私が古伊万里第1号の「伊万里 染付 草花文 油壺」を買ったのが昭和49(1974)年(今から48年前)のことです。その後、だんだんと古伊万里にのめり込んでいき、コレクションの対象をほとんど古伊万里にしぼっていくわけですが、その油壺を買ってからも、古陶磁全般の勉強のために、まだ、盛んにいろんな古陶磁を買っていました。
ところで、この「緑釉 蝙蝠文 香炉」を買ったのは昭和55(1980)年(今から42年前)のことです。古伊万里第1号の油壺を買ってから6年が経過しているわけですが、古陶磁全般の勉強のために、まだ、時折、このような物も含め、いろんな古陶磁を買っていたわけですね。
これは、地元の骨董店から買ったものですが、これを買うにあたっては、ちょっとした思い出話があります。
売るに際し、店主は、「これは、第二次大戦中、東京の或る美術館が、戦火を避けるため、収蔵品を栃木県のほうに疎開させたわけですけれど、そのうちの一つなんです。戦後、何らかの事情で、東京に戻ることなく栃木県に留まってしまったものなんです。漢緑釉とまではいかないかもしれませんが、けっこう、時代はありそうですよ。」と言ったわけです。
当時は、中国物は高く、漢の緑釉などは高嶺の花で、大きな物になると、私などの手の届くものではありませんでした(~_~;)
これは、時代が漢にまで行くかどうか分からないですし、それほど大きくもなく、また、本体の胴にはニューまでありますから、私の手の届く範囲の値段でしたので、興味をそそられ、買うことにしたわけです(^_^)
骨董店の言うことなど、「こんちわ、さいなら」以外はすべて嘘の世界ですから、これが漢緑釉に近いものなのかどうかはわかりませんでしたが、話の内容が、美術館の収蔵品の疎開にまつわるものだったものですから、興味をそそられたんですね(~_~;) 出来過ぎた話といえば出来過ぎた話なのですが、、、(~_~;)
今では、中国物は、当時に比べて、値段は暴落していますから、高く買いすぎたかなと思ってはいますが、値段というものは、その時、その時で決まりますからね~~。
これを買ってから、だんだんと古伊万里にのめり込んでいきましたので、その後、この「緑釉 蝙蝠文 香炉」については調べる意欲もなくなってしまいましたから、何時、何処で作られたものなのか、いまだによく分かりません(~_~;)
軟陶であるところからみて、明器として作られたものなのかな~と思うのですが、どんなものでしょうか、、、? また、時代は漢まではないような気がするのですが、少なくとも明くらいはありそうな気はするのですけれども、これまた、どんなものでしょうか、、、?
緑釉 蝙蝠文 香炉
正面
斜め上から見た面
角部分の斜め上から見た面
正面から左に約90度回転させた面
蓋を外し、蓋を裏返ししたところ
本体の内面
軟陶で、全体的に素焼きのような感じです。
上の写真の上部の口縁の真ん中辺りから胴に向かって1cmほどのニューがあります。
底面
生 産 地 : 中国(?)
製作年代: 中国・明時代(?)
サ イ ズ : 高さ(蓋共):8.5cm 口径:7.5×4.8cm 胴径(耳部を除く):10.5×7.8cm
今回の香炉・・・わざと古色を付けたようにも思えませんから状況的にはよろしいように感じられますが・・・
鑑定団にでてみます?
当時は、「中国の明器の緑釉の香炉」かなと思って買ったわけです。
ただ、時代としては、当時は、「漢緑釉」となると、その辺に転がっているわけがない
かったので、漢まではいかなくとも、結構古いのかな~と思ったわけです。
今じゃ、「漢緑釉」もかなり安く多く出回っていますよね。それを考えると、「漢緑釉」の可能性もあるかもしれませんね。
中国物に明るい方にはすぐに分かるのかもしれませんが、私は、ほとんど中国物を勉強していませんので、私には分かりません(><)
鑑定団に出るほどの話題性に欠けますから、予選落ちでしょうか、、、(笑)。
素三彩などに興味をもっていますので、軟陶の緑釉となると、目が離れません(^^;
雲気・蝙蝠紋もいいですね。
緑釉はわりと風化がすすみやすいです。模様や写真での状態からすると、やはり、中国明時代の品ではないでしょうか。
私も、緑釉の小壺を持っていて、あれこれ思案しています(^^;
いずれ、ブログアップします。
これ、雲気文、蝙蝠文の彫りが深く、力強く、なかなか、作りとしては良いですよね(^_^)
骨董屋の作り出した(?)、美術館の疎開品の話は、よく考えた作り話だな~と感心して聞いていました(笑)。
骨董にまつわる、そのような話は、骨董好きにはたまりませんものね(^_^)
こんな話を信用して大金を失うのが、この道ですよね(~_~;)
私も、骨董駆け出しながら、軟陶の緑釉は風化しやすいので、漢まではないだろうと思ったわけです。
でも、古格を感じましたので、明辺りの貴族の墓からの出土品なのかな~と思って買ったわけです。
遅生さんも緑釉の小壺を所蔵されているのですか。
いずれかのアップを楽しみにしています。
伊万里と似た感じで中国南方の交趾港から出荷されるものを交趾焼きと言ってましたが、今はベトナム~昔は中国でした。ここの香合は有名で茶方のランキングでは横綱でしたか?どうも直接日本に来たのではなく一旦フイリッピン入り、それからやってきたみたいです。これもその一環かと・・・日本では結構人気があり、京焼や源内焼等で盛んに移されているんですが、これは、作風から本家かと思います。勿論素人考えですが、ここの特徴は色が鮮やかな事で軟陶です。
padaさんは、インドネシアやフィリッピンの事情に詳しいですものね(^_^) その可能性が高いですね(^-^*) ありがとうございます(^-^*)
今、ちょっと、ネットで調べてみましたら、交趾焼は、桃山・江戸初期に交趾通いの交易船で舶載されてきたことからその名称が付いたということなんですね。
そして、実際に作られたのは、明末から清朝期に中国南部で作られたものなのですね。
この香炉は、造形などから、なんとなく中国の漢緑釉を連想させますが、何せ、作られた時代が合いませんよね。
作られたのは明朝くらいかな~と思いましたので、それなら、全体的に整合性がとれますよね(^_^)
墓から発掘された明器では、それを持っているのは、なんとなく気分が良くなかったですが、普通の用途に作られた交趾焼ならば、気分良く持っていられそうです(^_^)
ご紹介、ありがとうございました。
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