今回は、「瑠璃釉・柿釉 中鉢」の紹介です。
立面
見込面
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;15.8cm 高さ;7.3cm 底径;6.4cm
なお、この「瑠璃釉・柿釉 中鉢」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
つきましては、その時の紹介文を次に再度掲載することをもちまして、この「瑠璃釉・柿釉 中鉢」についての紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー178 伊万里瑠璃・柿釉中鉢 (平成25年2月1日登載)
内側は瑠璃釉で塗り、外側は高台内も含めて柿釉(鉄釉)を塗っている。
割と厚作りで、見た目よりは手取りが重く、ずっしりと感じるほどである。
文様も何もないので、単調な感じであるが、くしくも、口縁の補修痕が文様の役割を果たし、アクセントになっている。これぞ怪我の功名か!
江戸時代中期 口径:15.8cm 高さ:7.3cm 高台径:6.4cm
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*古伊万里バカ日誌108 古伊万里との対話(瑠璃釉の鉢)(平成25年2月1日登載)(平成25年1月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
瑠璃鉢 (伊万里瑠璃・柿釉中鉢)
・・・・・プロローグ・・・・・
季節は一年のうちで今が一番寒い頃である。主人の所の所蔵品の状況も、今の季節同様、品薄のため、寒風が吹き荒れるが如くである。
そうした中、品薄のために押入れの中を吹き荒れる寒風もなんのその、そこに少しばかり取り残されている古伊万里の一つを引っ張り出してきては対話を始めた。
主人: 寒いね~(ブルブル)。
「押入れ帳」の記録を見ると、お前を買ってきたのは平成18年の1月15日となっているな。7年前のちょうど今頃の寒い季節だったわけだ。
瑠璃鉢: 私は寒さに縁があるんでしょうか。
主人: そうかもしれないね。見た感じだって、見込みが寒色系の瑠璃色一色(いっしょく)に塗りあげられているので、寒む寒むとした感じだものな。しかも、結構な大きさなので、覗き込むと、茫洋とした感じさえ与えるので、一層、寒む寒むとした感じを与えるものな。
瑠璃鉢: ご主人は、私を何処で買われたんですか。
主人: 或る古美術品交換会で競り落としてきたんだ。
瑠璃鉢: どうして、私のような寒む寒むとしたものを競り落とす気持ちになったんですか。
主人: 特に理由はないんだけど、敢えて言えば、「伊万里ではこんな物も作っていたのか! 参考資料として所持していてもいいかな~」くらいの気持ちだったかな。
瑠璃鉢: ご主人がそのように思うのでは、私はそれほど人気はなかったんですね。
主人: そうだね。 競りにかけられた時、そんなに人気はなかったね。
見てのとおり、見込みが瑠璃色一色(いっしょく)で、外側が鉄釉というか柿釉一色(いっしょく)で、何の変哲もないものね。おまけに絵付けもないので面白くもないし、赤が入っていないので華やかさもないという具合だからね。更には、割りに厚作りで、丈夫いっしきという有様だから、いかにも食器という感じで、とてもとても鑑賞陶磁器などとは言えたぎりではないからね。あげくの果てには、口縁に補修までしてあるんだもの、欲しいと思う人は少なかったな。
そんな調子だから、競りでもそんなに盛り上がらず、競争相手も少なかったので、比較的に安く競り落とせたと記憶しているよ。
瑠璃鉢: でも、安く手に入ってよかったですね。
主人: うん。見て楽しむという目的で買ったわけではなく、参考資料として所持していようという目的で買ったんだから、いわば死蔵する目的だったんだから、安くて助かったよ。
瑠璃鉢: 私は作例として珍しいので私を参考資料にするということですが、私には美的側面はないのですか?
主人: そう言われてもな~。競り落とす際には、あまりそのことを気にもしていなかったからな~。
今、そう言われて改めて見てみると、まんざら鑑賞価値がないわけでもなさそうだね。
見込みの瑠璃釉と外側の柿釉の落ち着いたコントラストには、なかなか見せるものがあるな。外側も、口縁付近に二筋、腰の辺りに二筋、そして高台に一筋、ヘラ削りが施してあり、単調になりがちな外面を引き締め、緊張感を漂わせているね。おまけに、口縁の補修は、地味で単調な中にアクセントを付加したことになり、それが一つの見所になっているとも言えるかな。これこそ本当の怪我の功名というやつだね(*^_^*)
それにね、実用としても、私はお茶をしないのでよくはわからないが、大きさからいって、抹茶茶碗にも使えるんじゃないかと思うんだよ。これで抹茶を喫した時、その際、見込みの瑠璃釉に接し、寒々としてはいるが、深く広い宇宙の深淵に引き込まれるような感じを与えるんじゃないかと思うんだよ。
瑠璃鉢: いろいろと美点を捜し出し、褒めちぎっていただきありがとうございます(*^_^*)
主人: なんの、なんの。だいたいね、「美」なんてものは、受け手側の能力にも問題があると思うんだよ。どんなに「物」が良くても、受け手側にその感受能力がなければ「駄物」に見えてしまうだろうね。
瑠璃鉢: そうですか。昔、千利休は、豊臣秀吉に切腹させられましたが、その理由としては、千利休が、ある物を良い物であると言い、多くの人がそれを認めるのに対し、豊臣秀吉はそれを認めることが出来なかったけれど、それは自分に感受能力がないと言われたも同然と思い込み、千利休に嫉妬し、彼を切腹させたのだというようなことが言われていますが、それと同じことですね。
主人: それはどうだかね。その件に関しては疑問だね。豊臣秀吉ほどの人物だ、物の本質を見抜けないはずはないだろう。
ある人は、千利休が、その辺のつまらない壺を高く評価し、価千金に変貌させて諸大名に高額で売り付けているのを知り、それを止めさせるために切腹させたんだと言っているね。しかしね、それもどうかと思うんだよね。壺だって、大きさとか、絵付けの上手下手によって、また、色の濃淡や微妙な歪み具合等によって、名品にもなり駄物にもなるからね。ミリメートル単位で名品と駄物の分水嶺になるからね。李朝の飯茶碗のすべてが井戸茶碗にはならないのと同じだよ。
いずれにしても、千利休の切腹に関してはいろいろと疑問が多いようだね。
瑠璃鉢: わかりました。なにはともあれ、今日は、いっぱいお褒めいただきありがとうございました。寒いなか登場してきた甲斐がありました(*^_^*)
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