今回は、「色絵 万年青文 中皿」の紹介です。
表面
激しく割れています(><)
側面
裏面
裏面には、これ以上割れないように、鎹(かすがい)止めの補修が施されています。
鎹止め部分の拡大
生 産 地 : 肥前 鍋島藩窯
製作年代: 江戸時代後期(文化時代頃)
サ イ ズ : 口径;20.3cm 底径;10.6cm 高さ;6.2cm
なお、この「色絵 万年青文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
そこで、その時の紹介文を、次に再度掲載することをもちまして、この「色絵 万年青文 中皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー179 鍋島様式色絵万年青(おもと)文中皿 (平成25年3月1日登載)
このお皿はよく見かける。と言っても、それは、市場で見かけるのではなく、書物の中に於いてである。
それだけに有名なものなので、ブチ割れではあっても、私の自慢の逸品である。
私だって持ってるんだぞ~、と、コレクター魂をくすぐってくれるお皿ではある。
ということで、次に、このお皿に関する書物を2~3紹介したい。
先ずは、「鍋島 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成14年11月30日発行)から見ていきたい。
この本には、このお皿よりは小さいが、よく似ているものが図126(P.134)に載っている。
図126の表面
(上記「鍋島 後期の作風を観る」から転載)
図126の裏面
(上記「鍋島 後期の作風を観る」から転載)
そして、次のように解説している。
(126)色絵万年青文小皿
万年青文を染付と赤の色絵で描いている。葉の描き方は濃淡に染め分けている。この手法は18世紀中葉以降に見られるが、19世紀には繁用されている。
裏側面文様と高台櫛目文の描き方は幕末期作品の特徴をよく示している。
この小皿は文久3年(1863)在銘箱入り伝世品として既に報告されており、文久時代頃の色絵作品の貴重資料と云える。
次に、同じ著者のものではあるが、「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」(小木一良著 創樹社美術出版 平成16年11月9日発行)を見てみたい。
本書は、前述の「鍋島 後期の作風を観る」の続編であるが、その中に、私の所蔵品と非常によく似たものが掲載されている(図73 P.85)。
図73の表面
(上記「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」から転載)
図73の裏面
(上記「鍋島Ⅱ 後期の作風を観る」から転載)
また、これについては次のような解説が載せられている。
(73)色絵万年青文中皿
色絵万年青文皿で製作年代の明確なものとして「文久3年(1863)銘箱入小皿」が知られている(前著(126)図)。
この小皿と本品を対比すると表文様のみでは殆んど新旧は判らないほど類似している。しかし裏文様をみると前者はごく簡略化されたカニ牡丹風文様が三方に配され、高台櫛目文も弱いが、本品は端正に描かれ、製作年代に相当の開きのあることが判る。
本品も前掲作品類と同観点からみて、文化時代頃の作と考えられる。色絵万年青文同類品の中では最も早い製作年代作品である。
なお、本品に限らず後期に同文で長期間に亘り製作された作品類はなかなか判りにくい。却って後年のものの方が整っているものさえ見られる。同文品の新旧作品判断は裏文様と造形が最重要な要素である。
この本に依れば、私の所蔵品は、色絵万年青文同類品の中では最も早い製作年代品であって、文化時代頃ということになる。
ところが、佐賀県立九州陶磁文化館が平成18年に「将軍家への献上 鍋島 ─日本磁器の最高峰─」展というものを開催するに当たって製作した図録にも同じような中皿が掲載されているが、その中での解説では、その中皿の製作年代は1850~1870年代としてある。
文化時代は1804~1817年なので、両解説の間には約40~50年の差があることになる。
なかなかに、時代判定というものは難しいことが判るのだが、私としては、自分の所蔵品を少しでも古く考えたいので、文化時代頃の作と思うことにしている、、、(~_~;)
参考までに、上記の図録中の写真(図230)と解説(P.256)を次に掲載しておく。
図230の表面((財)鍋島報效会所蔵)
(上記図録から転載)
図230の裏面(口径20.5cm 高さ6.0cm 高台径10.7cm)
(上記図録から転載)
230 色絵万年青文皿
口径20.5 高さ6.0 底径10.7
1850~1870年代 肥前・大川内藩窯
(財)鍋島報效会
三色使う一般的な色鍋島が将軍吉宗の倹約令で終るが、時折、一、二色の色絵が作られた。幕末頃にこうした赤だけ使ったものがいくらかみられる。万年青の葉は半々を濃淡で強調する。裏面の染付も弱々しさを感じる。高台の櫛歯は根元の圏線が細くなっている。高台畳付は丸みが強い。 (大橋)
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*古伊万里バカ日誌109 古伊万里との対話(万年青(おもと)文の鍋島)(平成25年3月1日登載)(平成25年2月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
万年青 (鍋島様式色絵万年青文中皿)
表面 裏面(鎹で補修されている)
・・・・・プロローグ・・・・・
春はもうすぐ近くまで来ているようである。よく晴れて風のない日には、日射しも若干強くなってきているので、ちょっと春めいた感じを醸し出す。
主人は、そうした少々の陽気に誘われ、久しぶりに、猫の額程度しかない自分の庭をぶらついていたが、寒さにもめげずに元気に頑張っている「万年青(おもと)」に目を留めたようである。そして、「そういえば、我が家には「万年青」を描いた皿があったな~」と思い出し、「押入れ」からくだんの皿を引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: 寒いのに、お前は元気だね。
万年青: お陰様で、元気にしております。もっとも、私は、もともと寒さには強いんですよ。
主人: そうだったね。
「万年青」は、寒さに強いだけでなく、四季を通じて緑を保ち、大きな葉が冬の寒さから赤い実を守って何年も青々として子を増やし続け、繁栄することから、古来より、庭に植えると災難を防ぎ、万年も家が栄え続けると言われているね。めでたい、不老長寿の縁起のよい植物と言われているね。
それに、徳川家康が江戸城に入るときに、万年青を床の間に飾って入城したとの古事から、江戸時代には、主として大名のもとで栽培され、武士の間に人気があったらしいね。そんなこともあってか、古伊万里に、特に、将軍の食膳具であった鍋島に「万年青」を描いたものが残っているようだね。お前もその一例だろう。
万年青: 鍋島には、「万年青」を描いたものが多いんですか?
主人: 多いかどうかまではわからないが、大・小とりまぜて、長い間にわたって、結構な数が作られたようだね。(財)鍋島報效会というところでも、お前とほとんど同じ皿を所蔵しているようだよ。もちろん、そこの所蔵品は無傷完品だけどね。
万年青: 私のようにフランケンシュタインみたいになった傷物にも価値はあるんですか?
主人: まっ、あると思えばあるし、ないと思えばないかな。でも、結構、価値は認められていたんだろうよね。バラバラになっても、鎹(かすがい)で止めて補修され、大事にされてきたみたいだからね。だいたい、世の中にはいろんな人がいて、陶片をこよなく愛する者もいるよ。陶片は「男のロマンだ!」なんて言ってね。
ところで、お前を買うに当たっては、ちょっとした思い出があるんだ。
万年青: どんな思い出ですか。
主人: うん。何時も行っている骨董市で誘われたことなんだけれど、近いうちに、現在ここに出店している業者に更に外部の有力な業者を加えて、現在の骨董市開催地から少々離れた、ちょっとした都会の大ホールを貸切って、大々的に「骨董祭」を開くので、是非来場してくれないかということだったんだ。何時も行っている骨董市は、田舎で行われているし、青空市でもあるので、そのことだけでも、何時もとはだいぶ違う雰囲気を味わえそうなので、是非行ってみたいと思ったね。
それにね、第一回目の大きな「骨董祭」ともなれば、出店する業者も普段よりも力を入れて良い物を出品するだろうからと予想し、私も、普段よりも多く購入資金を準備して楽しみにして出かけて行ったよ。
行ってみてびっくりしたね。「第一回○○骨董祭」なる看板があちこちに掲げられ、ホールの中に入りきらないのか、ホール前の玄関ロビーや建物の外にまで業者が出店しているんじゃないの。勿論、ホールの中は出店業者でギッシリ詰まり、品物も沢山並べられていたよ。名品も散見された。この辺では、東京以外では、近来まれに見る光景だったな。もっとも、こんなに大々的に催しても、結局、思ったほどの売上げがなかったのか、この「骨董祭」は第一回で終ってしまって、その後は開かれなくなってしまったね。
万年青: その「第一回○○骨董祭」で私を見つけたんですね。
主人: そうなんだ。名品が散見されるしで、「あれもいいな! これもいいな!」で、欲しい物がいっぱいあった。でもね、普段よりも多い購入資金を準備して行ったといっても、私が準備出来る金額なんてたかが知れたもんだ(><) 結局は1点しか連れ帰れない(><)
そこで、会場を巡り、とりあえず、お前を含めて3点に絞った。しかし、Aは良い物であることは確かだけれど、また別の機会に同じような物に巡り会えるような気がしたので、心を鬼にして切り捨てた。Bもいま逃すと、もう二度と手に入らないだろうな~とは思ったけれど、いくら値切り交渉をしても現在の所持金では買えそうもないので諦めた。結局、3点のうちでお前が残ったんだけれど、あれこれ迷ってもたもたしているうちに誰かに先に買われてしまわないかと心配したよ。幸い、まだ残っていたので連れ帰ることが出来てよかった(*^_^*)
万年青: そういう思い出でしたか。多くの中から、わざわざ私を選んで連れ帰っていただき、ありがとうございます。
主人: そうそう、思い出話といえば、直接、お前とは関係のない話なんだけど、この「第一回○○骨董祭」ではこんなこともあったな。
万年青: どんなことですか。
主人: 会場を巡っていて、ハッとするような小皿が1枚目に留まったんだ。私が、「これみせてくれませんか」と言ったら、そこの店主が大変に感激し、「社長は目が高いですね」(だいたい、店主は、年配の男の客を「社長」と言うようで、私は「社長」などとは縁遠い存在である。)と言ったんだ。そして、「こんなに沢山お客さんが見えているのに、このお皿に目を留めたのは社長一人だけですよ。皆さん目がみえないんだね」と続けたんだ。更に、「○○美術館に、このお皿と同じ物が5枚あるけど、あれは私が納めたんですよ。元は10枚箱に入っていたんです。10枚の内から、少し疵があったり、歪みがひどかったり、絵が少しかすれているようなもの5枚を選んで美術館に売ったんです。残りはこれですよ」と言って、奥からあと4枚を出してみせてくれたんだよ。確かに、陳列してある1枚を加えると5枚になったね。また、「入っていた箱はこれですよ」と言って、わざわざ箱まで出して見せてくれたんだ。陳列しておいた小皿に目を留められたのがよほど嬉しかったんだろうね。
万年青: そんなことがあったんですか。それで、その小皿はいくらだったんですか?
主人: 買えるわけがないので値段を聞くのもはばかられたが、参考までにと思い、思い切って聞いたら、250万とか300万とか言っていたかな~、、、。もっと高かったかな~、、、。いずれにしても、購入対象外の値段なので、今ではよく覚えていないけどね、、、、、。
そんなこんなで、店主におだてられたり、お前を連れ帰ることが出来たりと、思い出深い「骨董祭」だったな。1回だけしか開かれていないから幻の「骨董祭」でもあったね。
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