25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

世知辛い

2018年12月16日 | 社会・経済・政治
 医学部の入試得点操作をしたとぞろぞろと発表している。「赤信号みんなで渡れば恐くない」というのと同じ発想だ。日本医科大学で発覚したあと、他の大学はいつ発表するか、機会を見ていた。あるいは談合して同時発表とした。インテリがまだ古い皮質に包まれて生きている。腹立たしい。受験生は平等であるから受験も成り立つはずなのに、不正入学をさせている。これらの大学をこれまで受けた学生はたまったものではない。じんせいが変わってしまった人もいるかもしれない。大学側は過去の調査もして、本当のことを公表するのがよいと思う。

 今年の漢字を発表するのはなぜ清水寺の僧主なのか知らないが、それは兎も角、「災」が今年の漢字である。灼熱、水害、地震。気候の変動をさらに思わせた。僕が暮らす尾鷲は逆に台風コースや水害コースから近年外れているので、もうひとつピンと来ない漢字ではある。

 自分の場合はどうか。今年は書いておかなければならないことはほぼ書いた。そのために放って
おいた宿題に今年の後半から取りかかった。今年はまた、聖書を読み、聖書関連本、美術、映画、古代文明、中東、ヨーロッパの歴史などに関心を寄せたのだった。人類は宗教の組織化を克服できるだろうか。
 今年の漢字を言えば、「準」である。目当てに従うことを言う。目当てになる基準のことも言う。まだ挑戦への準備段階である。挑戦者としてはまだ準挑戦者である。

 今年の最後に内蒙古経済文化協会の会長と会える手はずになっている。たぶんここから本格的に砂漠化への対処方法が始まるが、こっちのほうの実験も「綿屑」が参入して、あらたに混和剤と綿くず、セメント、砂などの配合などに頭がゴチャゴチャになっている。縁あって、籏山氏がぼくに預けた簡易な砂漠緑化方法の解明に頭を費やした。

 年の瀬とは借金つけ払いを済ませることを川の瀬に喩えられている。そう言えば、九鬼では盆と暮れの二回払いだったと聞いたことがある。
 どうしたらそんな資金やりくりができるのだろう。
 紅白歌合戦はなんの興味もわかなかったが、サザンオールスターズが出るというので、観る気になった。
 人間は電車の中でも、喫茶店でも、歩きながらでも、手のひらに乗せたスマホを見ているようになった。ぼんやりと遠くを見たり、なにもしないことがいかにも不安かのようにスマホ画面にとり憑かれるようになった。いずれ世界の人間がイゾラド以外そうなる。なんだか世知辛い。