25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

政治がすること

2018年12月02日 | 社会・経済・政治
 日本社会は、よい点で言えば、比較的に安全で、落とし物をしても戻ってくる倫理性があり、飢餓はなく、社会保険、年金制度も整っている豊かと言える社会である。アスリートで言えば、若者は記録を塗り替え、技術は進歩している。カルチャーも裾野が拡がり、深化さえしている。
 国民の圧倒的多くが支持しているわけでもない自民党がこの国の進む航路の舵を取ってきた。徴兵制がないのも嬉しいことだ。天皇陛下は人々に寄り添い、できるだけ視線を人々に合わせ、えらそうな様子もなく、慰問の旅を続けている。欲を言えばキリがない。世界的に見ても良い社会といえるのではないかと思う。
 持続的に社会の安定を図っていくのが政治や行政の仕事ということだろう。

 心配することに目を向けてみると、例えば尾鷲市には中心部の旧尾鷲町があり、周囲に天満浦、古里、向井浦、大曽根浦和、行野浦が猫の額ほどの中心部の隅にあり、八鬼山を越えて、九鬼浦、早田浦、三木浦、古江浦、三木里浦、賀田浦、曽根浦、梶賀浦がある。そして海を隔てて須賀利浦がある。この浦村らはすべて限界集落である。
 山の斜面に家が建っているのは津波を避けるのと、平地がそもそもないことによる。
 例えば須賀利は高度経済成長期に養殖漁業で栄えた。子供の教育にも熱心であった。そのためか、漁業でしか生きられない故郷に帰って働く場所はない。十年前に小学生が二人いて、市が配車するタクシーで隣町の学校に通っていた。今はおそらく児童数はゼロに違いない。曽根もゼロである。詳しくは人口統計を見ないとわからないが、九鬼も、早田、三木浦、三木里、古江、梶賀もゼロか一桁だろうと推測する。
 車は必需品である。免許証も必需品になっているが、70代以上で持っている人は少ない。
 しかしこのことが人を不幸にするわけではない。買い物難民となれば必ずどこかから車で食品や必要品などを御用聞きのように定時に来てくれる商売人がでてくる。病院がないといっても尾鷲の総合病院までバス走らせる市のバスサービスもある。

 問題は市として、その浦村の人口が何人になるまでインフラの維持をするのか、ということだ。
 そしてその浦村をどうするのか、という政策をたてておく必要があるのではないか、ということだ。残された土地家屋をどうするか。市道の維持、水道のメンテナンス、電気や電話網などにどう対処するか考えておくほうがよい。須野のように人口が一人になっても維持している熊野市のような方法をとるのか、市として考えておかなければならない。都市計画の一種である。
 毎月20人から30人の人口が減っている尾鷲市。おそらくこのような地方の町は全国にいっぱいあるのだろう。大きく急速に栄えた時代が過ぎたということだ。
 そして地方の町は中心地に浦村や隅にいるご老人を集め、コンパクトに効率よく自治体を維持していく方向に進む施策を考えなければならない。
 
 社会が変革しなければならないときに、自治体や政府に資金がないと有効な手立てが打てない。政府、自治体の過剰な借金が足を引っ張り、なにもできないまま月日が流れていくのではないか。そしてそれは全国規模で起きるのではないか。
 夕張市が破綻したことがあった。そのようなことが同時多発的に、連続的に起こるのではないか、という心配である。ずっと先に支配と披支配や、占領ということも起きかねないことを心配する。こういう考えは体験から演繹されている。



雲田はるこ

2018年12月02日 | テレビ
月刊誌「ユリイカ」が12月号で「雲田はるこ」を特集していた。雲田はるこへのインタビューも対談も読者や評論家の感想もある。
 デビュー2年して描いた「昭和元禄 落語心中」で数々の賞をとったらしいから、それはネットで検索すればわかる。
 漫画家である。
 漫画をめったに読まなくなったぼくはNHKでの実写化された金曜日夜10時からの「昭和元禄 落語心中」で原作者の名前を知ったのである。ドラマをみていて、なぜかこれは原作は漫画だと思ったのだった。なぜなもだろう。セリフまわし、セリフの選択がマンガマンガしていた。短いキレのよいセリフのせいだろう。漫画家の優れたストーリー創作能力を感じたのだろう。
 現在流行している音楽シーンも漫画シーンもぼくはほとんど知らない。落語というものをほとんど知らなかったぼくは落語のイロハや奥行きをこのドラマで知ったのだった。雲田はる子は若い時期に(今も十分若いと思うが)オタクを卒業してニュージーランドにワーキングホリデー制度を使っていく経験をもつ。海外に行ったものが必ずと言っていいほど気がつくことは自分はいかに、自分のくらしている、帰らなければならない母国の文化や歴史を説明できないことだ。「落語心中」も海外滞在体験がなければ生まれなかったろうと思われる。そしてそういう若者からぼくらは教わる。

 ぼくは「昭和元禄 落語心中」を先にドラマで観たものだから、有楽亭八雲は岡田将生のはまり役者だと思ったのだが、漫画ではどうなっているのだろうと興味を持つ。助六の山崎育三郎もよかったし、八雲を死ぬほど好きなみよ吉を演じた大政絢は妖艶ですごかった。助六とみよ吉のあいだに生まれる小夏を成海璃子には役柄が重すぎたのかも、「ひよっこ」で警察官を演じていた流星涼も大熱演だと拍手したいほどに、いろいろな感想をもつ。
 落語をプレイヤーで聴いてみたいものだと思わせる。このドラマも12月には終わるのだろう。
 
 それにしてもサブカルチャーと呼ばれた漫画。漫画家才能は軽く小説家を越えているように思えてならない。文化波及手段としても翻訳が易しい。日本文化の中心を占めてくるような勢いであり、それを支える読者がいる。「ユリイカ」が素早く特集を組んで、おっ、さすがだ、と新聞広告で思っていたら、息子の嫁さんが持ってきてくれた。