数年前に出版された家具の雑誌でしたが、そこに掲載されていた「
ナカヤマ木工」様に連絡をさせて頂いていました。
中山さんはここ大川で家具工房を営む二代目で、父親のもとで修行をしましたがお父さんが作られていた家具とは違う無垢の材を手作りしていく方向を選ばれたそうです。
家具の産地大川の発祥は江戸時代にさかのぼり、もともとは京都から来た榎津久米之介が伝えられたようです。町の目の前を流れる筑後川を、大分をはじめとした山々から産出された杉の材木が運ばれてきて、これらの豊富な材を活用し家具が作られ、他には水車なども作られていたそうです。
大正11年大川に初めての家具製造機械が導入されました。(
大川木工産業資料館)加工機械の中には大川で開発されたものもあり、家具の産地として加工機械やその周辺業界が集積する世界でも有数の家具の産地となって現在に至っています。
しかし面白いことに、大川の家具には「これが大川の家具」というものがないそうです。
なるほど街中でもらった家具マップを見ても、伝統工芸的な家具からカントリー家具、モダン家具、洋家具の大型工場など様々な家具屋さんがひしめいています。
その中で、中山さんは有志と指物振興組合を結成し、小規模ですが比較的手加工が多くデザインに優れた家具を製作し、仲間とともに展示会を行っているそうです。
木工家にとって気をつけなければいけないアドバイスをお願いしましたら、
「まずは健康、安全」と教えて頂きました。
「指をなくすのは一瞬だよ、『あ、あ、』と思ったらもう終わりだから」
いくら長年のベテランでもそのような事故に遭うことはあり、大川にもたくさんそうした方がいらっしゃるそうです。
私も改めて気をつけようと肝に銘じました。
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その後中山さんの紹介も頂き、何軒もの工房を拝見しお話を伺わせて頂きました。
大川に工房を構えるメリットは、家具に関する業界の集積があるので、「家具のことなら何でもそろう」点に尽きそうです。
製造機械メーカーも多く、セッティングや修理などに機敏に対応してもらえ、金具などの部品もそろうし、もちろん材木屋も多く、しかも最近は少量対応も可能で運んでくれるようです。
景気や市場が縮小する中で業界全体の協力が昔よりも増えたそうです。
しかし、事業所数は600くらいあったものが200くらいになっているかもしれないという情報も聞きました。
その中でも調子のいい工房というのは、「デザインにお金を払っている」というお話も聞きました。流行や同業者の真似に走らず、外部のデザイン事務所とコラボレーションをしたり自ら企画したり。「作り手は無意識に作りやすいもの」を作ってしまうので、デザインと製作は分けたほうがよいと自らの体験を語って頂いた方もいらっしゃいました。
また若い世代でも修行して独立を果たしている方々も大勢いて、そうした人達は技術と同様に人間関係づくりも気を使い、特に都会にショップを構えるにはそうした活動が不可欠だそうです。
「大川の家具には型がない」ことを逆手にとり、基盤を活かした自由奔放な発展の可能性が大川にはありそうです。
◆町のシンボルでもある筑後川昇開橋