひそめるようにして時間を送っていたはずだ。
ときおり、眠っているシェラに目を向け、呼吸が止まっていないかを確認する。去年7月にむぎがあっけなく絶命してしまった恐怖が明らかにトラウマになっていた。
日曜日の昼は、シェラの痙攣があまりなかったような気がする。眠っているあいだは呼吸も苦しげではない。呼吸している証にお腹のあたりの毛がかすかに動くのが確認できて安心するのだが、少しでも目を凝らして見ていると気配を感じ取ったシェラが目を覚まして見返してくる。その鋭敏さは驚くばかりである。
横になったまま目を開いて見返すシェラにぼくは微笑みかけてやる。「ここにいるよ。どこへもいかないからね」と心のなかで語りかけながら……。それでもシェラは横たわったままだるそうにぼくを見つめている。シェラに不安を与えないようにと、ただそれだけを考えていた。
☆たくさんの思い出を語りあう
日曜日の夕方から夜にかけて、シェラの状態がガクンと落ちた。痙攣の発作が増え、そのたびに苦悶するシェラを力づけ、吐瀉物の始末をくりかえす。
「なぜ、こんなに苦しめなくちゃならないの。もう、いいじゃないの。楽にしてやって!」
夜、何度めかの発作のあと、家人が全身をふるわせてぼくに訴えた。迷いながらぼくも同じことを考えていた。そのくせ、感情的な物言いでこたえている。
「わかった、そうしよう。だけど、あとになって悔やんで愚痴るなよ。その約束だけはしておけ」
不本意にも、シェラの前でぼくたちは口論をしてしまった。
ぼくが冷静さを失ってしまったのも、苦悶するシェラの姿に明らかに動揺してしまったからだ。
――もうこれまでだ。シェラをぼくの意思で楽にしてやろう。
そう思いはじめてはいても決断の踏ん切りがつかずにいた。想いは家人と同じだった。
「やっぱり(安楽死は)できないわ。さっきの話は撤回します。最後までシェラを見守ります」
しばらくして、家人が凛としていった。しかし、すでにぼくの決意はかたまっていた。
「だれのせいにもしない。オレの判断で、オレの意思でシェラを楽にしてやりたいと思う。だからひと晩、シェラと一緒に寝かせてくれ」
もう躊躇はなかった。明日の朝、シェラを病院へ連れていくつもりだった。
ぼくは寝袋にくるまり、朝までシェラに添い寝して過ごした。キャンプでいつもシェラと寝た寝袋である。キャンプとちがうのは、顔が触れんばかりにして、シェラの身体を撫でながら、ときには頬ずりしてやりながらということだった。
目の前にいるぼくの顔をシェラはまばたきもせず、ずっと見つめていた。まっすぐに向けられているシェラの黒い目がぼくにはひとしお愛しくてならなかった。
☆ぼくを見つめるシェラの瞳
たくさんのことを声にだして話しかけた。シェラとの出逢いから17年間の来し方の思い出のあれこれを思いつくままに語った。わが家の旅の途上にはかならずシェラやむぎがいた。
まだむぎがわが家にくる前、ぼくとシェラはふたりだけでたくさんキャンプに出かけていた。奥日光や水上の奥の山中、富士五湖周辺、裏磐梯の湖畔……。ふたりだけのアウトドアの思い出は楽しさやスリルで濃密な思い出になっている。むぎが加わって、また別の楽しさが得られた。どんなに幸せな日々だったかをぼくを見つめるシェラに語った。
身じろぎもせずに聞き入っているシェラに手を伸ばし、頭を撫で、耳に触れ、背中をさすった。今夜が最後の愛撫である。この手のひらに残るビロードのような柔らかな感触を、ぼくは決して忘れないよと誓いながら。
ときおり、朦朧とするのかシェラが目を閉じ眠りについたときだけぼくも撫でるのをやめて目をつむった。しかし、イビキというか、気管からの異音に心が痛んで眠りにはつけない。あるいは、呼吸が細くなり、いつ消え入てしまうのかとハラハラすると、やっぱり不安でとても眠れなかった。
やがて、イビキこそ混じっているが、呼吸が太くなったと感じてぼくがウトウトとすると決まってシェラの痙攣がはじまる。苦しげに、悲しげに「お父さん、痛いよォ~!」と訴える声が響く。リビングのケージのルイが呼応して火がついたような烈しさで吠えてシェラの異常を告げた。
ぼくは起き上がり、寝袋から脱けだして、しかし、ただ首を抱き、駆けつけてきた家人とともに身体をさすってやるしかなすすべがなかった。リビングでは吠えつづけるルイを、泊まり込んでくれたせがれがなだめていた。
シェラが落ち着き、ふたたび顔をつきあわせて寝るたびにぼくはシェラに約束した。
「ごめんよ、シェラ。朝になったらもう苦しまずにすむように先生に頼むからね。これはお父さんが決めたことだ。だからいいよね。わかってくれるだろ。もう、辛い思いをしないでゆっくり寝ようね。楽になって眠れたら、きっとむぎちゃんと会えるよ。だからわかってくれるね」
ぼくを見つめるシェラの耳元に何度となく語りかけた。きっとわかってくれたと思う。
☆やっぱりぼくの娘だよね
夜が明けはじめた。シェラとの永別の時間が迫っている。何度めかの痙攣のあと、家人がルイの首を抱いて子守歌をうたってやっていた。シェラも満ち足りた顔で家人の腕に身体をゆだねている。
寝袋から脱けだしてトイレへ入り、戻ってみると家人の腕の中で不自然に首をまわしてぼくが戻ってくるのを待っているシェラがいた。
「ダメよ、あなたの姿がないと探してばかりで……。また、お父さんのシェラに戻っちゃってるわ」
むぎがシェラに依存して生きていたように、シェラもまた家人に依存して生きてきたはずだった。ことあるごとに、ぼくは「だれがおまえを拾って連れてきてやったと思っているんだよ」とシェラをからかってきたものだった。
17年前の早春の朝、あのとき、捨て犬だった子犬のシェラは、抱き上げてやるとまたたくまにぼくが着ていたブルゾンのなかへもぐりこみ、わき腹から背中のあたりで寝込んでしまった。
最後の最後にやっぱりぼくのところへ戻ってきてくれたらしい。いや、心はいつもぼくを一番に置いていてくれた。そんなことは百も承知で過ごしてきた17年間だった。言外にぼくたちの心はいつも重なりあっていた。
だれかからシェラをほめられるとき、いちばんうれしかったのが、「まるで人間の親子のように(ぼくと)似た顔をしてる」との言葉だった。そう、ぼくたちは親子、シェラは文字どおりのマイ・ガールなのである。
☆そして別れのときがきた
病院が開くのは午前9時、ぼくたちが家を出たのもそのくらいの時刻だった。せがれがクルマを運転し、ぼくがリアシートでシェラにつきそった。病院までの最後の時間を家人がゆずってくれた。
すっかりわかっているのか、シェラは静かだった。もう発作が起きなかったのが救いだった。病院でもシェラは目を伏せ、おとなしくそのときを待ってくれた。
「立ち会いますか?」という先生のことばに、「もちろんです」とうなずく。この期におよんでシェラをひとり逝かせるわけにはいかない。
最期のときは家人とせがれにまかせた。家人が頬ずりし、せがれが身体を撫でて別れに立ち会った。ぼくはふたりの背後からのぞきこみ、シェラが幸せな眠りにつくのを見とどけた。
ぼくの愛しい娘シェラ、17年間、ありがとう。
ゆっくりおやすみ。
また会うそのときまで待っていておくれ。
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