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ジュゼッペ・キアラ神父の「宗門大要」(1658)を読むー「棄教」後のキリスト信仰と聖母の祈りについて

2019-03-15 |  宗教 Religion

ジュゼッペ・キアラ神父の「宗門大要」(1658)を読むー「棄教」後のキリスト信仰と聖母の祈りについて

遠藤周作の「沈黙」の主人公ロドリーゴ神父のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父の墓碑が2016年1月26日に調布市の有形文化財に指定された。当時のカトリック新聞に 「キアラ神父は(棄教)後にキリスト教の教えを説く本(現在行方不明)を書かされました」という記事があった。しかし、キアラ神父が「棄教」後に書いた本のすべてが行方不明なのでは無く、「岡本三右衛門筆記」という文書の抜粋が新井白石の「西洋紀聞」にあり、更に詳しい内容をもつ「宗門大要」が、姉崎正治の「切支丹宗門の迫害と潜伏」(大正14年刊行)にある。

 キアラ神父の「宗門大要」は、17世紀ころの迫害のさなかを生きたキリスト者の信仰の内容を当時の日本語で忠実に伝えてくれる第一級の資料である。
  たとえば当時の切支丹は「十戒」をどのように理解していたか。「宗門大要」は次のようにそれを伝えてくれる。
〇十箇条のマンタメント(Mandamento)はデウスよりの御掟の事
第一、 御尊体のデウスを万事に越えて御大切に存じ、尊み奉ること
第二、 デウスの尊き御名にかけて、空しき誓すべからず候こと
第三、 御祝日をつとめ守るべきこと
第四、 父母に孝行にすべし
第五、 人を殺すべからず
第六、 他犯すべからず
第七、 偸盗すべからず
第八、 人を讒言すべからず
第九、 他の妻を恋すべからず
第十、 他の物を猥に望むべからず
右十箇条はすべて二箇条に極まる也
一には、御一体のデウスを万事に越えて御大切に存じ奉ること。
二には、わが身の如くに、他人を思ふべき事是れなり

「宗門大要」では、現代では「愛」と訳す言葉を「御大切」と訳している。これは、現代の私たちにも心にしみる訳語ではないだろうか。たとえば、「汝の敵を愛せよ」というよりも「汝の敵を大切にせよ」と言うほうが、生きた翻訳のような気がするがどうであろうか。

また、「主の祈り」(おらしょ=Oratio)も、当時の生きた言葉で翻訳されている。

〇 天にまします我らが御親、御名をたつとまれたまへ、
御代きたりたまへ。天に於て思召ままなる如く、地に於てもあらせたまへ。我らが日々の御やしなひを、今日我らにあたへたまへ。我ら人にゆるし申すごとく、我らが科(とが)をゆるしたまへ。我らをテンタサンにはなし給ふことなかれ、我らを今日悪よりのがしたまへ。アメン。

この「主の祈り」の翻訳は、「われらの父」ではなく「われらの御親」と訳すところなど、先行する「どちりな・きりしたん」の「ぱーてる・なうすてる(pater noster)」と基本的にかわらないが、「隣人」を表すポルトガル語の「ぽろしも」を「ひと」と訳すように、外来語の音写をやめて、当時の日本人に耳で聞いてわかる言葉に、できる限り近づけようとしている工夫がみられる。

「どちりな・きりしたん(キリストの教え)」によれば、「我らの御親」の「我ら」は貴賤を問わぬすべての人をさす言葉であり、(異教徒も含めて)万人はみな同じ親を持つ兄弟姉妹であるというキリスト教の普遍的なメッセージを伝えている。それは「父」と訳すよりも「御親」と訳すことによってよりよく伝わる。「日々の御やしない」は、(聖体拝領の時に唱える場合)、朽ちる身体ではなく朽ちない心(アニマ)を養う霊的な糧であり、(毎日の食事の時に唱える場合)、われらの身体をやしなう物質的な糧でもある。心と身体の両方の糧を表す語として「御やしなひ」を当時の切支丹は理解していたと思う。

「宗門大要」では、「サンタマリア」の祈りは次のように訳されている。

〇ガラサ(Gratia)みちみちたまふマリアに御礼をなし奉る。御主は御身と共にまします女人のなかに於て、わきて御果報いみじきなり。また御胎内の御身にてましますゼズスはたつとくまします。デウスの御母、サンタマリア、今も我らがさいごにも、我等悪人の為に頼みたまえ。アメン。

「宗門大要」には「雪のサンタマリア」についての伝承も記録されている。 潜伏切支丹の大切な遺産となった「雪の聖母」の絵姿とともに「宗門大要」のアヴェ・マリアの祈りが一つなって聞こえてきたような気がした。

遠藤周作の引用した宗門改の役人の手記に基づく映画版「沈黙」の最後の場面は、仏教の葬儀儀礼に従って棺桶に入れられ薪でで焼かれるロドリーゴ神父の胸に十字架が光り輝くシーンである。これはスコセッシ監督のこの映画にこめたもっとも重要なメッセージであろう。
  浄土真宗の門徒として埋葬されたキアラ神父の墓碑は、1943年におなじイタリア人のタシナリ神父によって発見され、サレジオ修道会に大切に保管された。
 そのとき、この墓碑銘の「入専浄眞信士霊位」は、仏教の戒名から、キリスト教の「浄い真の信仰」を示す墓標に変容したのではないだろうか。墓標の上の司祭帽のような墓石と、キリシタン文字のように刻まれた梵字が印象的である。
 キアラ神父がその生まれ故郷で「殉教者」として絵に描かれていることも、決して全くの誤解によるものではなく、通常の意味での殉教とは違った意味に於て、真実を語っているものと思う。 

補足

雪のサンタ・マリアーキリシタンの時代のマリア像―とジュゼッペ・キアラ神父の「宗門大要」 

「雪のサンタマリア」とは、キリシタン時代の絵画の小断片を掛軸に表装したもので、現在は長崎の日本26聖人記念館にある。その記念館の館長をながらく勤められたレンゾ・デ・ルカ神父が、2018年6月、上智のキリスト教文化研究所で、「信仰伝承の証しとしての<旅>を考える」というテーマで講演されたが、そのときに使われたスライドの一枚が、この聖母像であった。
 「雪のサンタマリア」の名称の由来は、諸説あるが、おそらく、日本布教の前にイエズス会の宣教師達が祈りをささげたサンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承に由来する。昔、マリア聖堂奉献を考えていたローマのある貴族に、聖母ご自身が夢に示現され、建設すべき場所を(真夏であるにもかかわらず)雪で示されたという伝承である。
 明治維新以後の浦上キリシタンに対する迫害、浦上天主堂の被爆へとつづく受難の歴史を思いつつ、あらためて信徒の苦しみと迫害をともにされた聖母ご自身の<旅>の歴史を感じた次第である。
ところで、Sidotti と新井白石との対話を記した「西洋紀聞」とその関連資料を調べているときに、姉崎正治の『キリシタン宗門の迫害と潜伏』(同文館 大正14年)に収録されている「宗門大要(北条安房守宗門改記録下巻)」のなかの「雪のサンタマリア」の記載に遭遇した。
  「宗門大要」は、岡本三右衛門ことジュゼッペ・キアラが、井上筑後守に替わって宗門改役について北条安房守の尋問に応じて明暦4年、1658年に宗門の大要を陳述したのを筆録したものである。内容は、宮崎道生校注『西洋紀聞』に収録されている「岡本三右衛門筆記」とほぼ同じであるが、それにはない文書も記載されており、そのひとつが「雪のサンタマリアと申すこと」という一九番目の文書である。
雪のサンタマリアと申すことは、ロウマにてある侍(さむらい)、子を持ち申さず候(に)付きて、金銀取らせ申すべきものも之なき(に)付て、サンタマリアの寺を建て申すべき由、女房と相談申し候處に、其夜の夢にサンタマリア夢にまみえ給いて仰せられ候(に)付きて、夫婦ながら右の所へ参り見候へば、六月土用の中にて御座候へども、雪降り候て御座候。其處に即ち寺を建て申し候。夫れに就き雪のサンタマリアと申し候。
これは「雪のサンタマリア」に言及した文書の中で最も古いものであり、サンタ・マリア・マジョーレ教会の伝承とほぼ一致することが注目される。この記事が、「宗門大要」に載っている理由については、姉崎博士自身は「この話を何のために出したのか聯絡不明、或は奇蹟の一證としてか」と述べるに止まっているが、一つの自然な解釈として、シドッチが「親指の聖母」像を持参して来日したのと同じく、ジュゼッペ・キアラも、ミサを立てるときに用いる聖像の一つとして、「雪のサンタマリア」の絵を持参したのではないかという仮説が考えられる。
キアラが宗教画を持参したという直接的な証拠は未だ見いだせないが、「ジュゼッペ・キアラが日本に密入国したときに持参した「書物」については、「岡田三右衛門筆録」に次のような記載がある。

一 ヒイデス、ノダイモク 壹冊 是ハ初テ切支丹ニイタシ、又ハサイゴノ時トナヘ候書物
一 ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経
一 身持ノ書物 壹冊
一 エキノ書  壹冊
一 ヲカボラリヤウ 但三右エ門自筆 壹冊 是ハ日本口ナラヒノ書
一 日本言葉集書  三冊壹結
一 勤三冊ノ書物控 貮冊
一 同下書共    壹結
一 同不審書控   貳冊
一 天地の図ニ有之国郡ノ名付 壹結
一 南蛮ユサンの書付    壹結
一 キリシト天下ル未来記  同
一 諸事アツメ書      同
以上

ここで「ミイサ、ヲコナイノキヤウ 貳冊  是ハデウス、尊キタムケヲ捧ケ候時ノ経」とある点に注意したい。宗門改めの役人にとってミサ聖祭の道具がどんなものであるかは理解できなかったと思うが、キアラがミサをおこなうための「経典」とともに、シドッチと同じくそのための祭具を持参した可能性はあると思われる。
 現在、二六聖人記念館に保管されている「雪のサンタ・マリア」がキアラが持参したものであるという直接的な証拠は無いので、即断は禁物であるが、「雪のサンタ・マリア」は、その後様々に(日本のキリシタン説話として)変容された形で、隠れキリシタンの間に伝承されたことはよく知られている。その意味で、サンタ・マジョーレ教会の古い伝承にもっとも近いものが、キアラの言葉を収録した「宗門大要」に掲載されていることが注目されるのである。

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