「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ「という格言があるらしくドッキリした。文藝春秋「2019年の論点。その中の「愛国から極左まで急接近する政治とエンタメ」を書いた辻田真佐憲の文の一番最後にあった。政治的エンタメの危うさを彼は心配している。かつて日本国民が陥った風潮である。
あれ、ぼくは「愚者」なんだ、と首を傾げたのだった。言わせていただくが、この格言は正鵠を得ているとは言いがたい。ただ、歴史というのはカメラのレンズによる、ズームの具合のようにしか思えない。ぼくは経験からしか学んでない。歴史から学ぼうともしているが歴史は心もとない。歴史を大局から、客観的に、俯瞰して、と捉えるならば、その眼の持ち方をしようとしているが、これがなかなか難しい。客観の基準がよくわからないのだ。起こったことの本当の原因とて分かりにくいものだ。ぼくはいっぱい失敗してきた。その経験がなかったことで損したものはあとでかならず、とりもどして帳尻を合わせることを信条としている。
すでにぼくらは「未知の世界」を歩いている。歴史にない段階の世界だ。ファーウェイを排除しようとすると、日本国内の優秀な部品製作会社にも打撃を与えるという、経済取引がすすんでしまっている。こういうことも歴史にない段階の話である。
話を変える。歴史の話だが。青谷上寺地論遺跡で発掘された弥生人の骨が130体ほど発掘された。そのうちの30体のDNA遺伝子解析をした。驚くことに縄文人の遺伝子をもつものは1人のみであった。残る29体は大陸から朝鮮半島に集結してきた人々であった。どうやら弥生時代の1300年の間んい稲作を持った渡来人たちがどんぢんやってきたのだろう。青谷上寺地遺跡の住人は直接に大陸から鳥取の青谷に入り込んだと思われる。弥生人と縄文人が徐々に混合していったという説はもっと吟味されなければならない。
中国嫌い、韓国嫌い、北朝鮮嫌いの人はどう考えるのだろう。政治体制が好きでないから国が嫌い。領土を取ろうとしているから嫌い。すぐに先の戦争のことを持ち出してくるから嫌い。歴史から学ぶならば日本人の8割と韓国人は限りなく同じ遺伝子で、その遺伝子には中国北方の人も、中国南方の人も、中国のあらゆる地域からの人が朝鮮半島には集まっており、九州や島根、鳥取などは当時の交易地だったように思える。青谷上寺地遺跡からは勾玉もガラスも、木の彩色器も、当時の中国のみの、シルクロードを通ってきたと思われるものも残っていた。2世紀頃には大量に大陸から入ってきたのだろう。また古代国家が誕生して大化の改新のころにも渡来人を多く受け入れただろう。天皇家の初代は神話の中にあるが、いずれは系統的に分かるようになるのだろう。
すると「日本人のアイデンティティーは何?」ということになってくる。
科学的に調べた歴史というものもある。遺伝子は嘘をつかないように思われるが、西郷隆盛はどんな思想を持っていて、海外まで留学した村田新八はなぜサイゴウニ従ったのかはわからない。後世の人の想像力を掻き立てるだけである。
愚者は経験に学び、か。よくわからない言葉だ。一体誰が言った言葉なのだろう。
あれ、ぼくは「愚者」なんだ、と首を傾げたのだった。言わせていただくが、この格言は正鵠を得ているとは言いがたい。ただ、歴史というのはカメラのレンズによる、ズームの具合のようにしか思えない。ぼくは経験からしか学んでない。歴史から学ぼうともしているが歴史は心もとない。歴史を大局から、客観的に、俯瞰して、と捉えるならば、その眼の持ち方をしようとしているが、これがなかなか難しい。客観の基準がよくわからないのだ。起こったことの本当の原因とて分かりにくいものだ。ぼくはいっぱい失敗してきた。その経験がなかったことで損したものはあとでかならず、とりもどして帳尻を合わせることを信条としている。
すでにぼくらは「未知の世界」を歩いている。歴史にない段階の世界だ。ファーウェイを排除しようとすると、日本国内の優秀な部品製作会社にも打撃を与えるという、経済取引がすすんでしまっている。こういうことも歴史にない段階の話である。
話を変える。歴史の話だが。青谷上寺地論遺跡で発掘された弥生人の骨が130体ほど発掘された。そのうちの30体のDNA遺伝子解析をした。驚くことに縄文人の遺伝子をもつものは1人のみであった。残る29体は大陸から朝鮮半島に集結してきた人々であった。どうやら弥生時代の1300年の間んい稲作を持った渡来人たちがどんぢんやってきたのだろう。青谷上寺地遺跡の住人は直接に大陸から鳥取の青谷に入り込んだと思われる。弥生人と縄文人が徐々に混合していったという説はもっと吟味されなければならない。
中国嫌い、韓国嫌い、北朝鮮嫌いの人はどう考えるのだろう。政治体制が好きでないから国が嫌い。領土を取ろうとしているから嫌い。すぐに先の戦争のことを持ち出してくるから嫌い。歴史から学ぶならば日本人の8割と韓国人は限りなく同じ遺伝子で、その遺伝子には中国北方の人も、中国南方の人も、中国のあらゆる地域からの人が朝鮮半島には集まっており、九州や島根、鳥取などは当時の交易地だったように思える。青谷上寺地遺跡からは勾玉もガラスも、木の彩色器も、当時の中国のみの、シルクロードを通ってきたと思われるものも残っていた。2世紀頃には大量に大陸から入ってきたのだろう。また古代国家が誕生して大化の改新のころにも渡来人を多く受け入れただろう。天皇家の初代は神話の中にあるが、いずれは系統的に分かるようになるのだろう。
すると「日本人のアイデンティティーは何?」ということになってくる。
科学的に調べた歴史というものもある。遺伝子は嘘をつかないように思われるが、西郷隆盛はどんな思想を持っていて、海外まで留学した村田新八はなぜサイゴウニ従ったのかはわからない。後世の人の想像力を掻き立てるだけである。
愚者は経験に学び、か。よくわからない言葉だ。一体誰が言った言葉なのだろう。