ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

杉は枯れ枝をボトリと落として紅葉狩りの行く手をさえぎる

2024年11月30日 | SR400 RH16J(2019)シータ


もうすっかり恒例となったラリージャパンの嵐が吹き荒れた後

三河の山は、それはもうまっしぐらに冬へと向かうのだ

山陰の落ち葉はいつまでも乾かずに路面に張り付きその厚みを増し

風が出れば植え放題のスギから枯れ枝がボトリボトリと落ちてくる

植林の山中は鬱蒼と真っ暗で

一日中陽のささない林の中の空気は日に日に凍えていくのだ



秋の深まりがじりじりとして

なかなか出掛けていくタイミングを取れずにいたら

もう11月も末だ

先日まで、今年の秋は来ないのか、なんてほざいてた口が

いやーもう冬だね、なんて抜かすくらい

秋が急激に深まった

だからいま思えば11月の上旬に飛騨に走りに行ったのは正解だった

件の六厩でも走りに出かけた次の日から最低気温が0℃前後まで下がっていたので

もう入れなくなっていたのかもしれない

ちなみに六厩の昨日(11/24)の最低気温は―5.0℃

10時を過ぎてもまだ3.0℃には届いていなかった

もう今年は山へ踏み込むのは終わりだね



あまり天気ばかり気にかける訳にもいかないので

風が強い日だったけどオートバイを走らせた

風のせいか雲ひとつなく真っ青な空が広がる

今日は国道257と151に挟まれた山の中を走りに行く

北限は何となく国道418辺りと決めて

まずは新城から寒狭川(豊川の通称)をたどって田口まで踏み込んだ

田口の周囲はいま設楽ダムの工事で「ひっちゃかめっちゃか」だ

特に北側はダムに水没するので道路の付け替え工事が急ピッチで進む

国道、県道の付け替えは現在6割ほどの進捗で

11/23にはいよいよ本体着工されるようだ

完成予定は当初の計画より8年遅れて2034年

もうボクは生きていられるかどうかわからない

余談だけど歳を取るとこの完成計画とか達成計画とか

流石に若いころとは違う思いを抱くようになる

リニアの完成なんてもう年寄りにはあってないようなものだ

2034年

今からちょうど10年後だ

満水の設楽ダムを付け替えられた国道をオートバイで走り眺められるだろうか



田口の中心部で国道473号へ入りすぐに分岐する県道へ進む

県道427号線 坂宇場津具設楽線 

一本東側の県道10号設楽根羽線があるので「わざわざ」でなければ用もなく走らない道

いやいや途中で分岐して振草へ行くんですよ

なんてのもそもそも国道473を使うだろう

それくらい余所者には縁のないルートだ

それをあえて今日は行く

取り付きからすでに怪しい

幅員は1車線、離合はおよそ困難

すぐに家並みは途絶え、スギの林に突入する

スギは皆20メートルくらいはありそうで林は鬱蒼として中は真っ暗だ

おまけに少しでも風に吹かれるとスギが枯れた枝をボトボトと落とす

誰かかたずけてよ、とほざきながら進む、濡れてないだけマシ



特に面白いこともなく長江の集落にでる

ここにあった長江城という砦はなんと鎌倉時代に設けられたそうだ

そもそもこの辺りには秋葉詣に行き来する街道があった

いまでこそこんな陸の孤島だが昔からこの辺りには人の気配があったのだ

遠州へ行った時にも書いたけど

この三河、遠州というところは西の徳川、織田、東の今川、そして北の武田と

なかなかに物騒な地域だったのだ

砦も多く、人の行き来は盛んだった

山村と云っても沢沿いに集落が伸びる場所は多いが

奥三河は沢沿いだけでなく、深い山中にも多くの集落がある

ここ長江も戸数こそ少ないがそんな山の集落

南の斜面には立派な棚田がある



この辺りの棚田は、よくある斜面に石を積んだような簡素なものでなく

城壁と云っては云い過ぎだがしっかりとした石組みがされていて

遠目に見ると城郭の様にさえ見える

けれど今では人の気配はなく、サルの集団が集落を闊歩していた(大丈夫か)



長江から先へ進み、程なく唐突に分岐が現れる

まっすぐ行けば根羽を経由して遠州街道へ至る

ボクはさっき云ったとおり振草渓谷へ行くためここを分岐した

こちらは番号が変わって県道431号線 八橋中設楽線

同じようにスギが鬱蒼と茂り、路面には枯れ枝が散乱する

おまけに工事に向かう荒っぽい運転の輩の通勤ラッシュにあってややあぶない

ずいぶん冷え込むようになったとはいえこの辺りまで来てもまだ紅葉はおそい

山の中の集落を繋ぐいわばこの生活道路

くねくねくねくねとちっとも進まなくて振草で国道に合流するのに小1時間もかかった

もちろん楽しかったのは云うまでもないがね



紅葉狩りのクルマで国道はのろのろ

太和金トンネルの先を折れて豊根の中心部へ向かう

ダムのお金で潤う豊根村は役場がおしゃれでキレイ

屋根付きの広場(ゲートボール場かな)もある、屋根付きだよ

役場を横目に見て、その手前を県道74号線へ折れ、信州新野へ向かう

県道74号線は豊根村役場(というか大入川)を挟んで南北に走っているが

この北側部分は狭溢部分もあるけど整備が進んでいて比較的走りやすい道路だ

山村の小さな集落をいくつも繋いでいるのは一緒だが

こちらは開けた場所が多くて明るく空も近い

以前ここを走ったのはいつだったか忘れるくらい前だけど

その時とあまり変わっていないように感じた

高度がどんどん上がるのでそれにつれて紅葉が進んでいく

風がさらに強くなってきて枯れ葉が激しく散っていた





新野峠の先で国道に合流して道の駅へ下って行く

ちょっと前まではここは狭いクネクネ国道だったんだよ

いまでは真っすぐの下り坂

道の駅でシッコしてすぐ発車

売木峠を越えて平谷へ向かう

トンネル一発で越える峠は本当につまらないよね

むかーしむかしはね、売木峠なんてめんどくさい峠だったんだよ

でも本来、峠とは苦労して越えるもんだ

トンネルが出来ると旧道になった峠越えのルートはすぐに荒れてしまう

土砂が崩れたり路盤が落ちたりすればそのまま廃道の可能性もある

でもね、道路だからね

アトラクションじゃなくてインフラだ

安全と効率



でもこのルート、秋は格別かもしれない

初めてこの季節に走ったけどとてもきれいだった

交通量はそこそこあるけどほとんどの区間で

センターラインは破線なので追い越しが可能だ





国道で根羽まで下りて県道10号線へ向かう(まだまだ行くよ!)

ここまでほとんど走りづめで3時間くらい

そろそろおなかが空いたけど

良さそうな青空食堂が見つからない

津具の道の駅辺りに小さな園地があったのでそこで休むことにした



川べりで紅葉もきれいないい場所だけどやっぱり風が強い

河原のススキたちが風に吹かれて激しくうねり

まるで前衛的なコンテポラリーダンスを見せられているようだった

天候に左右されるのはアウトドアの醍醐味

なんだけどね

風でごみが飛ぶのよ

立つたびに椅子はひっくり返るし

湯を沸かすにも時間がかかって燃料はムダにかかるし…

え?

はい、楽しいですよ



今年の秋はあまり遠乗りできなかったけど

奥三河の山の中はこうして県道を繋いで走るだけでも十分楽しませてくれる

地元だから贔屓目も入るのだろうけど

特に目立つものがないから余計に美しく素朴に染みてくるみたいだ

あんまり背伸びして遠く異郷のことばかり気にしてないで

もっと自分の周囲に目を向けてみよう

サクラもモミジも君のすぐそばにあって美しく

そんな四季の移ろいを慈しむことこそが人生の楽しみなのだ

名所旧跡を一巡りしたら地図(ナビ)を捨て

ぎゅっと自分の掌に握りしめているはずの、

そーっと自分の胸の内に秘められているはずの、

そんな自分だけの美しさを探す旅へ出かけようよ



いつまでも暑いね、なんて云ってると秋に思い知らされる、もうけっこう寒いのさ

2024年10月27日 | SR400 RH16J(2019)シータ


日本の高速道路網は1966年に総延長7600kmと計画してはじまり

1987年の第4次全国総合開発計画において

高規格道路を含め全国に14000kmにまで拡張した

計画では21世紀初頭(2010~2015年)に完成予定であったが

実際それから10年経った現在なお70%程の進捗率にとどまる

それでも実際に地方部や山間部に走りに行くと

つまらないトンネルと高架橋ばかりの果てしない直線路に出くわし

道路インフラとオートバイ趣味は相反するものだと落胆することが増えている

けれどもちろん道路は国家の基盤だ

災害大国の日本において安全で確実な交通の確保は

最優先の課題と云える

川の流れに沿って崖を切り開いてできた旧来の幹線国道は

大雨の度に土砂が流れ路盤を流失させるし

金網で覆われた高い崖の下の道路を息を止めて走りすぎるなんて経験は

先進国のあるべき姿でないことは理解できる

理解できるが「つまらない」のは趣味の問題だ

羽生弓弦がどんなにアスリートとして優れていると認めてはいても

あんな色白の狐目がカッコいいとは思えないのはボクの趣味の問題でしかない

これと同じだ(同じか?)



なかなか来ない秋にしびれを切らしているうちに

10月も半ばを過ぎてしまった

この秋一番の冷え込みの朝

天気予報のおねーさんたちは「寒暖差に気を付けてね」と優しく教えてくれる

しかも今日行こうとしているのは標高2000mに迫る高原なのだ

サブくて死んでしまうよりは暑くて汗かいてる方がマシなので(脱げばいいし)

ユニクロの暖パンを穿いて薄いフリースを中に着た

アウターは化繊のスイングトップで防風を期待

それと念とためウルトラライトダウンのベストをカバンに仕舞った

まさかな、とほくそ笑んでいたのになんとこれが大正解

このベストがなかったら佐久間に行き付く前に帰ってきていたかもしれない

それくらいサブかったね

風も少し強くてそれが余計にサブさを増していたのかな

とにかく走り出した瞬間に

「え、暖パン正解じゃん」と感じた

岡崎東ICから高速に乗った時にはもう全身が凍えていた

けれどアホだからもう少し日が昇れば

ほら、おねーさんたちが気を付けろと云うほどの寒暖差なんでしょ?

暖かくなってくるに違いないと歯を喰いしばった(なぜ?)

結局、そのあと三遠南信道へ入って鳳来峡ICで降りたところで

すぐにダウンを着込んだ

ちぃーっとも暖かくなんてなっていかないのだよ



東栄町まで北上して継ぎ接ぎ高速にまたのって佐久間へ到達(無料区間)

高速がツマラナイだとか味気ないだとか云いながらも

目的地が決まっている時はちょっと高速で「ワープ」したくなる

以前ならここ佐久間に来るには2時間半くらいかかったもんだが

自宅周辺が通勤時間帯だったにもかかわらず1時間半でここまで来られた

この1時間の余裕が目的地でののんびりに回せる

まあ高速道路のメリットは確かにある

最初にも書いたけど

災害にも比較的強いので安全性は確かに高い

つまり復旧や修復にかかる費用や

通行止めの不利益を考慮すれば高速道路の延伸は正統性のある事業なのだ



久しぶりに国道152号線へ出た

まだまだ細く曲がりくねった個所が多く残る

むかしはあんな国道が普通でその上観光バスも大型トラックも当たり前に走っていた

クルマで信州へ向かうためには離合が困難な山間路を延々と行く

試練とも呼べる行程が待ち受けていたのだ

それでもその頃のクルマも小さかったこともあるが

みな遠出するようなドライバーは運転が上手かった

狭路の走り方はみなが共有し案外円滑だったのだ

今みたいに広い山道しか走ったことがなく

クルマも安全性最優先で巨大なものばかりになってしまうと

1.5車線路でさえ離合に手間取る運転者ばかりだ

安全第一と云えば聞こえはいいが

要は不慣れで自信がないだけ

スムーズさも交通には必要な要素だ

対向車が来るたびにブレーキをかけ止まったりしていてはちっとも進んでいかない

なのにブラインドカーブでも逆にスピードを落とさず

簡単にセンターラインを割ってしまうなんてちぐはぐな運転もよく見かける

上手な運転とはスムーズで安全なこと

道路を整備することは良い事なのに

それによって何も考えずに峠を越えてばかりいるうちに

ドライバーの質が低下していくのは止むを得ない事か

山道くらい狭くて曲がりくねってても良いのかもしれない

山の人たちはそもそも運転が上手だし

災害などの安全さえ確保できれば、という事かな



知ってます?

水窪の街には公衆トイレがある

多分ずいぶん前からある

もう1本西側を走る国道151号線にも数か所あるけど

下道でこれがあるのは本当に助かるね

もうここまで来るとコンビニもないし道の駅も少ない

用を足して真っ青な空の下さらに先へ進む



水窪の街を出ると

青崩峠まで細く狭い谷筋を進む

この先の峠を貫くトンネルに目途がついた今、急ピッチで接続道路の工事が進んでいた

残念ながら兵越林道までのこの長閑さはもうすぐ失われてしまうのだろう

「捨てられたルート」として有名な「草木トンネル」の手前

左へ逸れた道路の先に「青崩トンネル」が口を開けていた

先日貫通が報じられていたので供用が開始されるのは時間の問題だろう

草木トンネル開通から30年

出来た当初は125cc以下はそこを走れず兵越林道まで水窪ダムを経由していたな

ボクも歳を取ったもんだ

トンネルを抜けるといよいよ道も細くなり峠へ向けて勾配も強まる

以前に比べて路面の状況が良いように感じたが気のせいか

ここは事実上大型車が入れないので道路を覆う木々が低く立ち込め

独特の雰囲気がある

シカも多いしカモシカにも会う

峠へ近づいて霧(雲の中に入ったようだ)

空気も一層ひんやりとしてきた



お約束の兵越峠で写真を一枚

このあと遠山へ降りるまで霧の中だった



遠山からは三遠南信道が既存ルートの改良で計画されているため

ものすごい山奥にもかかわらず信じられないような道路が続く

もちろん以前は災害による通行止めも多く

まったくあてに出来なかったような状況なので

この改良はうれしいが、実際ちょっとやりすぎにも見える

おかげでペースが上がってしまって景色に目がいかない

ここまで来るともうすでにすれ違うクルマの数もまばら

この先の蛇洞林道が長期通行止めで地蔵峠を越えられないのだ

矢筈トンネルをくぐって飯田に迂回するしかない状況

けれどしらびそ高原までは行けるらしいので

国道の下をくぐって林道へ入り

クネクネと上り詰めていく



ここまで来てもまだ紅葉はあまり進んでいない

カラマツもまだ黄緑色だし

広葉樹の雑木も少しずつ色づきを始めたばかりだ

何度かくるりと進行方向を変えて

谷筋を右から左、左から右と変えながらグイグイ上る

SRの軽い車体をひらひらと寝かし

大きくスロットルを開けて山々にダッダッダッと鼓動を響かせる



しらびそ峠

快晴の空の下、南アルプスの峰々が左右にずらりと整列して見せる

ここのスペースってなんでいつまでも砂利なんでしょうか

あ、どうでもいい?

その先のしらびそ高原で昼にする

シカのフンだらけの広場の端にシートを広げて靴を脱ぐ



小さな雲のかたまりが視界の下を流れていく

そんな南アルプスの山並みを眺めながらおにぎりを食べた

コーヒーを淹れ

ネットで大谷君の試合を見ながら寝転がる



真っ青な空を行き過ぎるジェット

うつらうつらしていると

ふいにディーゼルのうなりとガタンガタンと響くジョイント音

酒井製作所(SKW)のDLが大きな材木をボギー台車で引く

そんな楽しい夢を見たよ



クラッチレバーの角度を調整したことないヤツなんて信用できねェ

2024年09月29日 | SR400 RH16J(2019)シータ


「暑さ寒さも彼岸まで」

むかしから言い慣わされたたくさんの言葉の中でも

群を抜く納得感がある

彼岸花の開花の正確さ精密さも手伝って

彼岸に暑さがスーッと引くと

毎年のことながら変に感動してしまうほど腑に落ちてくる

現にこれを書いている彼岸明けの今日は

日差しこそ少し強いが

湿度が低く丁度良い気温の過ごしやすさだし

夜になれば寝室の空気もひんやりとして

布団をしっかりとかぶって寝られる幸せな日々が戻った



夏の終わりに

富山県の有峰湖へ行ってみようと考えていたが

行き場を失って西日本を彷徨う「来る来る詐欺」台風にタイミングを失くし

まあ、まだまだ暑さも真夏並みの日々が続いていたので

もう少し涼しくなったら行えばいいだけのことかと

何となくこの彼岸すぎくらいかな、と感じていた

けれどその後の秋雨前線の南下と崩れた台風の残骸が重なり

信じがたい災害が能登の震災被災地を中心に発生した

ニュースを見るのも苦しいような現場の様子に

とても呑気に有峰湖に出掛けていく気にもならないのが今の気持ちだ



そうしたところへ追い打ちをかけるように

自分の身体にも異常が生じた

ここ数年なかなか治らない中耳炎

先週風呂で耳の裏側を指先で洗っている時左耳に激痛が走った

思わず声が出てそのあと悶絶するほどの痛みで

同時に耳の中で泡が弾けるときのような音が続いた

しばらくして痛みは少し落ち着いたけど

なんだか耳の中の炎症がまた出たのかなと少し不安を感じた

そうしたらこの週末の夜からひどい耳垂れがあって

耳が詰まったような閉塞感とすごい音量の耳鳴りが始まった

「また再発したなー」

週末で医者は休診だったので都合様子を見ることにしたが

耳垂れはひどくなる一方だし

夜になると(アホだからこんな状態でも晩酌するせいだと思うが)熱が出て

顔の左側全体がぼんやりとしていた

今回はまだあまりひどくないのだろうけど

完治するまでに早くても2週間はかかるだろう

ということで「有峰湖」行はまた来年ということになりそうだ

来年生きている保証もない年齢なのにね



丁度いいので夏の間に疎かになっていた

オートバイたちのメンテナンスに精を出すことにした

クロ介のオイルとフィルターを交換してやり

洗剤を使って下回りを丁寧に洗ってやった

レバーやペダルに注油してやったり

スロットルの作動部のグリスを塗り替えてやったり

エアクリーナーのフィルターを交換したり

まあクロ介はそんなところだ

おかめ(エンジンフロントカバー)の下側のオイル漏れは相変わらず

まだしばらく問題なさそうだ

(オイル漏れてるのに問題なくはないのだけれどね)



SR400のほうはメッキが多くてすべてが剥き出しなので

濡れた路面を走るととても汚くなったように感じるが

メッキも塗装もしっかりとしていて

案外サビには強いなと感じている

とはいえ泥まみれの埃だらけはこの娘には似合わない

出来るだけいつもきれいな姿にしておいてやりたいと

自然にそう思わせるオートバイで

いつも掃除に力が入るおっさんなのだ

それと丁寧に各部を掃除すると

何となくおかしな箇所や怪しい箇所が見つかる

特に中古車はオリジナルの姿を知らないから

何が正しいのかが正直わからなかったりする

そんな中古車のSR

右のコーナリング中にどこかを接地させてしまうことが多々あって

ステップのセンサーよりも先に

車体が起き上がるくらいガツッどこかが当たっている

そうしたら今回の掃除中にマフラーのジョイントの取り付け金具に違和感を感じた

 

締めこみ部が外に向いているのだ

よく見ると角が削られている

「な訳ねーじゃん」ということで

クルッと内側へ回しておいた

多分正解、デフォルト状態

だから入念な掃除はメンテナンスの基本と云われるのだ

 

SRは古い設計のオートバイなので

レバーの接合部にはしっかりとゴムのカバーが付いていて

こいつのおかげでワイヤーの痛みがかなり抑えられている

スーパーカブのチェーンカバーもカッコ悪くて外したりしちゃうけど

あれを付けておくと本当にチェーンがいつまでもキレイなままだ

雨を走ってもオイルが切れることもなく

砂や泥もつかなくて摩耗もしにくい

いい材料の質のいい部品が使われ

車体のメッキや塗装もしっかりしていて

さらにこういった機能パーツが備わっているのは以前では普通のことだった気がする

クロ介の塗装もしっかりしていて

古いBMWって本当に錆びない

タンクやボディ外装の塗装もレベルが違うと感じる

同じ時代のプラ外装を持つ国産車はどれも色褪せや塗装剥がれが当たり前だが

クロ介は雨が降ると(湿度が上がると)表面のクリア塗装が曇る程度で

乾けばそれもキレイに戻ってしまう

製造者も自分たちのプロダクトが

何十年も長く使われていくことを願ってはいるのだろうが

実際自分が作ったオートバイが50年後に走っているとは

あまり想像してはいないんじゃあないだろうか

けれどコストをかけてもしっかりとした材料を使い

確かな信念に基づいてモノづくりをすれば

おのずと出来上がった製品には魂が宿るのだ

洗車の時ウエスでタンクのラインをなぞったり

エンジンフィンのひとつひとつを磨いたりしていると

なぜだかうっとりとしてしまうような幸福感に包まれる

良いモノとはそういうモノなんだろう



前回の記事で

次世代にオートバイが正しく伝わっていない等々書いてみたが

変速操作の仕方すらわかっていない(伝えられていない)ように改めて感じた

「インプレッションを」とか云いながらシフトアップもきちんとできないモトブロガー

大袈裟に云うと

「バーーーーッ、ガッ、クーーーーーーン」

クラッチを切っちゃってることと

変速タイミングがデタラメ

タイミングがデタラメだからギクシャクするのを誤魔化しているのか

いやクラッチを切ってタイミング合わせようとしているのか

クランクが回って、それが加速して行く時

トランスミッションがどんな力を受けているか感じていれば

シフトアップするタイミングは自ずと決まってくる

クランクが回転を上げていく勢いを少し抜くだけ

(スロットルをわずかに戻す、本当に僅かでいい)でギアは容易に動く

クラッチはそれを少し補助するだけで足りるので

指の第1関節がクイッと瞬間的に動くだけ

動くというか、「ピクッ」みたいな一瞬の腱の収縮

ライテク記事では常に語られることなのにこれが伝わっていない

それはエンジンを感じていないからなのか

エンジンの回転をコントロールする意識に欠けているのか

いずれにしろゲームのコントローラーでスイッチを押すような感覚にみえる

クイックシフターもいいだろう

ホンダのE-CLUTCH、ヤマハのY-AMTもどうぞどうぞ

でも人間にもできるよ、シフト操作くらい

仕組みを理解してオートバイから伝わる挙動を感覚で受け止め

指と爪先を精密に動かすのだ

オートバイとはそういう乗り物なのだ

何度も云うけど便利なモビリティなんかじゃない

乗ることを操縦することを楽しみ味わう趣味の対象だ



ちなみにこのクラッチ操作シフト操作を身に付けるには

クラッチレバーの角度とあそび、そしてシフトペダルの高さを

自分の身体と操作方法にマッチングさせる必要がある

特にレバーの角度は重要で乗りながら少しずつ微調整する必要がある



レバーの調整、してますか?

してない?

そいつぁ信用できねぇな―


あんまり走らないと無駄にいろいろなモノを買いがち、ETCキャンペーンに乗っかる

2024年08月28日 | SR400 RH16J(2019)シータ


田んぼではすでに稲穂が重たく垂れさがり

セミたちの声もすこし大人しくなったかな

いつもならアブラゼミからツクツクボウシにスイッチしている頃だが

なんだかツクツクボウシの忙しない声が今年はまだ聞こえない

台風が接近してきている

夕べは床に就く頃土砂降りの雨になって

激しい雷鳴にハッと目覚めてしまうほどだった



クロ介のオカメ(エンジンフロントカバー)の下からオイルが滲んでいた

おそらくジェネレーターのシャフトのシールが劣化したのだろうが

先日、ジェネレーターの修理の時に一緒にやってもらおうか否か迷っていたのだ

テックMCへ寄って見てもらったら

予想どおり経過観察にしましょうという事だった

確かにまだオイルが滴り落ちるようなレベルではない

オカメから漏れたオイルがじんわりと広がってオイルパンまで汚し

そのオイル染みに砂ぼこりが付いてとても汚くなるってだけだ

家に戻ってとりあえずフクピカで拭き拭きしておいた

それにしても今年の夏はさすがに暑かったようで

テックの大将もみんな乗ってないと云っていた

店の前が国道1号線なのだけど休みでもオートバイが少なかったようだ

最近では会うひと会うひと皆「暑すぎて乗れない」があいさつ代わりだ

夏はオフシーズン

熱帯の日本の常識となりつつある





先日北海道を走った時

十数年前に走った時と比べて明らかに平均スピードが上がっていると感じた

ボクの平均スピードではなく北海道の人たちのスピードだ

とてつもなく速い

80km/hを中心として70~90km/hくらいだった

その横スレスレを120km/hで追い越していくキチガイもいる

北海道の道路はほとんどの場所が制限速度の設定がないので

法定速度の60km/hが決まりだが

老若男女関わらず軽自動車でもワンボックスでもとてつもなく速い

トラックやダンプも結構速くて

信号待ちで道路幅の広さよろしく「ちょっと失礼」とスルスルと前へ出ようものなら

そのあと高確率で3桁(スピード)で煽られる羽目に陥る

いい悪いでなくあの広さならまあそうなんだろうと納得はできる

因みに北海道民の運転は事故の多さから受ける印象よりはマナーがいい

流れの速さをみんながわかっているので

とにかく無理に横から出てくる輩とか横切ろうとするじいちゃんはいない

100mくらい手前でも決して入ってはこない

逆に、信号が変わって動き出す時の加速がとても遅い

そのあとの怒涛の巡行とは対照的だが

多分、冬の凍結や積雪に合わせたアクセルの踏み方が身に染みているのだろう

出足が遅いからといって追い越すと絶対に後で3桁で煽られる

まあとにかく巡行スピードが速い

今回SR400で北海道に行ったわけだが

もちろん非力とはいえSR400でも流れには十分乗れる

けれど正直スロットル開度が大きくてそれを維持するのが結構苦痛だったり

その苦痛から逃れるために握り直す面倒臭さがある

SRって本当は3000rpmくらいで流すのがいちばん気持ちがいい

でも3000rpmでは5速でも70km/hしか出てない

あと上りのワインディングなんかでは意識していないとどんどん車速が落ちる

積極的にガソリンを送り込んでいないとマッタリしたがるのんびり屋さんなのだ

もちろん意識的にスロットルを捻っていれば良いだけなんだけど

そこでみんなが良く取り付けているハイスロプーリーを付けてみることにした



アントライオンのフルパワープーリー

この5型のSRは規制クリアのためにスロットルが全開にならない仕様だけど

これを付けると全開になるらしい(それはどうでもいいけど)

だからプーリーが少し小振りで結果ハイスロになっているようだ

取り付けには何のひねりもなくて

取って付け替えるだけだ

10分くらいでワイヤーの遊び調整までできた

径が小さくなっているので

リターンスプリングが重く感じるらしいが(弱スプリングセットもある)

ボクは全然平気で云われなかったら感じなかったと思う

付けてからもう300kmくらい走らせている

正直ものすごく改善した感はないけど

実際スナッチ(握り)を変えなくても高速で巡行は可能になっている

高速道路やそれこそ北海道のツーリングにはあっても良いかもの部品だった



「あんまり走らないと無駄にいろいろなモノを買いがち」という

オフシーズンあるあるをもうひとつ

「etc」といえば以前は「エトセトラ」と読んで

「その他いろいろ、様々」という意味の言葉だった

ラテン語だったと思うが明治以降こういった言い回しが知的でモダンだったのだろう

けれど21世紀の日本では「etc」とは大文字の「ETC」のことで

高速道路の料金自動徴収システムをあらわす

NEXCOはいろんな理由をつけてこのETCを普及させてきたようにみえるが

もちろんユーザー側の利便性も高いので今では9割以上のクルマが

ETCレーンを利用しているようだ

けれどクルマ全体で見ると装着率は5割以下

オートバイを複数所有するボクたちのような人は

なかなか全部にETCを付けるのはコスト負担が大きい

だからSR400にはまだ車載器を取り付けていなくて

そんなに高速を利用することもないので積極的には考えていなかった

それに北海道へ行ったとき久しぶりに一般レーンを使ったけど

それほどメンドクサク感じなかったね

以前はそれが当たり前だったし料金所の係の人としゃべるのも好きだ

けれど最近増えてきたスマートICみたいに

2025年には全国のインターチェンジの8割ほどがETC専用になるようなのだ

そして2030年にはそれがほぼ100パーセントに達し

事実上ETCの付いていない車は高速道路を利用できなくなるという

つまり高速道路を使いたいならETCがマスト!

それでも利用頻度と車載器の購入費用を天秤にかけると

複数台所有するユーザーには負担が大きいのは事実だ

それでNEXCOが一方的なETC専用化の批判をそらすためか

毎年のようにETC車載器購入助成金キャンペーンを打ち出してくれている

ボクの地域では8月9日から今年のキャンペーンが始まった

「ETC車載器購入助成キャンペーン2024 東海エリア」



少し条件はあるけど基本1万円が出る

このETC

実はセキュリティ規格の変更が予定されていて

おおよそ2030年には規格変更が実施される

しかも予期せぬセキュリティの脅威が生じればその時期が前倒しされる可能性もあるので

余裕があるうちに新セキュリティ規格対応の車載器に換えておいた方がいい

車載器管理番号の頭が「0」から始まるものは新規格に対応していない

おそらく2輪車用の車載器は現行機種でなければ駄目だと思う

2輪車用の車載器は種類も少なく価格も高いので

キャンペーンは有効に利用したほうがいいね

SR400は40年以上の使い回しなので

様々な追加装置で見えないところはギチギチに詰まっている

ETCなんて収まる訳ないんだけど

シート裏のプラスチックの突起(多分書類入れを留める)を切り落とせば

フェンダーの後ろの方にピッタリ入る



メーカーは左ステップにステーをかませて取り付けるよう推奨している風だが

ここでも問題ないだろう

フェンダーの振動が思いほか大きいことと

ETCカードの出し入れのたびにシートの取り外しの手間がかかることは

自己責任の上折り込み済みだ

それにしてもETCの取り付けって

自分ではやらせてくれないよね

付けてもらって後から手直ししなかったことないんだけどね

ケーブルの取り回しとかステーの位置とか瞬時には決められないでしょ

だから今回もケーブル固定せずに剥き出しで返してもらったよ

どうせ後からやり直すならその方が楽だからね



ハンドルのところに丸見えなのがちょっと気になるけど

スッキリ収まってはいる

新東名でテストしてきたら大丈夫だったよ



激しい雷雨の一夜が明けて

それでもなんとか日中は天候が回復した

台風が南の海上をウロウロしているから

いつ雨が降るか予想がしづらい

今朝の上空はすっきりと青空が広がっていてまだまだ真夏ような暑さ

バックにカッパを放り込んで走り出した

やはり空気はもう真夏のそれとは違っていて

日陰に入れば秋を感じる程だった

いつもの川沿いの木陰は少し寒いぐらいだ

気付けばツクツクボウシが盛んに鳴いていた

すっかり大きくなったツバメの子たちも旅立ちの準備に忙しくとびまわり

すっかり実った田んぼでは稲刈りが始まっている

秋がもうすぐそこまで来ているね



暗く湿ったフェリーの船倉で待つアイツを思うと少し気が晴れた 北海道のこと その4

2024年06月15日 | SR400 RH16J(2019)シータ


本州に住む者にとって

北海道とその他の地との決定的な違いはここだ

自宅の前の道路にオートバイを出して

いつもの路地を抜け、幹線の国道へ出る

そのまま野を越え山を越え

いつかの街を行き過ぎて

海を越える大きな橋を渡ったり

まだ見ぬ地につながる道路を走り抜け

そしてもうここより先に道はないと辿り着いた先に

ぽかりと浮かぶ海の向こうの大きな島



ツーリングをしていると

ずいぶん遠くまで来ちまった、と感慨に耽る時があるが

それは家の前からこんなところまで「道」はつながっているのだ

という事への感慨でもある

そして最果ての岬の先に浮かぶあの大地へは

その「道」はなんと繋がらないのだ

北海道とそれ以外の地の決定的な違い

それは「道が繋がっているのか、いないのか」だ





北海道が島ならば船に乗り込む必要がある

北海道を目指す長距離フェリーの航路にはいくつかあるが

愛知に住むボクには名古屋港から出る太平洋フェリーが馴染みだ

全長が200mもある巨大な船

4層の船倉の上に4つのデッキがある

家から名古屋港のフェリーターミナルまでは約50kmで1時間強

ごみごみした名古屋へのアプローチと工業地帯の通過で案外疲弊する

しかもフェリーへの積み込みの都合で出航時刻90分前の集合が課せられている

ここからすでに「待ち」の過剰債務だ

乗船手続きが午後5時前に終わるとすると

苫小牧港で下船するまであと42時間もある

今回は午後6時過ぎの乗船だったので

外界とシャットアウトされた「禁固41時間」の刑だ

なにを大袈裟な、と思うだろうが

翌朝、房総半島沖を航行するフェリーから太平洋を眺めてみればわかる

海以外のものは何も見えず、視界にはただ水平線だけが左右に広がる世界

この海の向こうは「アメリカ」なのだよ

身体の奥深くから湧き上がる正体不明の恐怖

「広場恐怖症」というこころの病があるそうだが

そうでなくても自分が置かれている状況の怖ろしさに不安になるだろう

左舷を見ればかろうじて陸地が見られる

けれど2kmはあるかな、あの岸まで

ボクには絶対泳ぎ切れない



かく云うもののこんな巨大フェリーの船長は実は相当信頼できる

海技士1級免許を持つ者しか船長にはなれない

パイロットもそうだけど、こんな危うい乗り物を

信頼に足る乗り物にしているのは彼らのおかげだ

だからもちろんフェリーは心配ではない

問題はあまりに暇すぎて心に変調をきたす程だという事

ボクは気にならないけどモバイルの電波もあまりつながらない

(携帯電話の頃よりはずいぶん改善されたけどね)

それにエンジンなのかスクリュ―なのか

ずーっと小刻みに縦揺れがある

それは乗り物だから当たり前なんだけど

電車やバスと違って2日間ブッとおしの振動

これ案外慣れない

あと、立つとよくわかるけどやっぱり長い周期の揺れが絶えず来る

印象では房総沖がいちばん揺れる

潮目の関係ではないかしら(知らんけど)

とにかく閉じ込められ逃げ場を失いながら

延々と縦揺れをかまされるとやっぱりメンタルの弱いボクは

得体のしれない強迫観念に襲われて

落ち着かなく不安定な感情に陥ってしまう

北海道への着岸が待ち遠しいというより

どうしてわざわざこんな目にあいながら北海道へ行くのか

もう自分でもわからなくなってしまうのだ



けれど気分転換に大浴場へ行ってみたら本当に気分がすっきりし

食堂でバイキングを楽しみながらビールを空けると元気になった

まー所詮その程度の落ち込みだ

そうして我慢に我慢を重ね

延々と時間を浪費すること41時間

薄暗い船倉のかなたにぽっかり開いたゲートから

本当に「空っぽ」な気持ちで北海道の大地へと

オートバイを走り出させる

「ただいま、待たせたな北海道、約束どおりまた来たぜ」とつぶやく

そして5分後には支笏湖へ続く樹海の中の真っすぐな道にいるのだ

芽吹いたばかりの新緑の木々

少し冷たく感じる空気と青い空

「ああ、やっぱり北海道は特別だな」と

その時唐突にそして改めて感じるのだ



答えになっていない?

そうだね、ぜんぜん意味が分からない

道が繋がっておらず

フェリーに40時間も揺られて廃人同然となって送り込まれる大きな島

でもこれ以外に北海道がその他の場所とは違う特別さは思いつかない

だって、これってやっぱり特別じゃない?

フェリーの中でぼんやり音楽を聴いたり本を読んだり

ご飯を食べ、酒を飲み、寝台でテレビを眺め

そんなさなか、ふと暗く湿った船倉で

同じように時を待つ相棒のこと(オートバイね)を考える

起きてるかな?それともずーっとウトウトしていやがるのかな?

大きな荷物を積んだまま置いてきたから身体が痺れたとか文句云うかな?

こんなオートバイとの濃密な時間は北海道ツーリングならではと思うけどな



もう北海道へ行くこともないだろうと走り始めたが

やはり機会があればもう1回は行きたい

まだ道南が走れていないのと能取岬へ行けなかった(コンディション最悪のため)ので

少し心残りがある

機会があれば、なんて云ってる年齢ではないか

うん、なんとかしてここ数年内には計画しよう

北海道は楽しかった



北海道と名付けられ150余年、けれどその遥か昔からそこに在ったと自然はボクに迫ってくる 北海道のこと その3

2024年06月10日 | SR400 RH16J(2019)シータ


羊蹄山(蝦夷富士)

元は後方羊蹄山と書いてシリベシヤマと呼ばれていた

あの美しい山容を眺めながら

「で?どこが羊の蹄?」

「前方の羊蹄山はどれ?」

とアタマを傾けたり写真をひっくり返したりして

心当たりを得ようとするが実際見当もつかないだろう

それは全くのお門違いだからだ

今とは正確な地域は異なっているのかもしれないが

元は日本書紀に記述のある「後方羊蹄」の地名に由来している

田畑の畔によく見るギシギシのむかしの云い方が「シ(之)」というそうだが

そのギシギシの漢名(漢方薬名)を「羊蹄」と表すことから

「後方=シリベ」「羊蹄=シ」と宛てた

シリベシの地にある山ということから

「後方羊蹄山」と書いて「シリベシヤマ」と読んだ

(因みに現在シリベシは「後志」と表記される)

その後昭和の中ごろに地元の人たちからの要望があって

すでに云い慣らされていた訓読みの羊蹄山(ようていざん)へとすっきり名前を変えた



手前に少し低いが同じく美しい山容の「尻別岳」がある

アイヌの人たちは尻別岳を雄岳、後方羊蹄山を雌岳と対にして信仰していた

雌岳の方が高くて立派だな、ということに違和感をもった人は

武家社会の慣習がしみついた人だ

元来自然信仰の日本では命を生み出す女性の方が遥かに畏敬される

日本の神様の最高峰は天照大神

女性の神様だ

アイヌの人たちも同じような思考の民族だったのだろう



美笛峠を下り国道276号線を喜茂別へ進むと

正面に不意に羊蹄山が現れてハッとする

そしてその視界の左に尻別岳

富士山に代表される美しい三角形の火山を以前はコニーデ型と云ったが

日本にはこの種の火山が多いことから同じコニーデ型の火山を

「〇〇富士」と呼んで地元に親しまれてきた

この羊蹄山も「蝦夷富士」と呼ばれている

北海道にはその他にも利尻富士がある



東北の岩木山(津軽富士)

関東の榛名山(榛名富士)

山陰の大山(伯耆富士)

四国の飯野山(讃岐富士)

そして九州の開聞岳(薩摩富士)

日本各地でどれもみな素晴らしい郷土富士を実際に見てきたけれど

羊蹄山の美しさは群を抜いている、とボクは感じる



ニセコへ向かいながらどんどん近づく羊蹄山にますます心が躍る

この日は山に一片の雲もかからず感謝したくなるようなコンディション

北海道初日だったけどもうこれが見られれば今回の北海道ツーリングは

大成功だったなと感じる程だった

言葉にするととても陳腐なんだけど

何度も羊蹄山に向かって

「あーりーがーとーうー!」

と叫んだのだよ

この天邪鬼のひねくれ者がね

自分でもびっくりするくらいね



まぁいいさ



雪が積もった美幌峠を寒さと恐怖の中恐る恐る越え

弟子屈の神ドラッグ「ツルハ」で「桐灰カイロ マグマ」を買った

(この時期北海道といえどもコンビニにはカイロはないらしい)

ツルハ「神」ドラッグストアさまには棚2枚にかろうじてカイロが残る

しかも桐灰のマグマ

店内ですぐに高温注意のマグマを7枚貼った



因みに屈斜路湖川湯のこの日の9時の気温は5.3℃

風は北北西から4.9m(湖畔は倍くらいだったけどね)

自販機にはすでにホットの設定が無いところが多く

持って行ったポットに熱いコーヒーを調達しながら走っていた

けれどさすがに「マグマ」

その後はポカポカとは云わないが寒さは感じることが無くなった



開陽台を出てすぐに一時的に雨に降られる

止む気配が無いのでカッパ装着

さすがにフリースインナーにマグマ7枚張り、ウルトラライトダウンベスト

ナイロンジャケットからのカッパ

これは暖かかった



野付半島の付け根から道道950号線へ入るころには

雨もすっかり上がって日も差していたが

風が強くまだ寒そうだったのでカッパのまま走った

野付半島は根室海峡から続く野付水道に頼りなく突き出した砂嘴で

厳密にいえば半島ではない

砂が堆積してできた洲が長く連なっている

ほぼ真っ平で砂嘴が狭い場所では視界の左右に海が見えるほど細い

この現実離れした景色こそここ野付半島の魅力だ

砂嘴の付け根から道道950号線が先端の野付灯台まで伸びる

その長さおよそ18km

右手の野付湾にはいくつも短い砂嘴が伸びて

時折大きなミズナラの林も見られる



しかしそのほとんどは海水によって浸食され立ち枯れ

荒涼とした風景を見せる

以前は枯れ朽ちたトドマツの根が水辺に散見されたようだが

道路から見る限りではそれらはもうほとんどが朽ち果て消えてしまっている




道は先端でどん詰まりなのでそのまま国道へ引き返す

根室水道の向こうには国後島の山並みがはっきり見える

その左手は知床半島

まだ雪をかぶる羅臼岳が良く見えた

オートバイを停めて草むらにカッパのまま座って眺めるが

ふと気づくと多くのシカがすぐそばで草を食んでいた

中に立派なツノを持つ雄もいる



シカの群れ、漁に使うカラフルな浮子、そして国後と知床

羊蹄山の景色に劣らぬ忘れられない情景だった



今回のツーリングを計画するとき

羊蹄山とニセコ連山を巡る道道66号線

そして巨大な砂嘴に伸びる道道950線がとにかく目的だった

この2箇所は西と東に直線距離で400km離れていて

いくら日程が5日あるとはいえかなり行程に制限が出てしまった

けれどどちらも天候には恵まれ(気温は内地で云えば冬並みだったが)

良いも悪いも成功も失敗もないのだろうが

満足度はかなり高いものとなった



そこでまた例の問いだが

だから北海道を走ることがボクにとって特別なのか

いや、やはりこれも違う気がする

羊蹄山もニセコも

野付半島も

特別ではない

実はこう書き進めるうちに自分の中で答えのようなモノが見えてきた

次回はその辺りについて書いてみたい



と云うことでもう少しお付き合いいただきます、北海道

わざわざ40時間もフェリーに揺られて着いた彼の地にボクは何を見たのだろうか 北海道のこと その2

2024年06月05日 | SR400 RH16J(2019)シータ


どんな走り方が好きなのか、と問われれば

ただただ黙々と距離を稼ぐような走り方だろうか

若いころから健診結果の数字が悪くて医者からあれはダメこれは控えて

と云われるうちにすっかり食べることに興味を失い

いまでは土地の名物もインスタの映え飯にもちっとも食指が動かない

美しい景色とかすごい景色とかの類いも

片っ端から名所を回るうちにすぐにトキメかなくなっていった



だからボクにとってツーリングは普段の散歩走りとあまり変わりがない

けれど散歩していてもとても楽しく満足できるので

本当は遠くまで行ったり泊りがけで走ったりしなくても

いいと云えばいい



なのに北海道を走ることは特別だと感じるのだ

それを説明しようと自分自身の頭の中を分析してみたけど

どうにも答えらしいものは見つからない

見つからないのに特別だという感覚は

いったい何に、はたまた何処に、起因しているのだろうか



ツーリングに出た時、必ず決めているのは

旨いものを喰う事でも道の駅に寄る事でもなく

または温泉につかったり城を巡ったりすることでもない

ただ1日1回はオートバイを降りてのんびりすることだ

単にそれだけ

場所は・・・どこでもいいだろう

時間もいつだっていい

ただ心に響いた時と場所で、ただただオートバイを停める

もちろん逆に名所だからとか観光スポットだからと云って

わざわざ避けたりすることもない

富士山の見られる海岸だって停めてぼんやりすることはある



この写真の場所は浦幌町の道道1038号線

後で地図で見たが「オタフンベ海岸」という浜らしい

オートバイを停めた場所の陸側には小高い丘があり

オタフンベチャシと呼ばれるアイヌの砦があったのだそうだ

鎌倉時代頃というから1000年位前だ

写真の背面側へ辿ると襟裳岬へつながる長い馬の背状の海岸線が遥か彼方へ伸びている

オタフンベとはアイヌの言葉で「砂ークジラ」の意

砂を集めて打ち上げられたクジラを模した故事による地名のようだ

敵を謀るために打ち上げられたクジラをまねて砂をかたどり、そこに兵を忍ばせた

食料不足の敵は打ち上げられたクジラと信じ武器も持たずに駆け付けたところを一網打尽にされた



見渡す限りの太平洋とそこから繰り返し止めどなく打ち寄せる波

浜には少し冷たい風

アイヌの男たちの壮絶な戦い

空はその日も青かったのかな、なんてふと考える



ここは国道273号線 糠平国道

糠平温泉の手前の旧国鉄士幌線音更第3橋梁跡の写真だ

鉄橋ではなく素材にコンクリートを用いたのは

砂利が現地調達できたことによる費用低減と

国立公園内の景観に調和するデザインをという意図がある

いちばん大きなアーチは32mもあり

全橋長は71mにも達する立派な橋だ

この橋梁の成功により日本各地でアーチ橋が作られるきっかけになったり

建設資料が詳細に残されていることなどから学術的な価値も非常に高いのだそうだ

竣工は1936年

この後行った「タウシュベツ川の橋梁跡」は1937年竣工

あちらは11連アーチの全長130メートルだ



それにしても近代国家の交通インフラに対する熱意は激アツだ

悲しいかな今ではクマとシカとキツネの住処に成り下がった

人の気配など微塵もない

ただ森を切り裂く国道を時折猛スピードでクルマが走り抜けるだけだ



この日は冷たい冷たい雨が降る最悪のコンディションだった

クマ出没注意の看板にビビりながらも

森と巨大なアーチ橋とシカの群れが不思議なコントラストだった

カッパを着こみヘルメットをかぶったまま

アーチ橋が見渡せる橋の上にしばらく佇んでいた

1987年に士幌線は全線が廃止

それからすでに37年がたつ

この先の幌加にも終点の十勝三股にもすでに町は無く

コンビニなど云うまでもないがあっても良さそうなガソリンスタンドもない

そしてクマやシカにまで普及すれば別だが

モバイルの電波もここにはない



ここは夕張

炭鉱の町だった

北九州と並んで日本の近代を支えた化石燃料「石炭」の産地

今ではもう国内の炭鉱は釧路に1か所だけだが

最盛期にはここだけで年間500万トンを採掘していた

その当時、夕張には16万人が暮らしていたのだ(現在の夕張市は8600人)

今は建物もほとんどなくなって

山の斜面や谷筋の平地がすべて草木に覆われてしまっているが

かつての賑わいがいかほどであったかは容易に想像が出来る

ここに健さんの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地が残っている

撮影当時からあった理容店が喫茶店になり管理棟として残る

相手をしてくれた施設の人が丁寧に当時の状況を教えてくれた

平らになっているところにはすべて住居があった

「みんな何処に行ってしまったんでしょうかね?」

とひとりごとのように呟いたボクのつまらない問いかけに

彼女は遠くを見たまま乾いた笑いを返してくれた



これがボクのツーリングのひとコマなのだ

けれどやはりここには

北海道が特別だと感じるモノの姿は見えない

いったい全体何なんだろうねェ・・・

ますますわからない



ツライ記憶の方が強く残るのはヒトのサガ、それともボクのサガ 北海道のこと その1

2024年05月30日 | SR400 RH16J(2019)シータ


人間の記憶とはおよそいい加減なものだけれど

「快」の記憶より「不快」の記憶の方を優先的に、しかもしっかりと

アタマの何処かに仕舞い込んでいくような傾向があるように感じる

しかもその「不快」の記憶は

それを体験している時の印象とはガラッと変わってしまっていて

辛く苦痛を伴っていたはずの記憶なのに

逆になぜだか愛おしい瞬間だったかのようによみがえるのだ



5月の20日から一週間

北海道を走ってきた

十数年ぶりの北海道はやはり素晴らしく感動的で

苫小牧でフェリーを下り

支笏湖へ向かう樹海の中の国道を走り始めた瞬間に

普段とは違う自分になったように感じる程の高揚感に包まれた

青空に叫び

森の木々に叫び

すれ違うライダーたちに手を振った

こんなの自分じゃないな、と笑ってしまう自分が愛おしいほどなのだ



けれど5日間 1700kmを走った結果

もっとも印象に残っているのは

季節外れの寒気に包まれ一日中雨に降られた3日目なのだ

今まで信頼していた防水ブーツには1時間で裏切られ

新調したレイングローブは2時間持たなかった

気温は一桁、6℃とか7℃

北海道で最も高い三国峠(1132m)は霧

留辺蘂へ峠を下って行く時

指先はパンパンに腫れ上がって痺れ

身体の震えを呼ばないように何度も止まってはオートバイを下り

駐車場を歩き回って体温を上げた



もう何度もツーリングに出ているが

その中でも5本の指に入る辛さだった

雨には慣れているが浸水した手と足の指先が

10℃以下の気温で凍るような経験は初めてだった

「辛いなー」と呟きながら

こころのどこかでそれを楽しんでいた

ロングツーリングの醍醐味は

陳腐な言い回しかもしれないけど

過酷な状況に身を置くことなのだ



何とか凌いでその日は美幌にて投宿

そして4日目の朝

美幌峠は積雪

峠の入口の掲示板に「美幌峠 凍結 夏タイヤ通行不可」と出ていた

気温は10℃くらいだったが風が強い日だったので

陽があたれば行けるんじゃないの、と根拠もなく考えながら

ずるずると峠に近づく

路肩のフキの葉が風でめくれて白く見えているのかと思ったら

その白いものは葉に積もった雪だった

思う間もなく周囲の森の木々は綿帽子をかぶり

路肩にもうっすらと雪が残る

現地でもニュースになるほど珍しい積雪だったようだ




結果的には何事もなく通過できたが

やっぱりこういう経験は強く心に残っていく

人間の本質はマゾなのか

いや

こんな目に二度と会いたくないからしっかりと記憶して

次に備えるようとする防衛本能みたいなもんだろうか

でもそれが楽しみでもあるとするなら

やはりマゾヒスティックなのか



昨日自宅に戻ったばかりなので

北海道については次の機会にもう少し書きたいと思う



泥の塊になったSR400

朝から爽やかに晴れ上がったので

まずは水洗いしてやった

そのあと外せる部品を外したりして

中の中まで入り込んだ泥を落とす

夕方までやってたけどまだ2,3日かかりそうだ

それにしてもこんなに晴れると

オートバイに乗りたいなー、と考えるボクは

バカなのでしょうか?


ACCOLADO(アコレード)をSRに履かせてみる

2024年04月28日 | SR400 RH16J(2019)シータ


一日の寒暖差が大きいのが厄介でもあるが

よく晴れた日の昼間はとても爽やかで

本当に気持ちが良い季節

落葉樹たちの芽吹きも盛んで

山は一気に生気を取り戻した



タイヤの状態が悪くて交換を迷っていたSR

やはり北海道へ行く前にタイヤ交換しておくことにした

いつものテックモーターサイクルへ相談に行くと

いろいろ提案されたが

結局ブリジストンのアコレードに決めた



ブリジストンのHPを見ると

クラシックなパターンもさることながら

グリップ性能にも特化させているようで

この手のタイヤに見られがちな

「ウェットグリップ性能を向上させ」という文言ではなく

ストレートに「高いグリップ性能」と謳っていて好感が持てる

フロントタイヤが純正指定と同じサイズの設定が無く

一回り小さい90/90-18サイズをチョイス

スペック表によれば

純正指定タイヤ ブリジストン バトラックス BT-45(90/100-18)と

このアコレード AC-01とでは

外径で-14mm、トレッド幅で-4mmの差がある

アコレードの方がほんのわずかに小さい

この差は数字だけ見ていると無視できそうだけど

実際のタイヤを見ると明らかに「ひと回り」は小さく感じる

フェンダーとの隙間が「スッカスカ」だと感じるレベル

正直あまりカッコよくはない

でもタイヤはやっぱり性能の方が大事

一皮むいた後、空気圧を指定値に合わせてワインディングへ繰り出す

もちろんそもそもがSRなので

真の意味(限界性能とか)でのタイや性能はあまり問題ではなく

いかにSRが持つ「気持ち良さ」をしっかりと支えてくれるか

この性能がいちばん大切で気になるところ

要するにSRを構成する「部品」であって欲しいのだ

指定空気圧に合わせたアコレードは

舵角の付き方がとてもナチュラルだ

それは「とても」一つではなく

「とても、とても、とても」くらいナチュラル

旋回初期に良く曲がる今時のオートバイを経験すると

倒し込んだだけ曲がらないと逆に違和感を感じるものらしい

だから「フォークオイルが」 とか

「フロントのバネが」 からの

「フォーク突き出し量が」 までいく

でも、そこを求めるならそもそも乗ってる車種を変えろ

と云いたい

最近はやりのモトブログ見てると(ステアリング越しの走行動画ね)

オートバイが傾いてから少しも旋回してないのをよく見る

気持ちはレーサーらしく

倒し込みは「クイック」が命らしい

後姿の映像なんかだと

クイックに倒し込んだ後上半身が付いていけずに反り返っているのさえ見かける

残念ながらリーンからのフロント追従は持って生まれた性格に等しいので

フォークを付きだしたくらいでは多分変わらないし

変わったとしてもバランスが崩れているだけでちっとも良くはないだろう

そもそもスポークホイールだよ

それにあのスイングアーム

どこに標準が合わせてあるか推して知るべし だよね

それでもそれを面白くさせてあるところがヤマハのすごいところ

そしてSRに惹かれるところだ

そんなSRに惹かれたはずなのに

ワインディングでクイックダンスしたいならお門違いだ

SRにはSRのコーナリングがある

勘違いしてはいけないのは

それは決して「つまらないモノではない」という事だ

大切だからもう一回云っちゃうかな

「SRのコーナリングは決してツマラないモノではない」!

むしろ気持ち良い

アコレードはその面白さを全く邪魔せず

しっかりと構成パーツとして仕事をしてくれた

良いタイヤだった



とは云えオートバイのモディファイは楽しみ方としてもちろん「あり」だ

そこに求めるモノがあるなら試すしかない

そういう考え方には賛同する



タイヤ交換作業の合間代車貸してくれた

こないだまでウチの子だったカブ

今ではテックモーターサイクルの小僧におさまった

大将の足として、代車として活躍しているらしく

ODOメーターの数字が信じられないくらい伸びていた

SRが来て置き場が手狭になったことや

SRが下駄代わりにもなるので売却したのだ

久しぶりの里帰りにクロ介との会話が弾んだとか弾まなかったとか



それはさておき

このところウキウキしながら北海道行きの準備に明け暮れる日々だ

北海道も順調に春を迎えているようだが

アメダスで現地の気温を日々チェックしては一喜一憂している

気温に相当ばらつきがあってウェアの選択が難しいのだ

とりあえず夏も冬もある程度想定が必要かなと考えている

もちろんまだひと月先なので出発の頃にはもう少し安定していると思う

気候と云えばたまたま北海道放送のこんなサイトを見つけた

HBC情報カメラ・いまの狩勝峠(リンクあり)

この中に「各峠カメラ」という情報カメラがあった

北海道の主要な峠のリアルタイムの映像が見られる

なかなか見かけない峠の気温と路面温度の情報まである

これを見る限り国道の峠は全く問題なさそうだ

それにしてもつくづく良い世界になったと思う

いや単純にね

ITいいね

未知の体験に歓喜したサルは繰り返しスロットルを捻り続ける

2024年03月13日 | SR400 RH16J(2019)シータ


「春」と云ってももう良いのだろう

水面を渡ってくる風が緩やかに南から吹き付けるこの海岸

今日は波も穏やかで遠くまでふんわりと凪いでいた

アルコールストーブで沸かした湯でコーヒーを淹れると

少しコーヒーにアルコールの匂いが移ると思わない?

あ、思わないか

そんなもやもやとしたコーヒーを啜りながら

渚に打ち寄せる波を飽きもせずに眺めている



この海岸にはもう40年以上前から繰り返し来ているけど

海の方を眺めている限りでは本当に何も変化が無くて

遠くに見える渥美半島に少し風車が建ったくらいか

消波ブロックも防波堤もそのまま

だからここへきて海を眺めていると

まるで時間が止まっているかのように感じる

過去も未来も何も変わらず

ボクが生まれる前も

ボクがいなくなった後も

ここでは本当にそんなことがどうでも良いと思えるから不思議だ

自分の意識をどこかへ放り投げだして心の底から安堵できる空間だ



とにかく、もう春だ

3月に入ったその日は

あんまり陽気が良いので

いつもの「涼風の里」へ行ってみた

暖かかったとは云え

山里の冬にはそれなりの厳しさがある

ヘルメットのシールドから忍び込む風は

まるでモランの溜息のように凍えて

ボクのカサカサの頬を冷たく切りつける

冬用の綿の入ったグローブの中ではすでに指先が痺れていた

凍結の感じはほぼ無いけど

路面温度は相当低そうだから少し気を遣う

それでも案外いつもどおりに「涼風」に辿り着いた



3月は「風の候」だ

移動性の高気圧が東の海上に抜けるとそれを追って低気圧が近づく

南の強い風を呼び込んだ後

通過時には嵐のような雨と風をもたらし

雨が止むと今度は北寄りの冷たい風を吹き込む

正直云って夏や冬の厳しさよりこの季節の「風」が嫌いだ

雨より断然「風」がイヤだね

風の中では思考が停止してしまうのだ

オートバイに乗って走る様を俗に「風になる」とか云うのがあるけど

「風になる」なんて一度だって思ったことないね

むしろいつも「風に逆らっている」って感じじゃない?

この日も風が出ていたが幸い緩やかなものだった

少しためらったけどその風の中でコーヒーを淹れてみたら

それはなぜだかちょっといつもより旨く感じた

風は嫌いでも

風の中で飲む熱いコーヒーは好きなのかもね

今日のコーヒーは風が強かったのでガスのストーブで湯を沸かした

そしたらそれはやっぱりガスの匂いが少しした

いや、これはカップのステンレスのクサ味かな



SRだ

なんと云う青なのかわからない「青」のSR400

ヤマハのHPで見たら「グレイッシュブルーメタリック4」とあった

ますます分からない

金属的な光沢の灰色掛かった青「4」

なんだ、それ?

1と2と3を見てみたい



名前はまだない

自分が買ったオートバイにいちいち名前をつけなくても、とは思うが

何となくいつも名前で呼んでいる

実はこの微妙な「青」色から密かに

「シータ」とか「シーちゃん」と呼んでいた

空から青色の光を放つ飛行石の力でふんわりと下りてきた

ラピュタの正統な王位継承者

「リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ」

いや、やっぱり構えすぎで気恥ずかしい

きっとまだ変わると思う(気に入ってはいるけど)



SRだ

何度も云うが偉大なるXT500(パリダカ総合優勝にして連覇)という

エンデューロ(ヤマハはトレールという)モデルが素(ベース)

SR500はそのオンロード版として生まれたいわば双子だ

そして日本の特殊な免許制度に合わせるべく作られたSR400は

それらシリンダーのストロークをダウンさせた兄弟モデルで

ボアストロークがほぼスクウェアな500のエンジンを

ヘッドから作り直す予算が無く

コンロッドを長くすることでストロークを減らし生まれた

つまりSR400のショートストロークのエンジンは

大人の事情の結果でありおそらく必然ではなかったのだと思う

しかしこのことが逆に400を特別な存在にしたのだとも思える



それまでの単気筒エンジンたちと比べて

クランクマスが小さなSRのエンジンは(500に比べれば400の方が大きいが)

どうしても元気に回りたがるエンジンだ

キャブレター時代のSR400は7000rpmの最大出力に対して

最大トルクを6500rpmで発生させていた

これはインジェクションモデルになり少し下がったが

それでも最大トルクは5500rpmでのもの

だから(マルチとは比べ物にはならないが)やはり回して使うエンジンであり

現にエンジンもどちらかと云えば「回りたがり」だと感じる

巷で5型とか最終モデルと云われるボクのSR400だって

意識しなくてもスムースに高回転まで吹き上がっていく

もちろん4500rpmを超えると

お尻、足の裏や掌と云ったオートバイに触れている面に

強い振動が伝わってくるが

それはそれで刺激的でまったく悪くない

振動自体は硬質で強くはあるが角が尖っていないので

快か不快か、ならば間違いなく「快」だ

実際あまり気にせずに強く加速させ巡行へ持ち込むと

まるでデカいカブに乗ってる感じさえするのだ



けれどこの5型が出た頃

オートバイの専門誌で盛んに低速からの力強さが取り上げられた

中速域のトルク感はまるで排気量が上がったかのようで

日常域でスポーツできる「大人」のモデル

SRの完成形とまで絶賛され盛んにもてはやされていたのを思い出す

そもそもビックボア×ショートストロークのSR400

しかも従来のビッグシングルと比べて小さなクランク

ECUのコントロール位でそんなにも性格が変えられるものかと思うが

如何せん

ボク自身が以前のキャブ車に乗ったことが無い

唯一SRX-6をちょい乗りさせてもらったくらいで

あの時の記憶といえば左折とかで減速した時

ギアの選択を間違えると怖ろしくスナッチが出て

扱いづらかったというものくらいだ

だからこれは想像なのだが

「市街地でクルマに続く時5速へ入れずに4速キープだった」

という記述を見たことがある事からも

おそらく以前のSR400も回転を落としてしまうとスナッチが出て

粘るエンジンと云われながらもやはり使いづらかったのではないのだろうか

それをECUの魔法でトルクバンドを下げ

おまけにそこら辺で使うと排気音もよく聞こえる演出まで加えたのだ

ゆっくり走っても気持ち良いですよって云いたくて



まーこれまでの印象から云えばそれも決して悪くない

ただし4000rpmからのトラクションは逆に感じにくくなったんではないだろうか

2500くらいから4000rpmくらいまで続くトルクの盛り上がりは

それ以上回してもあまりはっきりとはしなくなるからだ

けれど実はボク

あることに気付いてしまった(思い出すだけでついニヤッとするほどね)

それはSRの5速ギアとこのエンジンの相性が

とても特別なものになっているということだ

「5速 2000rpm」

多分以前のSR達なら少しスナッチを感じたんじゃないかな

でも5型のSRはここから使える

この時の速度約40km/h

そこからスロットルを半分くらいガッと素早く開けると

一瞬のタイムラグのあとダッダッダッダッとダッシュを始める

それは

2500rpm 50km/h強

3000rpm 60km/h強

3500rpm 70km/h強

そして4000rpm 85km/hと

この時のエンジン音と排気音そして加速感がヤバい位だ(嫌いだなーこの言葉)

実質的な加速力ではなくあくまで加速感

フィーリングの話だ

それは今までどんなオートバイでも感じなかった感覚で

得も云われぬ快感を伴う

取り付かれたサルのように繰り返しスロットルを捻ってしまうほどだ

こんなにも大量のエンドルフィンの放出を実感したのは初めてかもしれない

そしてこれこそが低速からのトラクションの魅力なのかと気付いた

ECUによって作り出されたこの特性

昭和世代のジジイにはそれが癪に障るけど

やっぱり無条件で楽しい

意味もなく60km/hくらいでスロットルをガバッーガバッーって

おサルは何度も何度も繰り返しやってしまうのよ

そしてそれはやっぱりコーナリングにも効く

コーナー入口でエンジンを2500rpmに置く

3速 35km/h→4速 45km/h→5速 55km/m

とバンクしながらでもシフトアップしていき

4000rpmまで引っ張れば80km/hを超える

上りがキツければ4速だろうけど

高速コーナーなら5速ホールドのままスロットル操作だけで走れる

そしてその方が楽しいのだ

え?

遅い?

そうなんだよ、遅いんだよねー

でもブラインドの対向車に怯えながらペースを上げすぎるより

しっかりとトラクションの掛かったコーナリングの方が

断然楽しいよ



大型のオートバイに乗り続けて

老いた時どこへスペックを落とすか

これは結構当事者には問題なんだけど

個人差も大きいしね

バイクを操るこだわりや深みを感じられるという視点が大切なのだと思う

ボクらレプリカ世代にはのんびりトコトコなんてできない

だから原二、軽二輪はやはり楽しくない(2ストなら別だけど)

250を超えると車検も問題になるけど

ひとつのレベルとしてやっぱり排気量500ccくらい

最大トルク3以上

この辺に答えがあるような気がする