愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

いつになったら未練を絶てるのだろうか?

2012-02-16 22:55:20 | 残されて

☆降る雪にシェラを思い出す 
 午後6時30分、会社を出るとはらはらとヌカのような小雪が舞っていた。寒いので帰りは飯田橋から地下鉄に乗ろうと思っていたのに、ぼくは反対方角の九段方面へと歩き出した。雪を見て、真っ先にシェラを思い出していたからである。シェラがもし元気でいたら、この雪をどんなにか喜ぶだろうか。そんな思いが頭をよぎる。シェラの鎮魂のためにも、シェラが去って最初の雪のなかを歩きたかった。
 
 雪が大好きだったシェラのために、雪が降らなかった年や、もう雪を望めない春先になると、ぼくたちは八ヶ岳の山麓や富士の裾野までクルマを走らせたものだった。道端の汚れた残雪でさえシェラは身体をこすりつけて喜んだ。冬はまぎれもなくシェラの季節だった。


☆激変したルイとぼくとの朝の散歩 
 雪で喜んでくれるシェラがいない今年の冬、例年と変わったのは、朝夕の散歩がルイだけになったことである。夕方は家人がやっているので、シェラが中心だったころとの落差の実際はわからないが、朝の散歩はルイとふたりだけで歩く距離が飛躍的にのびた。

 シェラがいたころは、シェラが歩こうが立ち止まっていようが、30分ほどの散歩時間の大半をシェラのために使ってきた。むろん、その間もルイは一緒だったが、運動量はほとんどなかった。そのあと、シェラをクレートに入れて待たせ、ルイのためだけにふたりで急いで歩いた。時間にして10分足らず、距離も知れていた。

 いまはルイのためだけに散歩時間のすべてのを費やし、ぼくのケータイの歩数計で、毎朝、2500歩を目安に歩いている。この間、ルイはあちこちでにおいを嗅ぎ、こまめにオシッコをかけ、それをぼくが持参の水で洗い流し、前日、あまり食べていないはずなのにウンコもきちんと3回排泄する。

 排泄された量を見ると、「今日も食べなかった」という家人の言葉が信じられなくなる。もっとも、ドッグフードはほとんど食べないので、家人がご飯におかずをまぜた「特別食」を作ってやるとなんとか食べているそうである。


☆ルイにどうやって食べさせようか 
 昨日は会社を終業の定刻から遅れること30分ほどで出ていたので、家に帰り着いたのも早めだった。ルイの食器には、例によってドライの上にウエットがかけられたフードがもっこりと盛られて放り出されていた。
 ぼくが食事をしている間、ルイはやっぱりお腹が空いていたのだろう、しつこく「ちょうだい!」とぼくや家人の膝に前足をかけてきた。むろん、ぼくたちはルイのわがままを無視した。

 自分の食事が終わってから、ぼくはルイのドライフードをルイの別の食器に入れて与えてみた。「そのままじゃ食べるわけないでしょう」と家人は冷ややかである。たしかに、ルイはそっぽを向いた。ためしに食器をキャンプのときにシェラやむぎが使っていたスチール製の皿に変えてみたが結果は同じだった。

 次の手段として、ジュリーさんやノエママさんのコメントでご教示いただいたとおり、「遊び」あるいは「トレーニング」もどきでやってみることにした。
 まず、ルイに「おすわり」を命じ、それに答えた直後、ベタほめにほめてドライフードを手のひらに数粒乗せ、「ほら、いい子だからごほうびだよ」と差し出すと。条件反射のように口に入れて食べた。次に「お手」で同じことをやる。成功だ。次は「おかわり」、次が「伏せ」、「待て」と一巡して、あとはアトランダムにコマンドを発し、こたえるたびに大げさにほめて「ごほうび」としてやった。

 後半は飽きてきてダレはじめたので、身体をひっくりかえして遊んでやったりしたあとに、もう一度、集中力を取り戻させて「トレーニング→ごほうび」で予定の分量をなんとか与え終えることができた。
 「毎回毎回、そんなことやってられないわよ」とは家人の反応。「ルイちゃん、明日から、夜のご飯は全部お父さんから食べさせてもらってね」と(今夜の様子は写真つきで明日のエントリーに記す)。

 食後は、ルイのリクエストにこたえてボール投げでとことん遊んだ。呼吸(いき)が上がってしまい、喉もカラカラに渇いても、まだルイは音を上げない。「もう倒れる前にやめよう」と言い聞かせて遊びタイムを終えた。ケージに入れてやると、死んだように眠ってしまった。


☆あきらかにルイの心に宿った深い闇 
 ルイの元気な様子を見ていると、単にわがままから餌を食べなくなっているようにしか思えないが、少なくともきっかけはシェラの呻吟がつづいた最後の夜にある。翌朝のルイの哀しみと絶望をないまぜにしたような険しい表情を思い出すとぼくはいまも胸が痛む。ルイはたしかに元気に遊ぶが、その裏で傷ついた心を抱えているとしたら、なんともやるせない。

 あの朝のルイは、これからシェラが死地に向かおうとするのをすでに知っているかのようだった。むろん、シェラもまた、もう二度とここへは戻れないと悟った静謐をたたえた表情でぼくの腕のなかにおさまった。
 やっぱりふたりとも、迫りくるシェラの命運に気づいていたのだろう。

 親犬から離されてようやくめぐりあえた代理の母ともいいうべきシェラをまたすぐに失ってしまったルイの寂しさをぼくらは憫察してやるべきだろう。いかにもはかなげな細雪くらいでシェラの面影を追っているぼくなどの何倍もルイは寂しさを感じているのかもしれない。
 
 食欲の減退ばかりではない。シェラの亡きいま、ルイが苛立っているのもたしかだ。具体的にはあらためて記すが、情緒不安定とでもいうようなルイの行動ぶりである。
 むぎを、そして、シェラを愛してきたように、いや、それ以上の愛情でルイの心に宿った漆黒の闇を取り除いてやるのがぼくの急務だろう。



みなさま、お世話になりました。

2012-02-15 22:03:21 | 残されて

いつもふざけて遊んでいた過ぎ去りし楽しかった日々のひとコマ

 シェラが逝ってすでに10日近い時間が経過しました。シェラが心ゆくまで世話をさせてくれ、その間、しっかり覚悟を決めることができたせいでしょう、むぎのときのような自責の念にもさいなまれず、ただ、半身をもがれたようなあたりまえの寂しさにのみひたってきました。

 愛するものとの別れは、その愛が深ければ深いほどあとになってじわじわときいてくるというのを経験的に知っています。それでも、きっとペットロスで心を曇らせてしまうことはなんとか避けられそうです。

 ひとつには、これまでいただいてきた応援コメントのおかげですし、もうひとつがルイの存在です。
 シェラを送るにあたりこのブログをつづけていてほんとうによかったと思っております。そのときそのときの自分の存念を吐き出す場として役だってくれましたし、なによりも病魔に魅入られて苦しむシェラとそれを見つめるわたしたちへのあたたかい応援メッセージや的確な看護のあれこれをご教示いただきました。あらためて御礼申し上げます。


いま、元気なルイにぼくたちは助けられている(今朝のルイ)

 今後は気持ちも新たにシェラやむぎの思い出を振り返りながら、目のまで元気に暴れているルイとの幸せな日々と向き合っていきたいと思っております。

 シェラがいなくなってしまったいま、これまでいただいているコメントへのご返事が完了してのち、適当な時間を経て「日本ブログ村」の「老犬・高齢犬」のカテゴリーからは離脱するつもりです。
 そののち、ブログ村からも離れるか、別のカテゴリーでふたたびお世話になるかはまだ決めていません。

 ただ、ほんのいま少しここにとどまり、シェラとむぎの幻影を追わせていただきます。


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たくさんのアクセスをありがとうございます。心から御礼申し上げます。


そうか、シェラ、もうきみはいないんだね…

2012-02-14 23:58:21 | 残されて
☆収納庫に残ったシェラとむぎの遺品
 昼間、寒さが身体の芯までしみこむような一日だった。
 シェラが消えて一週間、ふと、家の床のどこかにいたシェラの姿を無意識に探してしまう。ぼくの視界に入っていないときは、玄関前の廊下のはずれ、あるいは寝室のぼくのベッドの陰、リビングならむぎのお骨の前などがシェラのいた場所である。朝、目が覚めてもベッドのすぐとなりの床にシェラはいない。

 そうだ、もうシェラはいないのだ、と何度再認識しただろうか。そのたびに、すでに片づけられたシェラのベッドや食器、水飲み容器などがなくなっている現実を冷めた目でまた確認する。前になくていま新たに増えたのはシェラの遺骨くらいだけである。

 シェラを連想する品物は処分してしまったが、廊下に面して造りつけられている収納棚の扉を開くと、棚の一角にはわんこたちのいろいろなグッズが収まっている。むろん、シェラとむぎが使っていたものばかりである。最後まで使っていたレインウェア、以前使っていたレインウェアもある。ほかには古いリードやらカラーやらである。いま、ルイが使っているカラーはそんななかのひとつのむぎのお下がりである。

 この収納棚に、むぎが使っていたセーターやらダウンベスト、綿シャツなどの服類がいまも何点か残っている。これらをルイが使うことはないだろう。まもなく、ルイはむぎよりもはるかに大きくなってしまうからだ。


☆むぎは寒がりだったけど
 1年前のいまごろ、シェラとむぎを連れて朝の散歩に出かけていた。寒さにはめっぽう強いシェラにひきかえ、むぎは寒そうな表情を見せる。かといって寒いなかの散歩をいやがるわけではなかったが、寒さとともに元気になるシェラのような犬らしさはなかった。

 近年のむぎは、冬になるとベッドの上に乗ってきて寝ていた。ひときわ寒い夜は家人の布団のなかへと潜り込んでいた。決してぼくの布団に入ってこないのは、それだけ信用がなかったからだろう。いつ押しつぶされるかわからないから。

 真冬のキャンプで、むぎは家人の寝袋に潜り込んで寝ていた。床にホットカーペットを敷いてあるとはいえ、やっぱりテントだと寒さは厳しい。シェラはホットカーペットだと暑くてがまんできないらしく、カーペットを外れたテントのヘリのほうに移動して寝ているのが常だった。

☆シェラに買ってやった唯一の服
 わが家のわんこたちは、雨の日のレインウェア以外、服を着せたり、靴を履かせたりはしない(似合わないし)ものの、真冬のキャンプだけは例外だった。
 収納棚にシェラやむぎ用のアイテムを入れた箱がある。古いリードやらカラーやら、レインウェアなどだが、むぎが使っていたセーターやらダウンベスト、綿シャツなどの服類がいまも何点か収納してある。

 それらの服でシェラ用のものはなにもない。ぼくの記憶によると、シェラのために買ってやった冬キャンプ用のダウンベストだけだった。むぎとお揃いのなかなかシブいヤツでシェラによく似合っていた。まったく同じデザインと色だというのに、むぎが着るとかわいらしく、シェラに着せるといかにもアウトドア犬らしく見えた。

 その唯一のダウンベストは数年前の年越しキャンプ用に購入した。伊豆半島の里山とはいえ、日没とともにぐんぐん気温が下がり、明け方には0度近くになる。キャンプ初日の夕方、シェラにもベストを着せてやって遊んでいると、シェラがカラーを抜いて脱走した。まだ、それほど元気だった。

 10分ほどしてようやく戻ってきたシェラはすでにベストを着ていなかった。その姿を見た瞬間、「う~ん、やっぱりなにも着ていないほうがいかにもシェラらしいな」と実感した。
 無駄を承知でシェラが走り去った方角を探してみると、生け垣の下にシェラのベストが引っかかっていた。そこを通り抜けるときに引っかかり脱げてしまったのだろう。そうとう無理して脱いでいるはずだからやっぱり一部破けて中身のダウンが顔を出していた。


☆もうライフスタイルが変わるから
 そんな思い出を封印して、シェラやむぎが使ったアイテム類もいずれ早い時期に始末することになるだろう。たぶん、ルイのためにダウンベストやらセーターなどを買う必要はないと思う。
 ルイが寒さにどれほど強いか、それとも弱いかわからないが、わんこがふるえあがるような寒さの中でのキャンプは、すでにぼくたちがきつくなってくるだろう。
 
 だからわんこグッズ収納のためのスペースはなくてもいい。シェラとむぎがいないこれからのわんこライフは、また新たな関係性を築いていくことになる。でも、まっさきに考えてやりたいのは、ルイにとって快適であらねばならないという一点である。
 
 そのルイの食欲は、きょうもまだ萎えたままである。
 

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まだ癒えてはいなかったルイの哀しみ

2012-02-13 23:02:58 | 残されて

☆好転していなかったルイの拒食 
 きのうまでの暖かい日差しから一転して、きょうは雨の予報も出た鈍色の一日だった。持参した傘を使うことなく終わったのがせめてもだが、あすもあさっても天気はぐずついたままだという。そして、週の後半に空模様こそ回復を見せるが、寒さが戻ってくるという。記録的な積雪に呻吟する豪雪地帯の方々に心からのお見舞いを申し上げる。
 
 昨日の夕飯をようやく食べてくれたルイだったが、今朝はまたほとんど食べてくれなかった。ルイと一緒の散歩はぼくの歩数にして2600歩、およそ20分かけたので、空腹であるはずなのに、ドライフードとウエットフードの混合を嫌った。ドライをあたりにまき散らして終わった。ドライに飽きたからかもしれないというので、すでに二度、変えてみたがうまくいかなかった。
 
 シェラがいなくなった喪失感なのか、それとも不安なのか。やっぱり、シェラの苦悶の叫びで受けた傷、いわばPTSD(心的外傷後ストレス障害)のようなものなのだろうか。
 もっと単純に守ってくれるはずのシェラがいなくなった不安からなのかもしれない。家人によれば、昼間も、シェラがいたころのような熟睡をしていないという。ほんのちょっとした気配ですぐに目覚めてしまうらしい。
 
☆元気いっぱいだというのになぜ? 
 それでも、表面的には元気である。散歩も嫌がらずに歩くし、遊びとなるとめいっぱい活動的に反応する。ケージから解放された当初は戸惑いもあったが、いまではすっかり慣れてしまった。
 朝、ぼくが会社へ向かうために玄関に出ると、一緒にいきたいとばかり先まわりしてドアの前で待機している。家人に預けてバイバイをすると、「なんで?」と怪訝そうに見送っている。金曜日の朝と今朝のルイである。
 
 ぼくが帰宅したとき、玄関へ飛び出してきて大喜びで跳びついてくれたのは今夜がはじめてだ。その喜びぶりは若いころのシェラを彷彿とさせる。きっと明日からそうやって迎えてくれるだろう。
 「ルイはごはん食べたかい?」
 ぼくは開口一番、家人に訊いた。昼間、何度も電話して訊こうかと思っていたくらいである。朝はもちろんだが、夕方のご飯も今日は食べてくれなかったという。しかなく、病院で教わった「特別食」に切り替えて食べさせたらしい。
 
 ルイが、ドライフードは食べなくなったが、おやつやお米のご飯は食べるということで、鶏のササミなどのボイルをご飯をまぶし、まずは二割くらいドライフードを入れる。それを食べてくれたら、時間をかけてドライフードの量をふやしていくというメニューである。
 病院で教わる前からしかなく家人はそんな特別職を作ってルイに与えてきた。心配なのはルイの口がおごってしまい、ドライフードに戻せないのではないかと……。


☆シェラを失った寂しさにひたるヒマもなく 
 いま、家人がもっとも恐れているのが、ルイをデブコギ(太ったコーギー。コーギーは食欲が旺盛で太りやすい)にしてしまうことだ。シェラもむぎも肥満で苦労した。シェラはなんとか脱却できたが、むぎは腎結石を患い、手術で石を摘出したが、その後遺症なのか死ぬまで肥満に悩まされつづけた。晩年はろくに食べさせてやれないまま逝かせてしまった。家人はそれをいまでも烈しく悔いている。ルイでは同じ轍を決して踏むまいとかたく決めているはずだ。
 
 それなのに、いきなり「食べない」という不測の事態がはじまってしまった。今夜も特別食でしのいだという。それでもぜんぜん食べてくれないよりはましである。
 あらためて、ルイにとってのシェラの存在感の大きさに目をみはっている。
 
 「ルイ、頼むから、なんとか食べられるようになってくれ!」と、それだけを祈る悩みの前に、シェラを失った哀しみにくれているヒマがない。もし、これがシェラの遺言だったり、あるいはルイの知恵だったとしたら、われわれ人間のほうがわんこの掌(たなごころ)で踊らされているということになるが……。
 「まさか」と思いつつ、ちょっと怖い気もする。

*これまでいただいたコメントにきょうから少しずつレスをつけさせたいただきます。
 すべてのコメントへの返信が終わるまでに時間がかかりますがご容赦ください。




シェラとの別れで食欲を失ってしまったルイの心の傷

2012-02-12 22:51:36 | 残されて

☆あの日をさかいに食欲をなくしたルイ
 気がつくと、まだ2月とはいえ、日差しはずいぶん春めいている。午後5時を過ぎても残照の空がひろがっていることにようやく気づいた。シェラにばかり目がいっているあいだに季節はずいぶん表情を変えてしまった。


 今朝いちばんの用事はルイを連れての病院である。シェラとの別れの朝からルイの食欲がすっかり落ちている。先週の日曜日から月曜日にかけて、シェラの苦悶をともにした夜が明けたあと、ルイはまったく食事を摂らなかった。
 そりゃそうだ、シェラの苦痛に呼応してルイもまたさんざん心を痛めて過ごした一夜である。食事が喉をとおらないのは不思議ではない。上の写真はシェラとの別れの朝であり、まったく食べようとしなかった。
 
 だが、ルイの食欲不振は翌日も、その翌日も変わることなく週末を迎えた。昨日、土曜日の午後に病院へいって診てもらうつもりでいた。シェラの逝去に対し、病院からはお花とお悔やみの丁寧な手書きの手紙をいただいていた。
 むぎのときもそうだったが、心からありがたいと思う。さんざんシェラがお世話になったお礼もかねてご挨拶にうかがうつもりでいた矢先だった。しかし、昨日が祭日の土曜日だというのをすっかり失念してしまっていた。


☆元気なのにごはんを食べない
 シェラがいなくなるまでのルイは、成長期らしさそのままに食欲のかたまりのようなわんこだった。それがシェラが旅立つ直前から食欲を失ってしまったのである。当日はしかたないとしても、翌日からもドライフードを食器から外へ放り出し、それでも食べないのである。
 
 与えているのはドライフードのみならず、ドライフードをお湯でふやかし、その上に日替わりでウェットフードをまぜていた。そのやわらかくなったのがいやなのかもしれないとドライフードを単独にしてみたり、ウエットフードだけにしてみたりと、あれこれ工夫するのだがさっぱり食べてくれない。
 
 白米のご飯に鶏やら豚、牛とこれも日替わりでボイルしたのをまぜてやってようやく食べてくれるだけである。だからといって量は多くない。
 ドライフードとウエットフードのミックスも家人が手で口元まで持っていってやればなんとか食べる。だが、食器からは決して食べようとしない。 
 
 それにもかかわらず、ウンコは正常だし、元気をなくしているわけでもない。遊んでやれば元気に跳ねまわる。健康上、どこといって悪いところは感じないのだが、木曜日になっても金曜日になっても、そして、土曜日もやっぱり食欲は復活しなかった。ただ、おやつだけはなんとか食べていた。


☆シェラからの遺言が重いのかい?
 診察台のルイは先生のマスクをなめてたりして相変わらず活発だった。体重は10.78キログラム、平熱だし、やっぱりどこといって悪いところはない。先生の話によると、やっぱり相棒を失い、食欲をなくしてしまうわんこは珍しくないそうである。重症の子となるとまったく食べなくなってしまうという。人間のみならず、わんこにも「パートナー・ロス」はあるわけだ。
 
 日常の表情からは読み取れないが、シェラの死がルイの心に深い傷となっていたのをあらためて知った。
 もしかしたらそうかもしれないと思いつつ、ルイは、まだ生まれて7か月足らず、わが家の子となって4か月半でしかない。それを認める自信がなかった。だが、やっぱり、すでにシェラと心はひとつに重なっていたのである。

 シェラにしても、自らの死期が近づいたのを悟ったのか、ルイのケージの前までやってきて寝ている姿を家人が何度か見ている。土曜日の夜、小一時間ふたりをだけで留守番をしてもらったときは、シェラがルイのケージの脇にきてふたりではりついていた。

 コメントにもいただいたが、あの夜、ふたりのあいだでどんな会話がなされていたのだろうか? きょう、ぼくは病院で、本気で先生にそんな話をしていた。
 「きっと、シェラからの遺言がかなりルイの負担になっているのでしょうね」と。


☆心からルイを愛してやったかと……
 ルイの心の傷が癒えるまでにひと月くらいかかるかもしれないが、それまでどうやってルイの食欲を促したらいいかもこと細かにうかがった。今月に予定していた去勢手術もとりあえずしばらく見送ることになった。
 
 ルイの心を癒すのは、「当たり前のことですが、ご家族の愛情しかありません」という先生の言葉が胸に刺さった。
 シェラがいなくなったあと、ルイをケージから解放し、ぼくたちはせいいっぱいかわいがってきたつもりだった。しかし、ほんとうに愛情をかけてきてやったのだろうか。シェラを失った心の隙間を埋めるためだけにルイと接触してきたのではないだろうか。
 
 ぼくたちは、きょう一日、心をこめてルイと過ごした。一緒に遊び、散歩をして夕方、家に戻った。買い物のときだけはクルマにルイを残したが、それでもルイに心をかけてきた。
 今夜のルイの夕食は、病院で教わった「特別食」ではなく、試しにいままでどおりのドライにウエットをまぶしたものを出してみた。
 
 完食してくれた。
 これでようやくシェラへ面目がたつ。