今回は、「金銀彩 盆栽文 中皿」の紹介です。
表面
見込面の中央部には金銀彩で盆栽文を描き、周辺部には、瓔珞文、松竹梅文、鶴亀文、宝文を陽刻し、口縁は輪花としています。
その見込み周辺部に施された陽刻文のうち、瓔珞文を除いた、松竹梅文の3つ、鶴亀文の2つ、宝文の1つの計6つの陽刻文はハート形に枠取られ、それぞれ、窓枠のようになっています。
そして、その6つの窓枠の中には、それぞれに、金・銀彩で草花文が付加されています。
見込中央部の盆栽文の拡大
陽刻部分の拡大(1)(中皿の右斜め上部)
窓枠の中には宝文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
陽刻部分の拡大(2)(中皿の右側)
窓枠の中には鶴文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
陽刻部分の拡大(3)(中皿の右斜め下部)
窓枠の中には松文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
陽刻部分の拡大(4)(中皿の左斜め下部)
窓枠の中には竹文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
陽刻部分の拡大(5)(中皿の左側)
窓枠の中には亀文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
陽刻部分の拡大(6)(中皿の左斜め上部)
窓枠の中には梅文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;21.6cm 底径;12.8cm
なお、この「金銀彩 盆栽文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
つきましては、その際の紹介文を次に再度掲載し、この「金銀彩 盆栽文 中皿」についての紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー186 伊万里金銀彩盆栽文中皿 (平成25年10月1日登載)
見込み周辺部には、瓔珞文、松竹梅文、鶴亀文、宝文が陽刻され、口縁は輪花となり、比較的に薄作りで、造形的には厳しいものがある。
見込み周辺部の瓔珞文を除いた6つの陽刻文はハート形に枠取られ、それぞれ、窓の働きをしている。
そして、その6つの窓には、それぞれに、金・銀彩で草花文が付加されている。
見込み中心部には、これまた、金・銀彩で盆栽文が描かれている。
ただ、残念ながら、金彩は、使用擦れによって、かなり剥脱し、一見したのでは何を描いたものかよくわからない(><)
また、銀彩は酸化して黒ずみ、その本来の輝きを失ってしまっている(><)
これが作られた当初は、白磁の中に金・銀が輝き、それはそれは、まばゆいばかりの光を放っていたことであろう。
しかし、その輝きは永遠ではなかった!
こんな、無機物の世界にあっても、その輝きは永遠には続かないことを示す良い例であるかもしれない。
江戸時代前期 口径:21.6cm 高台径:12.8cm
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*古伊万里バカ日誌116 古伊万里との対話(金・銀彩の中皿)(平成25年10月1日登載)(平成25年9月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
盆 栽 (伊万里金銀彩盆栽文中皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、「今日は、どれと対話をしようかな~」と、「押入れ帳」をめくったり、押入れを覗いたりしていたが、「たまには変ったものと対話をしてみようか」と一人ごち、何やら怪しげな物を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: 挨拶抜きで、いきなりの話だけど、以前は、お前のような金銀彩のものは人気があり、市場価格も高かったんだよね。
盆栽: 「以前」とは何時の頃の話ですか?
主人: 20年ぐらい前のことかな。もっとも、これは、人によって、また、地域によって、感じ方には時差があると思うけどね・・・・・。
私の経験によると、20年位前は、骨董祭などに行くと、だいたい何点かは展示されていて、それぞれに値段は大変に高かったよ。
盆栽: どうして高かったんですか?
主人: いろいろと理由はあるだろうけど、私としては、希少価値があったからではないかと思っているんだ。
金銀彩は、明暦初年(1655)頃から作られ始め、その多くは、万治(1658~1660)、寛文(1661~1672)前半頃に集中し、その後は急速に衰退しているんだよね。つまり、作られた期間が非常に短いので、もともと現存している数も少ないわけだ。現存数が少なく、珍しいので高かったんじゃないかな。
ところが、その後、市場ではあまり見かけなくなってしまった。
盆栽: どうして市場から消えてしまったんですか?
主人: うん。たぶん、もともと現存数が少なかったわけで、市場に出回っていたそれらが、それぞれのコレクターの所に納まってしまって、市場では枯渇してしまったからじゃないかな。
盆栽: そうしますと、私はこの家に5年程前に来ていますから、市場からいったん消え去った後の、更に珍しい出現ですから、以前よりも高かったのではないですか!
主人: ところが違うんだ。その逆だった。
盆栽: どうしてそんなことになったんですか。
主人: それはね、お前を見れば判るだろう。金彩は剥れ、銀彩は黒ずんでしまって汚らしい。全体として何が描かれているのかわからないし、とても奇麗とはいえないんじゃないの。とてもとても鑑賞陶磁器などとはいえないものね。それで、一時的に、珍しいということで人気を博したが、間もなく下火になってしまったということじゃないのかな。だから、その後市場に登場しても、以前のような人気を得られず、値段は安くなってしまったということだろうね。
それは、お前達金銀彩が作られた当時にも言えることだね。
人は、「金・銀・財宝」に憧れるよね。真っ白なお皿を金や銀で飾り立てたら、さぞや素晴らしい物が出来上がることだろうと考えたんじゃないかな。そして、それを実行し、完成させた。人々は、その出来上がった物を拍手喝采で迎えた。当時は、よほどこの金銀彩は人気があったとみえ、染付のみで完結している製品にさえ、蛇足のように金・銀彩を付加しているものが見られるくらいだよ。しかも、そのような蛇足の例のほうが多いんだ。
ところが、このように、一時的には大変な人気を得た金・銀彩だが、お前を見れば判るとおり、金彩というのは剥れ易い。使用しているうちに擦れたりして、だんだん剥れてしまうんだ。また、銀彩は、時の経過とともに酸化し、黒ずんでしまい、その輝きを失ってしまうんだ。
作られ始めた当初は拍手喝采で迎えられた金・銀彩だったが、時の経過とともにその欠点が明らかとなり、当初の輝きを失うと同時に人気も失うに至ったわけで、その後、急速に衰退していった。それは、お前達金・銀彩が再び市場に登場し、一時的に人気を博した20年程前の状況に似ているね。歴史は繰り返すというが、本当だね。
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