ムリヤリ仕事を無くして(?)夏休みとシャレ込んでみた。
といってもほんの数日なんですがね……
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去年は北海道だったので今年は九州辺りかと
軽いノリで夜の8時頃、関門橋を目指してあお号(R1150RT)を走らせる。
深夜の山陽道をいっきに西進。
途中2回の給油休憩だけで早暁の関門橋に達した。
さすが大陸育ちのあお号(R1150RT)は800キロくらいなら「屁」でもない(失敬)
気分はコンチネンタル・ツーリングだ。
でもほんとに強がりでも何でもなく夜の「安い」高速を使って
1000キロぐらい移動するなんて朝メシ前だからね、ヤツは。
ちなみにETCの深夜割引で愛知から福岡まで10,000円切る料金。
いま議論されている経済対策が実施されれば
来年1年間は深夜、半額!になるらしいよ。(08 8/30時点では未決)
ETCは付けるがトク!(2007 3/16のブログをみてね)
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九州は平戸から西側の半島や島をつないで南下。
途中、すごい雷雨にあったりしたけど全体的には良い天気。
小さな島々が浮かぶ美しい海岸線や
佐世保・長崎といった港町をたどった。
熊本・八代から内陸に入り、
日本3大急流のひとつ「球磨川」をたどって霧島高原へ向かう。
人吉・えびののループをクルクルっと駆け抜け
霧島・えびの高原へ登る。
ちなみにボクの大好きな芋焼酎は「黒霧島」(無関係…)
えびのスカイラインは、深い森の中を小さなカーブで高度を稼ぐ。
空気がひんやりとしてきたなと感じる頃、ふいに視界が開け霧島の峰々が眼前に広がる。
ただし道路的には南麓をつないで走るバードラインの方が爽快。
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鹿児島から指宿スカイラインで指宿へ
夢にまで見た開聞岳にやっと対面できた。
開聞岳すごい。(え、見えない?)
池田湖からも見られたけど、あいにくの水蒸気でかすんでいた。
開聞岳は薩摩富士と呼ばれているが、見方によっては富士山より富士山らしい。
山容が北斎の描く富士山のシルエットに近い。
てことは美術的に完成度が高い山容と云えない?かな。
とにかく美しい山、開聞岳。
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翌日、朝靄にぼんやり浮かぶ桜島へフェリーで渡る。(よーく見てね)
さて今日は自分的に、ひとつの区切りをつける日。
本土最南端を制してオートバイによる日本一周を達成させる。
日本一周の定義は様々あるだろうけど、
所詮、自己満足的な性格が強いものだ。
また次の機会にでもブログにも書くつもりだけど
ボクは自分の日本一周を3つのフェーズに分けていて
そのひとつ目の区切りに達した。
初めから日本一周って意識して始めたわけじゃあないけど
いつ頃からかな、一周はひとつのテーマになっていた。
ただし日本一周はけっして目的ではなく、あくまで結果。
佐多岬にやっと来られたってことだ。
でも、人間の営みってほんとにスゴいといつも感じる。
最北端とか最南端とか云われる、いわいる最果て感が漂う場所でも
必ずと云って良いくらい、人が住んで、そこで生活をしている。
これってほんとにスゴいなって思ってしまう。
日本なんて辺境と云えるほどの辺境は存在しないのかもしれないけど
里に住んでる身としては、えっ、とか、はっ、とかいった場所に
集落があってそこで子供たちが走り回っているのを実際に目にすると、
そのことに単純に人間のすごさを感じてしまうなー。
小さな他愛もない感動かもしれないけど、ボクはそう感じる。
佐多岬もそんな場所の一つだった。
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その後、都井岬を回って、宮崎から日向灘を横目に北上した。
翌日は延岡を経て、日之影村(ここスゴいとこだった)高千穂峡をたどった。
日之影村を通る国道218号線は
神々の故郷として名高い高千穂に通じる街道らしく「神話街道」と呼ばれるが
深い谷が幾筋もあって、たしかに幽玄な雰囲気がある。
道路はその谷を巨大なアーチ橋で跨ぎ、また峰々をトンネルで貫いて進む。
アーチ橋はいくつもあるけど、その一つ「青雲橋」は東洋一(微妙な称号だな)の大きさ。
長さは410m、下を流れる川の水面から137mもの高さがある。
1984年に総工費39億円(!)かけて造られた。
こんな橋がたくさんあるんですけど……道路整備には金が掛かりますなー。
でも、この街道は延岡と阿蘇・熊本を結ぶ重要な路線で交通量も申し分ない。
橋とトンネルで結ぶ空中回廊のおかげで九十九折りやアップダウンも少なく
大型車が多いのに流れが非常に良い。
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さて、阿蘇でもまわって帰ろうか、と舵を取ると突然の大雨。
仕方なく大きな木の下に逃げ込んで、カッパ装着。
雨なんかへっちゃらだもんね~とか云ってるとさらに大雨。
そのまま阿蘇の外輪山を高森峠で越えるとやっと雨は止んだ。
5年前に来た時も雨だったけど2回来て2回とも雨って、ねー?
それとも阿蘇はいつも雨かい?
でも、先回に来た時よりマシかなー(これでかよ!)路面はドライだし。
まぁー2回目だから、あっちこっち見て回らずに
思いっきり走りに没頭してくじゅう高原まで駆け抜けた。
さらに水分峠から湯布院を経て県道11号線(別府一の宮線)を行く。
この街道はかつての天領であった日田とを結ぶ「日田往還」のひとつ。
ここにはその面影はほとんどないが、
由布岳・鶴見岳の裾野を越えて別府に通じる快走路。
フェリーの出港までに時間があったので
別府の鉄輪温泉で名物の滝湯に打たれて旅の疲れを癒す。
が、大阪行きのフェリーは夏休み中の週末でガキだらけ。
2等室は山小屋並みの超満員。
用意した耳栓も役に立たない超音波のようなガキの絶叫に夜通し襲われ
へろへろのまま早朝の大阪港に着岸。
走った方がましだったかな。