ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

ちょっとブルーな感じ(というか・・・)

2007年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

あお号(R1150RT)はETCの取り付けでディーラーにお泊り中。来週の木曜(3/8)まで帰ってこない。

ネタが無い訳じゃないけど、今日はパソコンの話。

パソコンをすごい久しぶりに買い換えた。

いままではWin98,ISDNなんて環境でやってた。

光回線の工事が、これも来週にならないとやってもらえない。

まあ、それまでに「ビスタ」とやらに慣れて、前のパソコンのデータなんかも移し変えときましょう、なんてやってたら、動かなくなってしまった。DLLファイルを消してしまって、セーフモードすら立ち上がらない。

おまけに内蔵CDドライブを壊れたままだましだまし使ってたもんだから、起動ディスクからセットアップも出来ない。

アニキに相談したら、IDEのHDDを入れて使う「ハコ」があると云うんで、早速買って来てデータだけは何とか写すことが出来た。(ふーっ)

という訳で、ネットに接続出来ないので、まともに更新できません、あしからず。(言い訳かヨ!)


二輪ETCは付けるが得か?

2007年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

先回ここにETCの装着について書いたけど、実際バイク屋に持っていってわかった「お得」な話、いろいろあった。

あお号(R1150RT)はカウルがでかいので、アンテナ、インジケーターランプの設置だけでなく、本体の収納もまったく問題なく、きれいに収まりそうだった。(実際の写真は出来上がり後にアップする予定。)

それよりもいま実施されている二輪ETCの導入促進キャンペーン(多分ホントは違う名前、でも、趣旨はそういうことだと思う)が3/31まで延長されていて、かなりの金額が差し引かれたり、戻ってきたりする。

まず、ETC本体の購入にリースを利用すると、30,000円の本体価が半額になる。残りは24回の分割払い。ブラケット代や工賃を含めて割ることも可能。つまり、税込ズバリ15,750円が差し引かれる。

または、16,000円分の高速料金のキャッシュバックを受けられる。これもすごい美味しい話だ。

ボクは将来のメリットより、目先の具体的なメリットを好むほう(手持ちの現金が乏しいとも云う)なので、迷わず本体半額を選んだ。

具体的には、ショップによって対応が若干異なるのだろうけれど、信販会社とカード契約をして、残金を分割で引き落とすといった感じ。ついでに、ETCカードももう1枚作ってもらった。

とにかく3/31までせっかく期間が延長されたので、迷っている人は、つけるが先だと思う。詳しくは、ORSEのHPをみてね。


ふたたびETCの話 

2007年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の道路交通は、いわゆる「クルマ(四輪)」中心だ。

クルマしか乗ってないヒトはなんだ改めてと思うだろう。

オートバイはやっぱり道路上では、扱いにくい、ガキの乗り物と思われているんだな、と感じさせること多いね。

免許制度、法定速度、乗車定員、駐車場所、そしてETC

ETCのことは前にも書いたけど、まァ、なくてもあまり問題はない。政治的な問題もチラチラ見え隠れするんで、天邪鬼としては一歩引いてしまうってのが正直なところ。

やっとこの前、二輪ETCが本格運用を始めたので、二輪雑誌の誌面にも多く扱われ、さかんに「二輪こそETC」みたいなキャンペーンが繰り広げられているけど、そこで云われている利便性くらいなら、ちょっと工夫すればそれ程問題にならないことばかりだ。

最近ではETC装着のクルマが増えて、大きなICではETCレーンに列が出来て、一般レーンのほうが空いている。通過にかかる時間はほぼ変わらないといったところが実情だ。ETCレーン1、一般レーン1という小さなICでは勿論圧倒的にETCのほうが早いです、誤解無きよう)

でーもー

やっぱり最大の問題は「割引」だね。

早朝、夕方の割引率は50%とすごいし、深夜の30%も魅力的だ。

今、暫定的に行われているETCカード使用によるマイレージポイントのサービスも、今後はETCレーンを通過しないともらえなくなる。

どうする!?

つーけーるー!!

こわいー!この変わり身。二枚舌!

明日あお号(R1150RT)ディーラーに預けてくる。(えっ!あれって品薄で予約しても2、3ヶ月待ちじゃないの?・・・・・・予約してあった?いつ?去年?---あんたおかしいわ)

1週間後にはあお号改め、あおETC号になるじょー。


ご当地キティ、Get! 133・134

2007年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

伊豆は結構手に入れたけど、いろんなキティがまだまだあるね。

「河津桜」「金色夜叉 with ダニエル」

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133個目と134個目、Get!!

ダニエルくんと一緒のやつは、軽井沢のも持ってます。

あっちは結婚式の。こっちの熱海のやつは、ご存知「金色夜叉」。

ってことは、キティちゃんは芸者!?それは「雪国」の駒子か。お宮はなに?

「来年の今月今夜のこの月夜、ボクの涙でェー、くーもーらーせーてー、やるゥー!」


河津桜を見にいく

2007年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

14日の嵐は大した事なかったけど、明けて15日は恐るべき強風の一日となった。

このパターンは、もう完全に春のものだ。暖かい日の後、雨が降って、そんでもってびゅーびゅーの風が吹き荒れる。

東へ向かう東名は追い風。風の日も悪いことばかりじゃないね。塵や雲を吹き飛ばして、日本一の富士の山を見せてくれた。

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沼津で下りて、国道1号線を箱根峠へ登る、いつものコース。今日はずーっと富士山が見えて、大大ご機嫌!

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とにかく風がすごくてカメラも構えていられない。富士山頂の雪煙がすごい。

途中、冷川の茶屋でとろろ飯と蕎麦をいただいた。ここは古い家屋をそのままお店として使っている。窓はサッシでなく昔の木枠の窓なので、風でガタガタと騒がしく、スキマ風もヒューヒュー。子供の頃のウチや学校を思い出す。

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とろろめしそば定食。素朴でとてもウマイです。

伊東から国道135号線に出て、左手に伊豆大島を見ながらズンズン南下する。この一本道はいつもクルマが一杯。でも、景色が良いので不思議とストレスを感じない。小1時間ほどで河津に着いた。

観光客が河津の駅前辺りを中心にすごいことになっていた。

看板に従って進み、意外に桜並木に近い駐車場に入れられた。

おーーーーーーー!

もう満開じゃん!

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ホタテの串焼き、バリウマだったじょ!


暖冬と云うより・・・

2007年02月13日 | R1150RT (2001) あお号

さっきクロ号(R100RS)を引っ張り出して、ちょっと走ってきたけど、

あったかいねー!

なんだろねぇ、暖冬って云うよりも、もうすでに春が来た感じ。

ここんところ大嫌いな「風」がびゅーびゅーと吹く日が多いけど、あれだって春の到来を告げる風っぽい。

さっき、伊豆河津の桜情報を見てみたら、やっぱりもう5、6部咲きらしい。

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これは去年の写真。このときはもう葉桜になってた。

秋の最後に行くのも「伊豆」が多いけど、春もやっぱり「伊豆」が呼ぶねェ。

今週行っちゃうかなー。


小夜の中山に西行をたずねる

2007年02月10日 | R1150RT (2001) あお号

渋滞の掛川バイパスを「八坂IC」で下りて、がらんとした旧道を少し走って「日坂(にっさか)宿」への辻を折れた。

狭くて、曲がりくねり、おまけに上り下りもある旧街道をゆっくりと進んで、本陣跡の門前にあお号(R1150RT)を乗り入れて停めた。

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本陣は明治以降小学校となり、いまでは保育園の敷地になっている。遊具もきれいに整備されて、園庭にはサッカーボールも転がっているが園児の気配がない。集団風邪で休園なのだろうか?

日坂の宿は、早々に旧国道1号線が宿場を迂回して出来たことや、その後自動車専用のバイパスが整備されたことで、そのまま時代に取り残されたのではないだろうか、道のクネクネさ加減から見て、道筋が昔のままで江戸時代から大きな変化はない様子だ。

街道筋に面した家々には、古の「屋号」がそれぞれに懸けられ往時を偲ばせてくれる。雰囲気の良い宿場跡だが、さすがに平日の午前は人通りもなくひっそりとしていた。

旧国道へ戻り、さらに少し行くと「小夜の中山公園」という看板が出る。看板に従って右に折れ、バイパスの下をくぐると道は急にその勾配を強め、茶畑の中をずんずんと高度を上げて行った。

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遠くの山肌に「茶」の文字が。

すでに梅の花もほころび遠州に、早い春の到来を告げていた。ある程度上りきったところで、細い道にぶつかった。どうやらこれが旧東海道のようだ。一面の茶畑の中をさらに高度を上げて行く。一体どこまで登っていくのか。この辺りは「遠州の小箱根」と呼ばれていたらしく、名にし負う難所だ。

ややあって不意に勾配が緩くなり、峠に達した。「小夜の中山」とはこの難所の全体を指すのか、この峠自体を指すのか、わからないのだが、峠には久延寺(きゅうおんじ)と茶店があるだけでひっそりとしている。

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久延寺夜鳴き石伝説に出てくる「子育て飴」はこの「扇屋」という茶店でお土産として販売していることで有名だが、この茶店は漱石の「草枕」にも登場する。古くは江戸時代からここで商いしていたらしいが、この真冬の平日には店が閉まっていた。

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看板は裏表で漢字とひらがなで書き分けられている。漢字が読める側へ進むと江戸へ、ひらがなを見て進むと京へと、街道筋ではそう決められていたらしい。

茶店から街道を挟んで、反対側に「西行法師」の句碑がある。

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年たけてまた越ゆべしと思いきや

命なりけり 小夜の中山

西行法師がこの峠を越えた頃は、まだ東海道は整備されておらず、相当の難所であったと想像される。この歌を詠んだとき、実に69歳。奥州へ藤原秀衡を訪ねるための東下りで、「また越ゆ」とは人生2度目という意味だが、1度目は出家して間もない27歳のとき。僧侶として歌人として、その身とその思いを託す長い旅の途上だった。

それから40有余年。「命なるかな・・・」と西行法師の胸に迫り、口を突いたこの言葉はいったい何を指しているのか。

森本哲郎はこの「命」を「運命(さだめ)」ととって良いのではないかと書いていた。

実は今回この西行の「命なるかな・・・」の感慨に迫りたくてここへ来てみたのだ。

「小夜の中山」は時代に取り残されたまま、ただただひっそりと時間を浪費させているようにみえた。ボクは久延寺の山門からぼんやりと、見渡す限りの茶畑を眺め、西行の運命(さだめ)を思うばかりだった。

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この後富士に達した西行法師はそこでかの有名な「ゆくへもしらぬ・・・」の句を残している。

小夜の中山で吐露した「命なるかな」の感慨は、噴煙のように立ち昇る、儚くあてのない思いとなって浮世をさまよい続けることになるのだった。


外足荷重、プレイバック

2007年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム

オートバイの乗り方に関する本とか記事とか多いけど、オートバイの運転って、文字には出来ないもんだとつくづく思う。

自転車ならほとんどの人にわかってもらえると思うけど、自転車ってどうして転ばずに走ってられるのか、物理法則で、ではなく「やり方」として言葉で説明できます?

とにかくペダルを漕げ! 下でなく先を見ろ! 右に傾いたらハンドルを左に切れ!

みんなウソじゃないけど、自転車に乗れない人がこれを読んでどうなんでしょう。たぶん、「???」だらけ。

40代の人は覚えてるかな?むかし、「外足荷重」っていう言葉流行ったよね。でも、(カーブの方向の)外側の足に、「荷重」するって、いったいどうすることなのって思った人多いと思う。もちろんボクもそのひとり。

落語家さんの柳家小三治師匠、41歳のときに急にオートバイに取りつかれて、生来の凝り性だから一気にのめり込んだ。

オートバイは(クルマの)オマケ免許で、一度も乗ったことがないのに、今でいう「大型自動二輪免許」を持っていた。125ccを買いに行ったのに店員に勧められて250ccのヤマハの中古を買ってしまい、納車の日に上野の店から自宅の新宿まで5時間かかって辿り着く。

もう精も根も尽き果て、あきらめ、開き直り、まで行っちまったのが逆に良かったのか、翌日から家にも帰らず毎日夜通し、オートバイの練習に明け暮れる。

師匠のオートバイの師匠はもっぱら「本」。本屋で見つけるたびにその手の本を手に入れ夜毎まじめに取り組んだ。

そこで師匠は、やはり「言葉(論理)」と「感覚」の壁にぶつかった。

「右に回る時には、左のステップにしっかり乗って、後ろへ蹴るように踏む」

確かに間違いじゃあないかもしれない、文字にすればこういう書き方もアリかもしれない。でも、これを読んで練習するのはかなり難しい。

今は、お金さえ出せば、ライディングを教えてくれるところが結構ある。やはり、上手い人に見てもらうのが、間違いないし、上達も早いんじゃないかな。

でも、オートバイの運転って云うのは、誠に奥が深い。

頭でわかっているだけでは無理で、体が自然に出来るようにならないとダメだし、逆にいつもは自然に出来ることが、気持ちに邪魔されて出来なくなったりする。「ズルッ」ってふいにいくと、オートバイ鬱病にかかるよねェ。

無理矢理難しくするつもりも、「バイク道」みたいにするつもりもないけど、「上手く乗りたい」と思わせる何かがオートバイにはある。

でもね、何事も無く家に帰りつくことが、いちばん上手い乗り方。よく云われるけど、これはまちがいないと思うよ。


「迷う」は楽しい

2007年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム

暖冬、暖冬といっても、それなりにさぶい

オートバイで山へ入っていって日陰のコーナーにさしかかると、やはり緊張する。ボクの住んでいるこの三河地方なんてまだ暖かい部類に入ると思うけど、油断は出来ない。

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ひと山越えて、ちょっと南にいくと吉良、幡豆、碧南辺りに通じるんだけど、この西三河地方というのは比較的平坦で、風は強いが冬でも穏やかな気候の土地だ。

しばらく走らないうちにずいぶんいろんな道路が改良されて、走りやすく、またおもしろくもなっていたようだ。

地元ということもあって、特に地図も持たずぶらりと気の向くままに走るのだけど、これがボクの最近の新しい楽しになっている。

何十年も走ってきた地元だから、国道、県道と云わず農道や林道まで結構知っているつもりだけど、それに新しくできた道が絡んで、さすがにそれぞれの繋がりが怪しくなっている部分がたくさんある。

半ば知っているという過信がある分、どこへでもぐるぐるくねくねと入っていってしまって、あげく何度も同じ場所に出たりしてしまうのだけど、これがホントおもしろい。

ことに道に迷ったときが、すこぶる良い。

「さてと・・・、困ったぞ」と云いながら、テンデ困っていない。口元に笑みさえ浮かんでくる。

この細い道は昔の通りで、きっとあそこに繋がっているな、とか、えーっと、これはどこへ向かっているのかな?あーー、この喫茶店知ってる、昔からここにあるよ、てな具合だ。

知らない土地で道に迷うと、不安や焦りでイライラする事があるけど、「迷う」っていうのは、本来ワクワクするもんだったんだねぇ。