25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

叙情と陰影

2017年11月19日 | 音楽 ポップス

 舟木一夫のことを書いたら、舟木ファンが集う掲示板でぼくのブログを紹介していただき、ファンの凄さもあるが、やはり舟木一夫の影響がぼくにまできて、ブログを覗いてもらったおかげで、他の話題についてもついでに読んでもらっているのだろう。ありがたいことだ。十二月から新橋演舞場で一ヶ月公園があるという。名古屋の御園座も完成することだし、名古屋でやってもらえないかと思う。

 昔、「その人は昔」というLPがあり、ひとつのドラマのようになっていた。中学生の頃だったと思う。内藤洋子の「白馬のルンナ」も確かこのLPに入っていたのではなかったか。記憶は曖昧である。何度も聴いたおぼえがある。

 この前荻野目洋子が「六本木純情派」をミュージックステーションで高校生のダンスクラブが躍り、歌っていた。ぼくらの中学や高校時代というのはまだサブカルチャーが旺盛ではなく、ダンス部はなく、ラグビーやサッカーさえもなかった。テニスは奇妙な軟式であった。ダンス部のはちきれたダンスをみていると思わず恥ずかしさも忘れて踊りたくなる。たぶん、ダンスは好きで、バリ島にいくと、ラテンダンスの店があって、そこへ行けばぼくも踊る。インドの男も踊る。じっとみていたオーストラリアからの人たちも踊り始める。これは気持ちよく爽快感がある。だから今の高校生たちの選択肢の多さには羨ましい思いがする。

 舟木一夫の時代はまだダンスというのはフォークダンスであった。橋幸夫が「恋をするなら」や「チェチェチェ」でリズム歌謡と銘うって歌い出したら、舟木もリズム物をということで、「高原のお嬢さん」や「渚のお嬢さん」をだした。「高原のお嬢さん」は名曲であるが、抒情が全面にでていて、リズムはそれを支えるくらいのもので、歌をバックに踊るというのではなかった。おそらく舟木の声はリズム歌謡には向かないのだろうと思う。舟木の良さは叙情性にある。リズムをもつ「東京は恋する」や「北国の街」も叙情が全面にでる。そして歌に、声に陰影がある。

 これらの独特な歌を他の歌手が歌って見せても舟木のような陰影はでないだろうと思う。多くのファンが支えつづけたのはこの「叙情と陰影」ではないかと思う。あの頃の日本は高度成長期と言えども、ハチキレルとまでいかなかった。暗さと明るさが混在し、ようやく明るい方へ向かう扉が開きかかった頃だった。舟木もそうだが、ファンまだまだこころの縛りが多い中で生き抜いてきたのだと思う。