Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 万年青文 中皿

2021年09月25日 14時18分54秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 万年青文 中皿」の紹介です。

 

表面

激しく割れています(><)

 

 

側面

 

 

裏面

裏面には、これ以上割れないように、鎹(かすがい)止めの補修が施されています。

 

 

鎹止め部分の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前 鍋島藩窯

製作年代: 江戸時代後期(文化時代頃)

サ イ ズ : 口径;20.3cm 底径;10.6cm 高さ;6.2cm

 

 

 なお、この「色絵 万年青文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その時の紹介文を、次に再度掲載することをもちまして、この「色絵 万年青文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー179  鍋島様式色絵万年青(おもと)文中皿  (平成25年3月1日登載)

 

        

 このお皿はよく見かける。と言っても、それは、市場で見かけるのではなく、書物の中に於いてである。

 それだけに有名なものなので、ブチ割れではあっても、私の自慢の逸品である。

 私だって持ってるんだぞ~、と、コレクター魂をくすぐってくれるお皿ではある。

 ということで、次に、このお皿に関する書物を2~3紹介したい。

 

 先ずは、「鍋島 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成14年11月30日発行)から見ていきたい。

 この本には、このお皿よりは小さいが、よく似ているものが図126(P.134)に載っている。

 

図126の表面

(上記「鍋島 後期の作風を観る」から転載)

 

図126の裏面

(上記「鍋島 後期の作風を観る」から転載)

 

 そして、次のように解説している。

(126)色絵万年青文小皿
 万年青文を染付と赤の色絵で描いている。葉の描き方は濃淡に染め分けている。この手法は18世紀中葉以降に見られるが、19世紀には繁用されている。
 裏側面文様と高台櫛目文の描き方は幕末期作品の特徴をよく示している。
 この小皿は文久3年(1863)在銘箱入り伝世品として既に報告されており、文久時代頃の色絵作品の貴重資料と云える。  

 

 

 次に、同じ著者のものではあるが、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成16年11月9日発行)を見てみたい。
 本書は、前述の「鍋島 後期の作風を観る」の続編であるが、その中に、私の所蔵品と非常によく似たものが掲載されている(図73 P.85)。

 

図73の表面

(上記「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」から転載)

 

 

図73の裏面

(上記「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」から転載)

 

 また、これについては次のような解説が載せられている。

(73)色絵万年青文中皿
 色絵万年青文皿で製作年代の明確なものとして「文久3年(1863)銘箱入小皿」が知られている(前著(126)図)。
 この小皿と本品を対比すると表文様のみでは殆んど新旧は判らないほど類似している。しかし裏文様をみると前者はごく簡略化されたカニ牡丹風文様が三方に配され、高台櫛目文も弱いが、本品は端正に描かれ、製作年代に相当の開きのあることが判る。
 本品も前掲作品類と同観点からみて、文化時代頃の作と考えられる。色絵万年青文同類品の中では最も早い製作年代作品である。
 なお、本品に限らず後期に同文で長期間に亘り製作された作品類はなかなか判りにくい。却って後年のものの方が整っているものさえ見られる。同文品の新旧作品判断は裏文様と造形が最重要な要素である。

 

 この本に依れば、私の所蔵品は、色絵万年青文同類品の中では最も早い製作年代品であって、文化時代頃ということになる。

 

 

 ところが、佐賀県立九州陶磁文化館が平成18年に「将軍家への献上 鍋島 ─日本磁器の最高峰─」展というものを開催するに当たって製作した図録にも同じような中皿が掲載されているが、その中での解説では、その中皿の製作年代は1850~1870年代としてある。
 文化時代は1804~1817年なので、両解説の間には約40~50年の差があることになる。
 なかなかに、時代判定というものは難しいことが判るのだが、私としては、自分の所蔵品を少しでも古く考えたいので、文化時代頃の作と思うことにしている、、、(~_~;)

 

 参考までに、上記の図録中の写真(図230)と解説(P.256)を次に掲載しておく。

 

図230の表面((財)鍋島報效会所蔵)

(上記図録から転載)

 

図230の裏面(口径20.5cm 高さ6.0cm 高台径10.7cm)

(上記図録から転載)

 

230 色絵万年青文皿
    口径20.5  高さ6.0  底径10.7
    1850~1870年代  肥前・大川内藩窯
    (財)鍋島報效会
 三色使う一般的な色鍋島が将軍吉宗の倹約令で終るが、時折、一、二色の色絵が作られた。幕末頃にこうした赤だけ使ったものがいくらかみられる。万年青の葉は半々を濃淡で強調する。裏面の染付も弱々しさを感じる。高台の櫛歯は根元の圏線が細くなっている。高台畳付は丸みが強い。      (大橋) 

 

 

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*古伊万里バカ日誌109  古伊万里との対話(万年青(おもと)文の鍋島)(平成25年3月1日登載)(平成25年2月筆)    

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  万年青  (鍋島様式色絵万年青文中皿)

 

         表面               裏面(鎹で補修されている)

・・・・・プロローグ・・・・・

 春はもうすぐ近くまで来ているようである。よく晴れて風のない日には、日射しも若干強くなってきているので、ちょっと春めいた感じを醸し出す。
 主人は、そうした少々の陽気に誘われ、久しぶりに、猫の額程度しかない自分の庭をぶらついていたが、寒さにもめげずに元気に頑張っている「万年青(おもと)」に目を留めたようである。そして、「そういえば、我が家には「万年青」を描いた皿があったな~」と思い出し、「押入れ」からくだんの皿を引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

主人: 寒いのに、お前は元気だね。

万年青: お陰様で、元気にしております。もっとも、私は、もともと寒さには強いんですよ。

主人: そうだったね。
 「万年青」は、寒さに強いだけでなく、四季を通じて緑を保ち、大きな葉が冬の寒さから赤い実を守って何年も青々として子を増やし続け、繁栄することから、古来より、庭に植えると災難を防ぎ、万年も家が栄え続けると言われているね。めでたい、不老長寿の縁起のよい植物と言われているね。
 それに、徳川家康が江戸城に入るときに、万年青を床の間に飾って入城したとの古事から、江戸時代には、主として大名のもとで栽培され、武士の間に人気があったらしいね。そんなこともあってか、古伊万里に、特に、将軍の食膳具であった鍋島に「万年青」を描いたものが残っているようだね。お前もその一例だろう。

万年青: 鍋島には、「万年青」を描いたものが多いんですか? 

主人: 多いかどうかまではわからないが、大・小とりまぜて、長い間にわたって、結構な数が作られたようだね。(財)鍋島報效会というところでも、お前とほとんど同じ皿を所蔵しているようだよ。もちろん、そこの所蔵品は無傷完品だけどね。

万年青: 私のようにフランケンシュタインみたいになった傷物にも価値はあるんですか?

主人: まっ、あると思えばあるし、ないと思えばないかな。でも、結構、価値は認められていたんだろうよね。バラバラになっても、鎹(かすがい)で止めて補修され、大事にされてきたみたいだからね。だいたい、世の中にはいろんな人がいて、陶片をこよなく愛する者もいるよ。陶片は「男のロマンだ!」なんて言ってね。
 ところで、お前を買うに当たっては、ちょっとした思い出があるんだ。

万年青: どんな思い出ですか。

主人: うん。何時も行っている骨董市で誘われたことなんだけれど、近いうちに、現在ここに出店している業者に更に外部の有力な業者を加えて、現在の骨董市開催地から少々離れた、ちょっとした都会の大ホールを貸切って、大々的に「骨董祭」を開くので、是非来場してくれないかということだったんだ。何時も行っている骨董市は、田舎で行われているし、青空市でもあるので、そのことだけでも、何時もとはだいぶ違う雰囲気を味わえそうなので、是非行ってみたいと思ったね。
 それにね、第一回目の大きな「骨董祭」ともなれば、出店する業者も普段よりも力を入れて良い物を出品するだろうからと予想し、私も、普段よりも多く購入資金を準備して楽しみにして出かけて行ったよ。
 行ってみてびっくりしたね。「第一回○○骨董祭」なる看板があちこちに掲げられ、ホールの中に入りきらないのか、ホール前の玄関ロビーや建物の外にまで業者が出店しているんじゃないの。勿論、ホールの中は出店業者でギッシリ詰まり、品物も沢山並べられていたよ。名品も散見された。この辺では、東京以外では、近来まれに見る光景だったな。もっとも、こんなに大々的に催しても、結局、思ったほどの売上げがなかったのか、この「骨董祭」は第一回で終ってしまって、その後は開かれなくなってしまったね。

万年青: その「第一回○○骨董祭」で私を見つけたんですね。

主人: そうなんだ。名品が散見されるしで、「あれもいいな! これもいいな!」で、欲しい物がいっぱいあった。でもね、普段よりも多い購入資金を準備して行ったといっても、私が準備出来る金額なんてたかが知れたもんだ(><) 結局は1点しか連れ帰れない(><)
 そこで、会場を巡り、とりあえず、お前を含めて3点に絞った。しかし、Aは良い物であることは確かだけれど、また別の機会に同じような物に巡り会えるような気がしたので、心を鬼にして切り捨てた。Bもいま逃すと、もう二度と手に入らないだろうな~とは思ったけれど、いくら値切り交渉をしても現在の所持金では買えそうもないので諦めた。結局、3点のうちでお前が残ったんだけれど、あれこれ迷ってもたもたしているうちに誰かに先に買われてしまわないかと心配したよ。幸い、まだ残っていたので連れ帰ることが出来てよかった(*^_^*)

万年青: そういう思い出でしたか。多くの中から、わざわざ私を選んで連れ帰っていただき、ありがとうございます。

主人: そうそう、思い出話といえば、直接、お前とは関係のない話なんだけど、この「第一回○○骨董祭」ではこんなこともあったな。

万年青: どんなことですか。

主人: 会場を巡っていて、ハッとするような小皿が1枚目に留まったんだ。私が、「これみせてくれませんか」と言ったら、そこの店主が大変に感激し、「社長は目が高いですね」(だいたい、店主は、年配の男の客を「社長」と言うようで、私は「社長」などとは縁遠い存在である。)と言ったんだ。そして、「こんなに沢山お客さんが見えているのに、このお皿に目を留めたのは社長一人だけですよ。皆さん目がみえないんだね」と続けたんだ。更に、「○○美術館に、このお皿と同じ物が5枚あるけど、あれは私が納めたんですよ。元は10枚箱に入っていたんです。10枚の内から、少し疵があったり、歪みがひどかったり、絵が少しかすれているようなもの5枚を選んで美術館に売ったんです。残りはこれですよ」と言って、奥からあと4枚を出してみせてくれたんだよ。確かに、陳列してある1枚を加えると5枚になったね。また、「入っていた箱はこれですよ」と言って、わざわざ箱まで出して見せてくれたんだ。陳列しておいた小皿に目を留められたのがよほど嬉しかったんだろうね。

万年青: そんなことがあったんですか。それで、その小皿はいくらだったんですか?

主人: 買えるわけがないので値段を聞くのもはばかられたが、参考までにと思い、思い切って聞いたら、250万とか300万とか言っていたかな~、、、。もっと高かったかな~、、、。いずれにしても、購入対象外の値段なので、今ではよく覚えていないけどね、、、、、。
 そんなこんなで、店主におだてられたり、お前を連れ帰ることが出来たりと、思い出深い「骨董祭」だったな。1回だけしか開かれていないから幻の「骨董祭」でもあったね。

 

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金銀彩 盆栽文 中皿

2021年09月24日 12時08分05秒 | 古伊万里

 今回は、「金銀彩 盆栽文 中皿」の紹介です。

 

表面

 

 見込面の中央部には金銀彩で盆栽文を描き、周辺部には、瓔珞文、松竹梅文、鶴亀文、宝文を陽刻し、口縁は輪花としています。

 その見込み周辺部に施された陽刻文のうち、瓔珞文を除いた、松竹梅文の3つ、鶴亀文の2つ、宝文の1つの計6つの陽刻文はハート形に枠取られ、それぞれ、窓枠のようになっています。

 そして、その6つの窓枠の中には、それぞれに、金・銀彩で草花文が付加されています。

 

見込中央部の盆栽文の拡大

 

 

陽刻部分の拡大(1)(中皿の右斜め上部)

窓枠の中には宝文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

陽刻部分の拡大(2)(中皿の右側)

窓枠の中には鶴文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

陽刻部分の拡大(3)(中皿の右斜め下部)

窓枠の中には松文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

陽刻部分の拡大(4)(中皿の左斜め下部)

窓枠の中には竹文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

陽刻部分の拡大(5)(中皿の左側)

窓枠の中には亀文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

陽刻部分の拡大(6)(中皿の左斜め上部)

窓枠の中には梅文が陽刻されています(その両側は瓔珞文の陽刻)。

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;21.6cm 底径;12.8cm

 

 

 なお、この「金銀彩 盆栽文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を次に再度掲載し、この「金銀彩 盆栽文 中皿」についての紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー186  伊万里金銀彩盆栽文中皿       (平成25年10月1日登載)             

 

 

 見込み周辺部には、瓔珞文、松竹梅文、鶴亀文、宝文が陽刻され、口縁は輪花となり、比較的に薄作りで、造形的には厳しいものがある。 

 見込み周辺部の瓔珞文を除いた6つの陽刻文はハート形に枠取られ、それぞれ、窓の働きをしている。

 そして、その6つの窓には、それぞれに、金・銀彩で草花文が付加されている。

 見込み中心部には、これまた、金・銀彩で盆栽文が描かれている。

 ただ、残念ながら、金彩は、使用擦れによって、かなり剥脱し、一見したのでは何を描いたものかよくわからない(><)

 また、銀彩は酸化して黒ずみ、その本来の輝きを失ってしまっている(><)

 これが作られた当初は、白磁の中に金・銀が輝き、それはそれは、まばゆいばかりの光を放っていたことであろう。

 しかし、その輝きは永遠ではなかった!

 こんな、無機物の世界にあっても、その輝きは永遠には続かないことを示す良い例であるかもしれない。

 

 江戸時代前期    口径:21.6cm  高台径:12.8cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌116  古伊万里との対話(金・銀彩の中皿)(平成25年10月1日登載)(平成25年9月筆)  

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  盆 栽 (伊万里金銀彩盆栽文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、「今日は、どれと対話をしようかな~」と、「押入れ帳」をめくったり、押入れを覗いたりしていたが、「たまには変ったものと対話をしてみようか」と一人ごち、何やら怪しげな物を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


 

 

主人: 挨拶抜きで、いきなりの話だけど、以前は、お前のような金銀彩のものは人気があり、市場価格も高かったんだよね。

盆栽: 「以前」とは何時の頃の話ですか?

主人: 20年ぐらい前のことかな。もっとも、これは、人によって、また、地域によって、感じ方には時差があると思うけどね・・・・・。
 私の経験によると、20年位前は、骨董祭などに行くと、だいたい何点かは展示されていて、それぞれに値段は大変に高かったよ。

盆栽: どうして高かったんですか?

主人: いろいろと理由はあるだろうけど、私としては、希少価値があったからではないかと思っているんだ。
 金銀彩は、明暦初年(1655)頃から作られ始め、その多くは、万治(1658~1660)、寛文(1661~1672)前半頃に集中し、その後は急速に衰退しているんだよね。つまり、作られた期間が非常に短いので、もともと現存している数も少ないわけだ。現存数が少なく、珍しいので高かったんじゃないかな。
 ところが、その後、市場ではあまり見かけなくなってしまった。

盆栽: どうして市場から消えてしまったんですか?

主人: うん。たぶん、もともと現存数が少なかったわけで、市場に出回っていたそれらが、それぞれのコレクターの所に納まってしまって、市場では枯渇してしまったからじゃないかな。

盆栽: そうしますと、私はこの家に5年程前に来ていますから、市場からいったん消え去った後の、更に珍しい出現ですから、以前よりも高かったのではないですか!

主人: ところが違うんだ。その逆だった。

盆栽: どうしてそんなことになったんですか。

主人: それはね、お前を見れば判るだろう。金彩は剥れ、銀彩は黒ずんでしまって汚らしい。全体として何が描かれているのかわからないし、とても奇麗とはいえないんじゃないの。とてもとても鑑賞陶磁器などとはいえないものね。それで、一時的に、珍しいということで人気を博したが、間もなく下火になってしまったということじゃないのかな。だから、その後市場に登場しても、以前のような人気を得られず、値段は安くなってしまったということだろうね。
 それは、お前達金銀彩が作られた当時にも言えることだね。
 人は、「金・銀・財宝」に憧れるよね。真っ白なお皿を金や銀で飾り立てたら、さぞや素晴らしい物が出来上がることだろうと考えたんじゃないかな。そして、それを実行し、完成させた。人々は、その出来上がった物を拍手喝采で迎えた。当時は、よほどこの金銀彩は人気があったとみえ、染付のみで完結している製品にさえ、蛇足のように金・銀彩を付加しているものが見られるくらいだよ。しかも、そのような蛇足の例のほうが多いんだ。
 ところが、このように、一時的には大変な人気を得た金・銀彩だが、お前を見れば判るとおり、金彩というのは剥れ易い。使用しているうちに擦れたりして、だんだん剥れてしまうんだ。また、銀彩は、時の経過とともに酸化し、黒ずんでしまい、その輝きを失ってしまうんだ。
 作られ始めた当初は拍手喝采で迎えられた金・銀彩だったが、時の経過とともにその欠点が明らかとなり、当初の輝きを失うと同時に人気も失うに至ったわけで、その後、急速に衰退していった。それは、お前達金・銀彩が再び市場に登場し、一時的に人気を博した20年程前の状況に似ているね。歴史は繰り返すというが、本当だね。

 

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染付 竹垣に鳥文 中皿

2021年09月23日 11時13分19秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 竹垣に鳥文 中皿」の紹介です。

 

表面

 

 

外周文様の一部の拡大

矢羽根文と雲文との境目には墨はじきが施されています。

また、見た目では分からないのですが、矢羽根文と雲文の境目を指でなぞってみますと、

雲文の部分がかすかに高くなっていることが分かります。

 

 

裏面

 

生産地: 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サイズ: 口径;19.9cm 高さ(最大);3.5cm   底径;13.4cm

 

 

 

 ところで、この「染付 竹垣に鳥文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を再度次に掲載することをもちまして、この「染付 竹垣に鳥文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー185  伊万里染付竹垣に鳥文中皿       (平成25年9月1日登載)

 

 

 どこにでもありそうな極く普通の庭先の1シーンを写し取ったような見込み図である。

 ところで、この鳥には目が描かれていない。眠っているにしては不自然な体勢である。温かな陽射しを浴び、しばし、まどろんでいるのであろうか。なんとなくほほえましく、心和らぐものがある。

 しかし、鳥がとまっている竹はピーンと一直線に上に伸び、画面に緊張感をみなぎらせる。

 外周には、矢羽根文を雲文で挟んだ文様をぐるっと一周させ、それが、あたかも額縁のような働きをし、口縁の口紅とともに、見込みの画面を引き締めている。

 また、矢羽根文と雲文との境目には墨はじきを施すことにより、矢羽根文と雲文のそれぞれを際立たせ、外周部を単なる額縁の役目に終わらせず、外周部そのものをも見所の一つとしている。

 

 江戸時代中期    口径:19.9cm   高台径:13.4cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌115  古伊万里との対話(竹垣に鳥文の中皿)(平成25年9月1日登載)(平成25年8月筆) 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  鳥   (伊万里染付竹垣に鳥文中皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、例によって、「押入れ帳」をめくって対話の相手を探していたが、なんとか見つけ出し、押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
 最近では、そもそも主人のところの全体の所蔵品が少ないのに加え、そのあらかたを既に登場させてしまっていて残りも少なくなってきたために選択の幅が狭くなってしまったうえに、いざ対話をしようと思って対象をしぼっても対話が続きそうもないものもあり、苦慮しているようである。ようするに、行き詰まってきているようである。

 

 


 

 

主人: どの古伊万里と対話をしようかと思っても、所蔵品の残りの数が少なくなって選択の幅が狭くなり、選び出すのが困難になってきた。登場させるタイミングとか季節も考えなければならないとなると尚更だね・・・・・。

鳥: ご主人は、登場させる季節なども考えるようになったんですか。進歩したんですね~。以前はそんなことは考えなかったんでしょう。

主人: まあな。長いことやっていると、そんなことも考えるようになるよ。でもね、そんなことをしていると、登場させる古伊万里を捜し出すのが大変なことがわかるんだ。所蔵品も残り少なくなってきたからね~。

鳥: 私なら今の時分に登場してもいいんですか。

主人: 「花」と「鳥」なら、冬以外ならば何時でもいいんじゃないの・・・・・?
 だいたい、「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させてはならないなんていう「法」はないだろう。「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させると犯罪にでもなるのか。今話題の「はだしのゲン」のように、「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させるとネット社会から排除されるとでもいうのか・・・・・。

鳥: まぁまぁ、そうムキにならなくとも・・・・・。
 ともかく、そんな程度の理由で今回私を登場させたんですね。

主人: まあ、そんなところだ。
 ところで、お前を見つけたのは、冬の寒い寒い、北風の吹き抜ける野外の骨董市でだった。
 そんな状況だったものだから、お前を見た瞬間、何か温かいものを感じ、ついつい手を出してしまった。真冬に我が家にやって来たお前を、真夏に近い今時分に登場させるというのも何か因縁めいた話ではないか!

鳥: それはどうですかね? たまたま順番でそうなっただけでしょう・・・・・。

主人: バレタか! まっ、ともかく、今回登場させた理由はそんなところからだ。
 いつまでも、登場の話ばかりしていてもつまらないので、話題を転じよう。
 よくみると、というか、よく見なくともわかるが、お前には「目」が描かれていないことがわかるよね。だいたいにおいて、古い伊万里の場合は、「目」は鋭く描かれ、表情には厳しいものが見られるんだが、お前にはそれが無い。それはそうだよね。「目」が描かれていないんだから・・・・・。

鳥: それでは、私は、新しい伊万里なんですか?

主人: いや、そんなことはない。私の経験からして、お前は十分に古い伊万里だよ。ただ、表情が見えないという所が通常の古い伊万里とは違うので気に入らなかったんだが、春の和らかな陽射しを受けてしばし「まどろんでいる」ところを描いたんだろうと解釈して買うことにしたんだ。
 見込み部全体では、極く普通の、なにげない、どこにでもあるような庭先の一光景を切り取ったような図になっている。一幅の絵を見ているようで見事だ!
 それに、口縁には口紅を塗り、外周には矢羽根文を雲文で挟んだ文様を一周させ、重厚な額縁の役割を果たさせている。
 こうなると、食器というよりは飾り皿だね。現代なら、食器にしておくにはもったいないので飾り皿に昇格だろう。
 しかもね、よく見ると、というか、今度は、見ただけでは、いくらよく見てもらからないんだが、ぐるりと一周して外周に描かれた、矢羽根文を雲文で挟んだ文様の部分なんだけど、そこには細かな細工がしてあるんだよ。
 矢羽根文と雲文の境目を指でなぞってみると、かすかに雲文の部分が高くなっているんだ。どのようにすればこのような段差をつけることが出来るのか、私は製作者じゃないのではっきりしたことはわからないが、私の推理したところはこうだ。ロクロでひいてまだ生乾きのうちに、雲に挟まれる矢羽根の部分を極く薄く平らに削ったのではないかと・・・・・。
 とにかく技が細かいんだよ。今なら、型に入れて作れば作れないこともないだろうけど、その方法では、こんなに微妙に薄い段差はつけられないんじゃないかと思うんだよね。そんな、見えないような所に手間をかけたり、金をかけたりするところが「江戸の粋」みたいなものにつながるのかな。そんなところが現代の我々の心に響くのかね。

鳥: 大変おほめにあずかり恐縮です。

主人: ホント、昔の人はいい仕事しているよ!

 

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染付 椿に鳥文 蓋付小壺

2021年09月22日 11時43分53秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」の紹介です。

 

正面(仮定)

 

 

正面の裏側

 

 

蓋を外したところ

本体の口縁に2箇所の傷直しがあります(2時と8時の方角)。

 

 

本体を伏せ、蓋を裏返したところ

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;7.0cm 胴径;9.0cm 底径;6.0cm 高さ(蓋共);7.1cm

 

 

 なお、この「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、この「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」の紹介につきましても、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー190  伊万里染付椿に鳥文蓋付小壺      (平成26年2月1日登載)

 

       

 小壺の本体には胴いっぱいに大きく椿の木と椿の花一輪を描いている。その反対側には尾長鳥を一羽を描いている。鳥は目を細め、嘴を開き、なにやら嬉しそうにさえずっている。春の到来を喜んでいるかのようだ。

 小壺の蓋にも、これまた達者な筆致で椿の木と椿の花一輪が描かれている。本体と蓋の椿の木は連続した1本の木となっていて不自然さが見られない。

 この種の小壺は、蓋が失われている例が多いが、この小壺は蓋を伴っており、珍しい。

 また、当時は、このような蓋を伴っていたのかという実例ともなり、貴重な史料でもある。

 

江戸時代中期  口径:7.0cm 胴径:9.0cm 高台径:6.0cm  高さ(蓋共):7.1cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌120  古伊万里との対話(椿文の小壺)(平成26年2月1日登載)(平成26年1月筆)   

登場人物
  主人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  椿    (伊万里染付椿に鳥文蓋付子壺)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 連日の厳しい寒さの続く中にも、時折り、暖かさを感じさせる日がやってくる今日この頃である。「三寒四温」というものだろう。
 そうしたなか、主人は、少しも春を感じさせてくれる古伊万里と対話をしたくなったようで、何やら「押入れ」から引っ張り出してきて対話を始めた。

 


 

主人: 寒さも峠を越えたようで、時折り暖かい日がやってくるようになった(*^_^*)

椿: そうですね。大寒も過ぎ、節分も間近になりましたものね。

主人: 伊豆大島恒例の「椿まつり」(平成26年1月26日~3月23日)も開幕したようで、なんとなく春の兆しを感じるね。

椿: 私達椿は、種類によっては、冬から咲き出しますものね。春を一番早く運んでくるのではないでしょうか。

主人: そうだね。春を一番早く運んできてくれるかな。
 我が家の庭にも椿の木が2~3本あるが、庭木の中では一番早く春を感じさせてくれるね。でも、今年はいつになく寒かったのかな~。早咲きのものも、せっかく咲き出したのに、寒さでやられてしまったものも多く、残った蕾も固く閉じてしまっているよ。

椿: それは残念ですね。でも、もっと暖かくなれば咲いてくれますよ。

主人: うん。椿は、冬の寒さの中でも健気に咲くし、咲いた花は華麗だしで、日本人には昔から愛されてきているね。
 椿は、日本原産ということもあって、万葉の昔から、日本人には愛されてきているものな~。特に、江戸時代になると、二代将軍徳川秀忠が椿を好んだため、権力者の庇護をうけるようになり、武士のみならず町人にまで愛されるようになったようだね。また、将軍のみならず、加賀、肥後といった大名や京都の公家などまでもが好んだため、庶民の間でも大流行し、沢山の品種が作られたようだ。とりわけ、近世には茶花として好まれたこともあって、多くの園芸品種が作られるようになったらしい。

椿: でも、椿の花は、花びらが個々に落ちないで丸ごと落ちるので、特に武士は首が落ちる様に似ているということで椿を嫌ったということを聞いたことがありますが、どうなんでしょうか・・・・・。

主人: 私もそのように聞いているね。しかし、それは、自分の庭に庭木として植えるもんじゃないということなんじゃないのかな・・・・・。彼岸花も、お墓には植えても庭には植えるもんじゃないというのと同じじゃないかな。もっとも、最近では、そんなことにはおかまいなく、「綺麗なものは綺麗!」ということで、平気で庭に彼岸花を植えているようだけどね・・・・・。

椿: でもね~、ずいぶんと古い椿の木が庭に植えられているのを見かけますよ! 十分に江戸時代から生き続けていると思われるような古い太い椿の木が庭木として植えられているのをよく見かけますよ!

主人: う~ん。そう言われればそうだね。これまで深く考えなかったな(~_~;)
 そうだ、ちょっとインターネットで調べてみよう! 今では、インターネットというような便利なものがあるので助かるよ。いちいち図書館などに行って調べなくともわかるからね。

              (インターネットで検索)

 あった、あった。インターネットにはこんなことが書いてあったぞ。

「武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由にツバキを嫌ったという話もあるが、それは、幕末から明治時代以降の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述はない。」

と書いてあった。

椿: そうでしたか。幕末から明治時代以降の流言でしたか。

主人: そうらしいね。私も、これでスッキリした感じだね。でも、インターネットにはガセネタもあるから、それを鵜呑みにして100パーセント信じることには危険があるけど、これは、信じてもよさそうだな。
 だって、古伊万里には椿の文様が多いんだものね。当然、武士階級にも愛され、武士階級からの椿の文様の需要も多かったから、多く作られたんだろうね。この事実だけでもインターネットの情報が正しいことを示していると思うね。

椿: それを聞いて安心しました。ありがとうございます。

主人: 古伊万里は貴重品だったから、当時、一般庶民が買えるようなものではなかったと思うよ。たぶん、お前だって、武士の屋敷なり、富裕な町人の屋敷の中で大事にされていたと思うんだ。でも、大事にされてはきていても、所詮は日用品だから、長い間には疵も付いてしまうよね。特に、物を出し入れする口の所は欠け易い。お前にも、本体の口縁部には随分と欠損があるものな。しかし、そんなに疵が出来ても捨てられず、しかも蓋まで残っているというのは珍しいね。捨てるには忍びなかったんだろうね。よほど愛され、大切にされてきたんだろうね。 

椿: 私を捨てずに残してくれた前の所有者に感謝しなければなりませんね。 

主人: そうだよね。私も、お前を、大切に後世に伝えていかなければね。

 

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中秋の名月

2021年09月21日 19時03分35秒 | その他の日記

 今日は中秋の名月とのことで、昼間の天気予報によりますと、今夜は月が見られそうということなものですから、お月見の準備をすることにしました。

 そこで、夫婦で、散歩がてら、ススキを採り、山栗の枝も切り採り、ついでに、萩とユウガギクも採ってきました。

 妻は、団子も作り、採ってきたススキなどと共に供えました(^-^*)

 供えた場所ですが、例年は1階に供えるのですが、今年は、その場所からですと、ゴーヤがまだ元気よく葉を茂らせていて月を臨めませんので、2階の部屋に変更しました。

 

 

花は、ススキ、栗の枝、萩(薄紫の花が付いているもの)及び

ユウガギク(白い花のもの)です。