エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

昭和記念公園の秋

2014年10月26日 | ポエム
昭和記念公園の秋を満喫した。
折しも、立川口の先で「肉フエス」をやっている。

お腹も、秋色も満喫できたのであった。



この公園には、この月末に再度来る事となっている。
赤蕎麦の花を見に、句友とともに吟行である。

実は、その下見も兼ねてであった。
同行は、いつもの従兄弟である。







「空高し広々見ゆる池の面」







秋が満開になりつつあった。
こうした色合いは、誠に好もしい。

この赤みは、桜紅葉である。



この赤は「うめもどき」の実生。
日に照らされて、ピカピカしている。

秋らしい赤、である。
もどき・・・の一言は必要のない実である。



この黄色は欅である。
ほどよく落葉しているから、木の形が恰好よく見える。

黄色い葉を降らしている。
まるで誘うかのようである。

誰をって?
さて・・・それはぼくにも分からない。



秋色は、曰く不可解である。




       荒 野人

奄美の珊瑚細工

2014年10月25日 | ポエム
奄美の珊瑚細工は可愛らしい。
ランプ・シェード一つと、箸置き数点が我が家にある。

手作り感を残しつつ、奄美の空気を伝えてくれる。
ランプ・シェードは玄関に、百均のランプを入れて置いてある。



暗闇で光りながら、奄美の潮騒を伝えてくれる。







「リーフから珊瑚賜る秋の海」







箸置きである。
食事を頂く時には、必ずこれを使う。

しっかりとしていて、箸が転がる事は無い。
食材が奄美を被って、口の中に入ってくる。

楽しい珊瑚のお土産である。



久しぶりに晴れ上がった東京の空。
見上げたら、また奄美に行きたくなってしまった。

あの雲に乗って、行ってみたいものだ。




      荒 野人

奄美を去る日

2014年10月24日 | ポエム
奄美を去るのは、いつだって後ろ髪を引かれる。



この海は、奄美の何処にでもある浜であって集落の人はここで海水浴をする。
言って見れば集落のプライベートビーチである。

羨ましい限りである。



海が碧いから、航跡はより白く引かれるのだ。







「さらば島わかれるつらさためる秋」







曇天だって、これほど綺麗に見える。
美ら海・・・なのだ。

ところでこの岩、ライオンが蹲っている姿に見えませんか?



空、雲、海そして珊瑚礁。
奄美よさらば!

また、会う日まで。



       荒 野人

奄美の高倉

2014年10月23日 | ポエム
奄美の高倉を紹介しよう。
紹介した事があったけれど、この高倉は江戸建物園で見る事が出来る。



暑さを凌ぐ知恵の結晶である。
南国では、陽射しさえ遮る事が出来れば涼しいのだ。

かつては各家にあったのである。
真夏の炎天下であっても、今では、各集落に残されたこの屋根の下で集落のおじいやおばあたちが寄り集まって話に花が咲く。
そんなコミュニテイの象徴なのである。
だが今では、象徴的な建物になってしまった。







「高倉の茅葺き屋根の星明り」







誠に上手く出来ている。
茅葺きだから,暑さの緩衝作用は抜群である。



どんなに暑くても・・・日陰は涼しいと知っているから物の保管にも最適なのであって、この高倉は生まれた。
かてて加えて・・・



奇麗な海は、身体の中から涼しさを演出してくれるのだ。
とりわけ、珊瑚礁で崩れる海は光り輝き、あらゆる情念を消し去ってくれる。

神の島、長生きの島の所以である。
これは、明日島を辞する陽の朝に書いた。



      荒 野人

奄美の秋

2014年10月22日 | ポエム
奄美の秋は「サシバ」が渡ってくるから、それと知れるのだ。
今年のサシバは、台風19号が奄美を去った翌日に飛来したと云う。

19号が、秋を連れてきたのだ。
気温が一気に下がり、秋が横溢してきたと云う。

風は色を失い、吹く。
島を席捲したのである。



風が色を失うとともに、夏の残滓・・・花の色が鮮やかになって来た。



ブーゲンビリア。



ハイビスカスである。
垣根の剪定が始っているから、花ごと切り落とされている。

ハイビスカスは年中花であるから、遠慮会釈なく切り落とされるのだ。







「糸芭蕉色無き風に誘われて」







これは「月桃(げっとう)」の実である。
沖縄では、化粧品の材料として栽培されている。
ここ奄美では、普通に道端にある。

昨日お見せしたけれど・・・



糸芭蕉の花は、鮮やかである。
芭蕉布の織物の一つくらい、羽織ってみたいものである。



      荒 野人