25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

死にたい事件

2017年11月05日 | 社会・経済・政治

 死にたい女子をツイッターで探し、9人の人を殺し、死体をバラバラにした、という青年は、どこかで左脳が働かなくなり、右脳の中も自分だけの快楽の部屋の鍵が開けられたのだろう。生育歴と社会に出てからの環境の両面から分析しない限り、動機は見えて来ないはずである。酒鬼薔薇事件の延長にこの事件はあり、あの時の事件の本当のことが公表されていないから、この事件もそうなるのかも知れない。

 まず、胎、乳製、幼時期での親子の関係だろう。そのことと生きて行かなければならない社会での仕事、不安感などがどの程度のものだったのか、いずれ、ルポライターなどが探ることだろう。

 6万人とも8万人ともいわれる失踪者がいるこの日本である。また、肺病に代わって、鬱病が蔓延する現代社会である。経済的に豊かな環境にいても鬱病になる。経済的に貧しくとも鬱病になっておられない人もいるだろう。

 物があって心が豊かになるものではないことはすでに多く人は知っていることだろう。

 ぼくは3歳になるまではオヤハ徹底して愛情を注ぐのがよいと思っている。生活費を維持し、未来への貯蓄をしなければ、寿命に達するまでいくらいるのかと思わざるを得ない社会である。消費を煽っても、乗って来ない節約ぶりの若者たちである。安定化生活を志向するのもわかるが、こどもを犠牲にしても、無理することはない、とわかっていればいいのだが。心を守る壁は厚くて高いのがよい。それは自律神経や、脳の言語野とも関係してくることだ。その基礎が決まるのは3歳までだ。