25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

緩やかな方がいい

2017年11月28日 | 社会・経済・政治

 酔っぱらった日馬富士が何かカチンとなることがあって、その場にあるものや素手で殴り、貴ノ岩を怪我させた。他の横綱や大関が並ぶ宴席でのリンチというわけだが、傷害事件なのだから、警察の捜査が一番である。物事はそれからである。

 マスコミは広告料をもらってこの事件をワイドショーや報道番組で井戸端会議、床屋談義を繰り広げ、醜態そのものである。モリカケ問題があろう。少子化問題、憲法問題、財政問題があろう、と思うが、ワイドショーを見ていると、世の中窮屈になったものだとつくづく思う。やっている司会者、コメンテーターは窮屈さを感じないだろうか。歌では不倫や恋の歌をみな歌いまくり、ワイドショーでは不倫をダメだと言いまくる。いい気なものだ。明日恋に落ちたらどうするというのか。

 物事は緩い方がよいのだ。妾を五人持って、その女性たちを食わしていけるぞ、と国会でいい放った三木武吉のような甲斐性があっていいし、逆に女傑が男を食わせてもよい。それは本人たちのことだ。ワイドショーはチマチマしたことをいかにも大事かのように事件をもて遊ぶ。よい大人(司会者、コメンテーター、ゲスト芸能人、番組を作るスタッフ)が恥ずかしいことだと思わないのか。政治家は公人だと言い、それで金を稼ぐ彼ら。芸能人をつけ狙いそれで金を稼ぐ彼ら。みっともない。

 ジャーナリストなどどこにいるというのか。骨のあるジャーナリストを見たことがない。