エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

偶然の必然を語る・・・ニーチェ

2010年05月20日 | 日記
ツァラトゥストラは「偶然の必然」を語った

雨である。
ぼくは出かける前の時間で「ツァラトゥストラはかく語りぬ」を聞いた。
映画「2010年宇宙の旅」でも使われた曲である。

ニーチェである。
彼がツァラトゥストラの語りを通して「偶然は必然である」と提起した瞬間、生きている現在すべてが必然と認識されたのである。

キリスト教的概念が否定された瞬間である。

奇跡などという事象は存在せず、奇跡と称される事象は現在の積み重ねであって「たまたま」などという偶然は無いのだと知らされたのである。



現在があるということは、過去があり、その先に未来がある。
現在の積み重ね・・・繰り返しこそが未来であり、偶然という事象は存在しないのであると言うのである。



然り!
である。

この概念を敷衍(ふえん)すれば「量と質」という問題に逢着する。
量は質に転化する!という命題である。
分かりやすく言えば「スケール・メリット」である。



現在は「不完全燃焼社会」である。
仕事も学業も、不完全燃焼であっても通用してしまう。

そもそも政治がそうである。

マニュアルが不完全燃焼でも居直る。
その行為に国民はもっと怒るべきだ。

タイで起きている武力行使による政権争いは、日本の現状と対極をなすものである。
日本で武力行使などというものがあってはならないことは言うまでもない。



奮起のタイミングこそが美しい!
その一瞬に賭けることは美しいのである。

と、ツァラトゥストラは語っているのである。



水の流れがそうであるように、時として渦巻き、あるいはまた岩に砕け散り、然して大河となり海に注ぐ。

その水の流れる様は女性の肉体にも似て、キラキラ輝いている。
一瞬に賭ける生きざまが見えるからである。



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初夏の気配

2010年05月20日 | 日記
初夏の気配が後退した。
けれど一雨ごとに夏が前進する。

緑が濃くなっている。





         初夏の気配


      新緑がたおやかに
      かつ
      たわわに肥大化しつつ
      色を濃くしていく
      網膜に写り込む実在は
      穏やかな大気を着込んで
      叫ぶだろう

      進めよ
      と





雑草たちも華やいでいる。
鮮やかで、たおやかで、それでいてどこか暑苦しさを感じさせつつある。

ムッとするのである。
それは緑が放出する「草いきれ」である。



気がつくと、枇杷の実がこんなに大きくなっている。
確かに初夏の気配である。





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