エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

薔薇・ばら・バラ・・・美しき哉

2010年05月29日 | 日記
美しき哉、薔薇である。
今週末には東京の薔薇の見ごろは多分終わる。

終わって良いのである。

薔薇の見ごろは、瞬時であっても良い。



あまりにも著名な画家の名前を冠している。
「オウギュスト・ルノアール」である。
洒落ている。
この薔薇は、群舞のように見ると鑑賞に優れている。



ルノアールが何人もいるのである。



「スーパースター」である。
なるほど、整った花であり、華やかな気分が伝わってくる薔薇である。



「クイーン・エリザベス」である。
高貴さが香り立つような色である。



形状も優れている。



こんな色合いの花もあった。
エリザベス女王の気配が漂っているようではないか。



今日の最後は「ルーピング」である。
蔓薔薇である。

雰囲気はまるで造花のようであり、優しい印象を与えてくれる花である。
こうした「さもない」花が好きである。






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                     荒野人

晴れ間という間隙

2010年05月28日 | 日記
最近の日本は何だか「熱帯化」したようで、にわかのスコールに出会ったり、雨季と乾季の交差点のような気候が続いている。

おかしな気候変動である。

かてて加えて妙に雨も多いのである。
そんな事を思って珈琲を飲んでいたら詩が産まれたのである。






         晴れ間という間隙に関する考察


      晴れ間という間隙は
      ぼくの中の感性である
      感性は一個の革命であって
      不断に心を揺り動かす動燃となるものだ
      革命は封印されることなく
      憤怒という御し難い魔物を内包して
      奔流する時を待つのである
      晴れ間という間隙は
      決して堰を切らせない動燃である
      留められたエネルギーは溜まりに溜まり
      量から質へと転化して
      迸(ほとばし)る時をやり過ごすと
      やがて穏やかな安息の地平に立つのだ
      感性は
      質に転化した後
      発条(ばね)へとなりさがる
      質は再び量へと転化されることはないのだ
      日本語の文法が二音で構成され
      二音が交差することはないのと同じだ
      晴れ間という間隙は
      ぼくを痛めつけることもないまま
      傷を嘗(な)め合って
      平然と時間を浪費する
      ぼくは時間のないまま
      封印を解くことはないであろう
      と
      晴れ間の間隙を縫って
      やがて訪れるであろう
      無限地獄に思いを馳せ続けるのだ
      間隙とはそういうものであって
      それ以上にはなりえない悲哀を内包しつつ
      泡のように霧消していく運命の
      鐙(あぶみ)である

      ぼくはいま
      晴れ間という間隙を楽しんでいる







花梨(かりん)の実生(みしょう)が・・・いつの間にかこんなに大きくなっている。








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今日の空模様

2010年05月27日 | 日記
天気予報の確率・・・今日は五分五分かな?
午前中は予報に反して、青空が覗きさわやかな風が吹きわたった。



この空が今日の午前中の空模様である。
空気も湿度が低く、肌がサラサラして気持ち良かった。



今日の天気なら、こうした景色もよく似合う。
棕櫚(しゅろ)の木の向こうの空が心地よいではないか。



たとえばゴルフ練習場のフェンス越しの空と雲である。
この天気なら、打ちっ放しも楽しい。

ゴルフ・ボールが、さわやかに飛びそうである。



午後、にわかに黒い雲が横たわってきた。
邪悪な雲が天を支配しつつある。



とたんに、雨が歩道を叩きだした。
道行く人の動きが早まった。

しかしこの雨は、1時間も持たず空は明るくなってきたのであった。



葉桜が急に青さを増して気温が上がっていくのが肌で知ることができる。
そんな雨上がりであった。



雨が洗った大気は、生きとし生けるもののエッセンスが空気の中に溶けだしていくのである。
だからこそ雨上がりの大気は輝くのだ。



夕方、パラレルに色彩を散りばめた雲が広がった。
天気予報は五分五分だったけれど、気分は上々である。




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雨と薔薇のたたずまい

2010年05月27日 | 日記
昨日はシトシトとした雨模様。
今日は今日とて、午後から雨であるらしい。

加えて、ようやく価格が安定しつつある野菜の値段が心配である。
今日から1週間程度気温が低いらしいのだ。

東京周辺の薔薇は、そろそろ旬が終わる。
花弁に汚れが目立ち始めているのだけれど、昨日の薔薇は雨滴を湛(たた)えて鮮やかに見えたのである。



「白雪」である。
花弁にピンクの斑点があって、それがポイントにもなっている。



「ベテランズ オナー」である。
真紅の薔薇はこういった色合いであろうと思わせる赤である。



「ゴールド シャッツ」である。
花弁の着き方が面白いではないか。

花弁が重いのか、下部の花弁はうなだれていく。
まるでハスの花のようである。



「バロック」である。
しっかりと締まった花弁とその色に魅せられる。
バロックという命名の由来がうかがわれる有様である。

深く魅せられてしまうのである。

雨滴の醸(かも)し出す演出は見事である。






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初夏の花咲く東京

2010年05月26日 | 日記
昨日は暖かい一日であった。
日替わりで天気が変わっている。

体調を合わせるのが大変である。

その代わり・・・と言っては可笑しいのだけれど、東京の花は今美しい。



つつじの蕊が空を指差しているのである。
植え込みのつつじは盛大だ。



セイヨウ・ニワトコの花である。
遠目で見ると、密集した山帽子の花のように見える。



この花が山帽子である。
ハナミズキにも似ているけれど、似て非なる花である。



ラベンダーの花である。
独特の噎(む)せかえるような香気を放っている。



これはコンフリの花である。
この若い葉は、天ぷらにして食べると美味しいである。

そもそも薬草として育てられていた植物である。



これも薬草である。
ドクダミの花である。

子供のころ、やけどに良いと言われていて葉の薄皮を剥がしてやけどした場所に貼り付けたものである。
ヒヤッとした感触が優しさとともに想起されるのだ。

強い臭気がある。



ハチが花の蜜を吸っていた。
命の営みは、今が盛りである。





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