25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

M1グランプリを見た

2018年12月04日 | テレビ
名古屋から帰ってきて録画してあったM1グランプをCMを飛ばしながら見た。
 「ジャルジャル」と「和牛」と「霜降り明星」の対決となり、それぞれが面白かった。ぼくは中でも「和牛」は機智に富み、面白く、安定感があったので、「和牛」が一位かなと思ったのだった。「ジャルジャルもその前にやったのも腹を抱える面白さでゲーム性を取り入れていて、決勝でも水準を保ったまま、面白かった。「霜降り明星」は体を動かすだけのもので、ぼくには面白さはなかったが審査員得点が一番高かった。新しい漫才ということなのだろう。確かに意味なく、なにがなんだかわからず、声がでかく、ああ、こんな芸もあるんだと思わせる。その意味では「あり得る芸」の「和牛」は安定しすぎであったのかもしれない。審査員七人の内、三人が「和牛」に、四人が「霜降り明星」に入れていた。

 好かんのは漫才で有名になると漫才芸をやめ、司会者になり、芸をやめてしまう者が多いことだ。上沼恵美子は司会を新しい芸にしているからまだいい。爆笑問題やらダウンタウンの松本やらは芸も見せないのに芸人面している。それはビートたけしも同様である。みっともない。だったら司会業に転向し、それを極めてまいります、と宣言してくれた方がよい。したがって松本人志にM1の審査をする資格はない。
 その点では「阪神巨人」「中川家」などは現役漫才師として芸道を歩んでいる。M1に出る芸人らも必死である。だから当然審査する側も必死でやらなければならないのだ。
 
 若い人たちがどのジャンルの世界においても旧世代を乗り越えるようにして出てくる。楽しみである。