松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

卑弥呼の火祭り その3

2008-01-28 19:34:38 | 復活奮闘日記
矢部川は、その水源を筑後、肥後、豊後の三国に発し
上妻、下妻(現在の八女郡、八女、筑後市)を流れ
旧山門郡から有明海に注いでいます。
その全長は約33km。
ま、あんまり大きな川ではありません。
上画像のように、川幅も狭いし、川底も深くはありません。
いたって穏やかな川に見えます。

ところが!
一旦大雨が降ると、とたんに水位が急上昇するそうです。

江戸時代の記録によると、またたく間に川の水が両岸に溢れてしまい
沿岸の田畑は土砂に埋もれ、川床が替わってしまったとのことです。

つまり、一方では昨日まで自分が耕していた田んぼに川が流れ、
もう一方では、急に土地が広くなっちゃった、みたいな。
田んぼは農民にとっての生命線。
雨が降るたびに収穫が台無しになったり
土地が消えたりすることが、いかに大変なことか。

しかも、この矢部川は久留米藩と柳川藩の境になっているため
両藩ともに治水では非常に苦労をしており、
天災とはいえ、河を挟んで憎しみあうこともしばしば。
沿岸の農民の争いも絶えなかったということです。

非常に面白いことに、
今回のイベント「卑弥呼の火祭り」の実行委員会は、
川の両岸である筑後市とみやま市が参加しています。
実行委員会の会長がみやま市長で、副会長が筑後市長。

昔のライバルだった二つの藩、いや今は市ですけど
その二つの自治体が手を結んだというのは
過去に横たわる歴史を考えると、
大変意義深いものがあるでしょう。

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