25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

介護度認定の調査

2018年12月20日 | 日記
母の介護認定の調査員が来て、聴き取り調査を行った。現在は要介護2であるが、以前よりはよくなっているから要介護1くらいになってほしいと思う。ある時期から「認知症」を心配したが今では自然な物忘れ的なもので、過去に妄想を見たこともあったが、それもなくなり、ごく普通に自分で曜日の管理をし、週三回のデイサービスに行って風呂に入るのに、寒さにもへこたれず、朝起きて、準備をして、化粧もしてデイサービスの車が来るのを待っている。

 これまで睡眠導入剤と便秘薬は事故前まではとても気にし、なくなると必死の様相だったのに、この頃はそんなことは忘れたかのように、薬の飲み忘れをする。薬は一包化してもらい寝る前に飲むことになっていたのを、この頃忘れることが多いので、担当医に相談をして、いつでも飲んでよい、ということになり、袋に日付を書いて、必ず飲むようにぼくの方も努力して、飲むのを見届けるようにしている。忘れるほどに薬に囚われなくなり、超老人になった証ではないかと思う。芹沢光治良が90歳も過ぎたら、腰痛も結核もなにもかも治っていくんだ、というようなことを書いていたのを思い出した。

 調査する人は聴き取り用紙のようなものがあって質問をしていく。母親に主に聞き、あとで僕が補足するという形となる。要介護度が1になった方が支払うお金も安く済む。しかし週三度の風呂、人とのコミュニケーションの場はほしい。そのことをお願いした。お願いしてどうにかなるというものではないだろうが、言ってはおいた。母親の身体の調子は本当によくなっているのである。

 逆に、ぼくが問題になってきた。ウィスキーに凝り始めてから一年以上は経つが、次第に体重が増えてきた。体重増加に比例して血圧が上がってきた。肝臓のγGTPがG上がって来た。医師は「体重を落せば必ず血圧は下がるから、ダイエットに努めてください」と言う。
 母親の世話をしているというのに、自分が自分を世話しなければならない状況である。老々介護になってきた。

 まだこれからやらねばならないことは山とあるのに、死ぬわけには行かないし、やっぱり歳の順、親子の順に退場していくのが摂理というものだ。

 この頃、七十代の人は若くなったと思う。元気であるし、容貌も若く見える。若く見せる美容の技術も向上しているのだろうが、精神も老け込んでいないように思える。ぼくの知る七十代も溌剌としている。

 昨日は綿屑とセメントで大きな塊を作って麻袋に入れた。カラカラに乾くのを待って、保水率と蒸散率を測量したいと考えている。まだ固まらないので、今日はそのままにしておいて、曽根の家の障子の開閉がつまってしまうので、ノミを買って(ノミを使うのは初めてであるが)、やってみる。大工さんは素人がしてはいけない、と言うようだが、まあ、やってみるか、と思い、午後から出かける気である。成功したらスッキリする。木の家は歪んでくるものだ。